練習環境を求め中学2年で移住を決意、第二の故郷を盛り上げたい
愛知県のアスリート、スキー(フリースタイル/スロープスタイル・ビッグエア)の菅原希昴(きほ)選手(中京大学付属中京高校2年)は競技に打ち込むため、中学2年のときに練習拠点を山形県から愛知県に移しました。そのシーズンにはじめて全日本スキー選手権大会で優勝。スロープスタイルとビッグエアで世界をめざしています。
ジャンプ台で跳んでいる人を見て「私も」
5歳でスキーをはじめた菅原選手がフリースタイルスキーと出合ったのは6歳のときです。ジャンプ台で跳んでいる人を見て「楽しそう、私も跳んでみたい」と思ったのがきっかけです。
フリースタイルスキーは1980年代から90年代にかけて生まれた競技です。コブがある急斜面を滑降する「モーグル」をはじめ、人工アイテムを滑ってアクロバティックな技の完成度を競う「スロープスタイル」や、ジャンプ台から飛び出して空中技を競う「ビッグエア」などがあります。
夢中になった菅原選手は、小学生の頃から国際スキー・スノーボード連盟(FIS)公認の大会に出場。中学生になると2、3年時に全日本スキー選手権大会スロープスタイルで連覇を達成しました。現在ではフリースタイルスキーのホープとして期待されています。
小学3年のとき、2026年にイタリアで開催される世界的な大会に出場することを目標に定めました。そのためには世界ランキングで30位以内に入ることが条件になりますが、日本ではFISのポイントを獲得できる大会が一つしかありません。「出場するには、海外の大会で好成績を残さなければなりません」と話します。
ただ、海外遠征には多額の費用がかかります。そんなとき、知人から明治安田「地元アスリート応援プログラム」の話を聞き、応募を決めました。金銭的なサポートに加えて、地元のアスリートを応援するという制度趣旨にも共感し「山形県から拠点を移し、新しい地元として愛着をもっている愛知県での生活を後押ししてくれた、両親の金銭的な負担もサポートできればと思い、応募しました」
刈谷市は「第二の故郷のような存在」
活動拠点を愛知県に移して、24年で4年目。海が好きな菅原選手は、観光名所として知られる知多半島がお気に入りです。「海を眺めながら心を落ち着かせています。山形に住んでいたときも、海が家から近くてよく見にいっていました」。刈谷市には魚料理がおいしいお店もたくさんあり、「刈谷は第二の故郷のような存在です」と顔をほころばせます。
普段の練習は自宅から30分ほどの「YAMAZEN AICHI QUEST」で行なっています。滑走面が人工芝であることに加え、着地の場所にエアマットが敷かれているため、雪よりも体へのダメージが少ない中で練習を積めます。
移住を決めた理由は「山形に住んでいたとき、オフ期の土日は宮城県の施設に通っていました。車で片道2時間半もかかるため、運転してくれるお父さんに負担をかけていたのです」。また中学1年のときから新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、県外での練習について自粛を余儀なくされた事情もありました。
「中学3年の5月に母と妹も愛知に移住してくれて、いまは一緒に住んでいます。父は仕事の関係で山形にいます。『私の目標で別々に暮らすことになった家族のためにも』という思いは強いです」
大技「ダブルコーク1080」の習得を
将来的にはエックスゲームズに出場し、ジュニアの選手たちから憧れられる存在になることが菅原選手の目標です。「私が世界で活躍して、フリースタイルスキーの認知をもっと日本で広めたいです」と目を輝かせます。
その目標に向かうため、オフのトレーニングでは日本の女子選手ではまだ成功例のない、空中で縦に2回転しながら横に3回転する高難度の大技「ダブルコーク1080」の習得にも取り組んでいます。「新しい技にチャレンジするには勇気が必要ですし、恐怖心も伴いますが、技のレベルを上げなければ、世界では上位に立てないと思っています」。試合の直前は1人になる時間をつくり、自分と向き合うことで集中力を高めています。
家族と離れ、山形から愛知に移住したばかりの頃は、心細い気持ちもありました。それでも新しい環境になじむことができたのは「愛知の方々が優しく接してくれたこと。また両親やサポートしてくれている皆様のおかげです」と感謝の言葉を口にします。
第二の故郷となった刈谷市を自分が世界の舞台で活躍して盛り上げたい。そして応援してくれているすべての人に恩返しがしたい。26年の世界大会への出場とともに、メダル獲得も見据えて、日々の練習を積んでいます。
(取材・制作:4years.)
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