地元で応援してくれる子どもたちのためにも東京での雄姿を誓う
静岡県のアスリート、陸上(短距離)の鈴木涼太選手(スズキアスリートクラブ所属)は、100mと200mの“二刀流”から100m1本に種目を絞り込んで挑んだ2024年の世界最高峰の大会は惜しくも出場を逃しました。しかし、この1年はタイムも安定しており、念願の25年の東京世界陸上出場をめざします。
学生時代最後につかんだ「学生日本一」の栄誉
鈴木選手と陸上の出合いは小学生のとき。50m走で7秒を切る速さでクラス1番になったことがきっかけで、中学に入ると陸上部に入部。浜松工業高校に進学し、高校3年時にはインターハイで100m、えひめ国体では100mの他、4×100mリレーでも入賞しました。
高校卒業後はスポーツ推薦で陸上短距離に力を入れている埼玉県の城西大学に進学。日本一をめざして練習に打ち込みましたが、大学1年の秋の大会と、冬のシーズンオフの期間に右ハムストリングスの肉離れをおこしてしまいました。
短距離のシーズンオフは「冬季練習」といって体づくりの期間に充てられます。しかし、けがで思うように体をつくれず、大学2年のシーズンはけがが重なり、記録も伸びませんでした。「顔には出しませんでしたが、ずっと精神的にきつかった」と思い返す鈴木選手。つらいときは地元の先生たちが声をかけてくれたそうです。
大学3年時の20年は新型コロナウイルス感染症の影響により、多くの大会が中止に。その年は楽しみにしていた帰省も控えました。そして、10月に延期となった関東学生陸上競技対校選手権大会(関東インカレ)男子1部100mで見事優勝。鈴木選手にとって大学ではじめての大きなタイトルとなりました。
その後は数々の好結果を残します。21年5月にポーランド・シレジアで開催された世界リレーに日本代表として選出されると、4×100mリレーの第2走者を務めて銅メダルを獲得。帰国後の関東インカレでは、ライバルたちに競り勝ち男子1部100mで2連覇。追い風参考ながら10秒01のタイムに、競技場にはどよめきが起こりました。さらに9月の日本学生陸上競技対校選手権大会(日本インカレ)では100mで2位、200mで優勝。追い求めてきた「学生日本一」のタイトルを手にしたのです。
陸上競技の楽しさを地元の子どもたちに伝えたい
22年春には地元・浜松の実業団、スズキアスリートクラブに所属しました。今まで以上に地元との関わりが増えることを楽しみにしていた鈴木選手が出合ったのが、明治安田「地元アスリート応援プログラム」でした。
「地元から応援をもらう」というプログラムの趣旨に心をひかれたことがきっかけでした。「なんだかんだやっぱり、浜松が好きですね」。地元の先生たちの団結力や、浜松の空気感が好きだと語ります。
22年、プログラムの一環として、地元・浜松での陸上教室に参加したときには中学の頃の陸上部の先輩との出会いがあったり、教室に参加した方から支援を受けたりするなど、地元とのつながりを実感しました。
明治安田の陸上教室は毎年続いており、地元アスリートの代表として鈴木選手は毎年参加しています。
「24年は雨で陸上競技場をうまく活用できなかったんですけど、25年の2月の教室は天気も良くて、自分も楽しかったし、子どもたちも楽しんでもらえた思います。小学5、6年は興味を持って走り方とか聞いてくれるので、自分も応えないとと決め、『本当に早え』とか言ってくれて、うれしかったですね」
また、スズキアスリートクラブがシーズンオフに浜松で行なっている陸上教室にも参加。担当するのは小学生から高校生までの子どもたちで、高校時代にお世話になった先生たちとともにイベントを盛り上げ、未来世代へのバトンをつないでいます。
100mに専念した年の誕生日に自己ベスト
100mと200mの二刀流が特長の鈴木選手でしたが、24年の世界最高峰の大会出場をめざす勝負の年として、23年から100mに専念することを決意しました。
「国際大会はそこまで緩くない、極限までせめないといけない。だからどちらか一つに、絞るなら陸上の花形である100mにこだわりたいと」と語っていました。
まず取り組んだのが、鈴木選手が重視するスタートから30mのタイムです。「30mまでのタイムが速くなったのが一番の収穫でした。練習で走る距離やウエイトのやり方も変わりましたね。最大出力を発揮しないといけない種目なので、その最大値を上げるために、1回で挙げる重量の重さも変わりました」
そして、23年6月に行なわれた布施スプリント100mでは、自己ベストの10秒17で優勝を飾りました。この日は、ちょうど鈴木選手の24歳の誕生日と重なり、二重の喜びに。自身のインスタグラムでも結果を投稿すると、優勝と誕生日のお祝いコメントが多く寄せられました。
24年になると、世界最高峰の大会にも出場した酒井隆一郎選手と一緒に練習を行ない、「切磋琢磨し合うことで、自分の練習の意識とか内容はすごく変わった」と鈴木選手は語ります。「本当に練習内容がすごい過酷というか、これ以上やっている選手はいないだろうみたいな感じの練習なんですけど、それを自信にこれ以上やっている選手いないから大丈夫だみたいな。そういう自信をいただきました」
その結果、タイムは安定し、6月の布施スプリントでは追い風参考記録ながら10秒06のタイムで連覇達成。世界大会の出場を決める日本選手権では決勝戦まで進みましたが、惜しくも出場はかないませんでした。
自国開催の世界陸上で地元に恩返しを
「自国の世界陸上に出場できるのは、人生で1回しかないと思う」と、特別な思いを寄せる鈴木選手にとって、9月に開催される東京世界陸上の出場は悲願でもあります。
「やっぱり自国開催はすごく大きくて、地元の方も見やすいし、来てくれやすい。注目されやすいのはすごく大きい。今までの恩返しとか、自分がやってきたことを見せるという部分で、すごく頑張りたい。応援してくれる子どもたちにも、すごく恩返しができるかなって思っています」
陸上選手のピークは25歳から29歳といわれるなか、26歳になったばかりの鈴木選手は「ここから結果を出したい」と力強く決意を語ります。
陸上教室で鈴木選手の本気の走りを目の前で見て、「本当に早え」と感動した子どもたちが、世界を舞台にトラックを走り抜く雄姿を目にしたときの感動も忘れられないものになるでしょう。
(編集:4years.)
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