数々のアクシデントに悩まされた2025年を乗り越え、さらなる高みへ
神奈川県のアスリート、女子ゴルフの新地真美夏選手(ネットの大学managara1年)は、小学校時代から同世代のトップを走り続け、中学生から日本ゴルフ協会(JGA)のナショナルチームのメンバーに選ばれています。2025年には、海外選手が大勢出場した大会で個人優勝を果たすなど、これからのさらなる活躍が期待されています。
小中で全国大会を制覇 早くから頭角を現す
新地選手がゴルフクラブをはじめて握ったのは、小学校に入学して間もなくでした。姉と兄が父と一緒に練習場に通うなか、新地選手も加わるようになりました。地元の座間市にはゴルフ練習場があり、平日の練習はそこで週2~3日。近所の公園ではランニングなどのトレーニングも積み、週末はハーフラウンドを回ったり試合に出たりしました。
小学6年で全国小学生ゴルフ大会に優勝。関東ゴルフ連盟の特別育成選手となり、中学3年で全国中学校ゴルフ選手権大会に優勝して、その年にナショナルチーム入りを果たしました。
23年秋に中国・杭州で開かれたアジア大会に、新地選手はナショナルチームの最年少メンバーとして出場。全米女子プロゴルフ協会(LPGA)のランキング上位に入る選手も参加するなか、日本勢トップの8位タイの好成績をおさめました。
4カ月後には、ナショナルチームのメンバーとして出場した「adidas Australian Amateur(オーストラリア)」で優勝。23年の「ネイバーズトロフィーチーム選手権(台湾)」に次ぐ、2度目の海外大会の優勝を果たしました。
優勝を逃すも「上位に居続けることは大事」
24年6月には日本女子アマチュアゴルフ選手権に出場。頂点まであと一歩届かず2位に終わり、「耐えるときに耐えるゴルフをできないと優勝は難しい」と冷静に自己分析します。
それからほどなくして、「トヨタジュニアゴルフワールドカップ」にも出場。アメリカやメキシコ、タイなどゴルフ強豪国の海外選手と戦い、またしても2位に終わりました。「優勝をめざしていたので、また2位というのは満足いかなくて悔しいです」と唇を噛みますが、前向きにも大会を振り返ります。
「強豪国の海外選手と比べても飛距離は同等でしたし、悪天候の日があったなかでも、3日間アンダーパーで回れました。優勝を逃したのは残念ですが、上位に居続けることもすごく大事なので良い経験でした」
プロテストを控える25年になると、新地選手はシビアな試合を経験します。1月にはナショナルチームから派遣されてアジア太平洋選抜に選ばれ、アラブ首長国連邦で行なわれたヨーロッパ選抜との対抗戦に出場。確かな手応えをつかみました。
「マッチプレーで劣勢の展開もあったなか、ショットの調子が良く、プレッシャーのかかる場面でも自分のプレーができました。実力者揃いのなかで全試合勝ち切れましたし、ラフが長かったり、日本にはなかなかない環境のなかで、難しいコンディションに対応する点でも貴重な経験ができました」
つまずきも糧にして、世界の舞台でも活躍
ナショナルチームの活動もある新地選手は、ハイレベルな試合を積み重ねるなかで、不調に陥り、悩む時期もありました。ただ、経験値が上がり、大切な気付きも得られました。
「スイングなど技術面での悩みが多く、解決したかと思えば、今度はパターの打ち方で悩むなどを繰り返してきました。ただ、そのなかで不調の克服方法も見つけまして、自分のプレー動画を撮って振り返ったり、自己分析をノートに記したりしています。そういった取組みをすることで、調子が悪いながらも次につながる良い流れを作ろうと、不調でも上手に戦う方法を習得できたような気がします」
25年6月には、ジュニアゴルフ国別対抗世界選手権である「トヨタジュニアゴルフワールドカップ」に再度出場し、団体で2位、個人では見事優勝を果たしました。
日本女子アマチュアゴルフ選手権が終わって間もない開催で、疲労もあり練習ラウンドをせずに臨む形となりましたが、むしろ良い休養になったらしく、大会初日は身体が軽く頭もスッキリした状態で、終わってみると8アンダーというすばらしいスコアでフィニッシュ。早々に単独首位に立ちました。「ショットはそれほど良かったわけではなかったのですが、ショートゲームがうまくいって、パターもラインもタッチも合いました」。
これまで海外の試合に何度も出たり、日本でもプロの試合に参加したりと、大舞台でも臆せず臨めているようです。「どんな小さな大会でもスタート前はやっぱり緊張します。でも、もうその緊張にも慣れた感じです」
プロテスト再挑戦 将来は「世界1位になりたい」
「トヨタジュニアゴルフワールドカップ」のすぐ翌週には、「資生堂・JALレディスオープン」にも出場しました。しかしながら、疲労か暑さか初日のラウンド中に熱中症気味になってしまい、大会を棄権せざるを得なくなってしまいました。
25年は、このときだけではなく、3月にアジア遠征をした際に食中毒になったり、自転車で事故に巻き込まれたりと、予期せぬアクシデントや体調管理に悩まされる、とても難しい年になってしまったと言います。
そして、12月のプロテストで少し違和感があった腰が、テスト後には悪化し動けないくらい痛くなってしまいました。
26年に入っても腰の痛みは治らず、4ヵ月くらいクラブを握れない日が続きました。その間、歩けるようになってからは、友達と食事に行ったり、近所の芹沢公園に行ったりして気分転換をしていたそうです。「芹沢公園は、小さいときはサッカーボール蹴ったり走ったりしていました。広い芝生広場もあって自然を感じてリラックスできます」。
春先になり、ゴルフができるくらいまでようやく回復し、復帰戦として「ネイバーズトロフィーチーム選手権」に参加しました。まだリハビリを続けている状態ですが、プレーを楽しめたそうです。「25年のプロテストで一度もアンダーパーを出せず、そのままゴルフを休んでしまっていたので、良いスコアってどう出すんだろう?という感覚でした。この大会の最終日に66を出せて良い終わり方ができてよかったです」。
26年の目標は、まずはプロテスト合格です。そして、その後のQTにも挑戦して27年のレギュラーツアーの参加をめざします。
「24歳までに海外メジャーに挑戦したい!そしてメジャー優勝して世界ランキング1位の選手になりたいです」。
可能性と伸びしろは無限大です。新地選手が、海外で優勝トロフィーを掲げている姿を見る日は近いかもしれません。
(編集:4years.)