クレーコートで躍動 世界の舞台で夢を追う
埼玉県のアスリート、男子テニスの田畑遼選手(産業能率大学1年)は、家族とともにラケットを握る日常のなかで育ってきました。国内外の大会で経験を重ね、25年全仏オープンジュニア、26年全豪オープンジュニアでベスト4入りを果たし、ジュニア世界ランキング最高4位(2026年2月時点)を記録。世界の舞台で確かな実績を積み上げています。26年からはプロとしての活動をスタート、得意なクレーコートでのプレーを武器に、世界へ挑む若きテニスプレーヤーが、これまでの歩みと未来への思いを語ります。
家族との時間が競技の原点
田畑選手がテニスに出合ったのは、特別なきっかけがあったからではありません。両親がテニスをしていたこともあり、休日には両親と弟の家族4人でテニスコートに出かけました。「休みの日は家族でテニスをする。それが日常でした」。コートが遊び場だったのです。
本格的にスクールに通いはじめたのは小学1年のころ。ちょうど北海道から仙台へ引っ越しを経験し、新しい環境で「テニスでもやろうかな」と、スクールに入り、自然な流れでテニスに打ち込むようになりました。最初は友達とプレーする楽しさが大きく、次第に大会へ出場するようになりました。
試合で勝てばうれしく、負ければ悔しい。その感情が競技への意欲を高めました。全国大会で勝ちはじめます。仙台から埼玉に引っ越した後、中学2年ごろからは海外の大会にも挑戦するようになりました。レベルの高い世界での挑戦を積み重ねるにつれ、「この世界で、もっと上をめざしたい」という思いが明確になり、プロを意識するようになりました。
世界の舞台が広げた視野と自信
海外大会への本格的な挑戦をはじめた後は、海外遠征が特別なものではなくなり、世界各地を転戦する日々が当たり前になっていきます。
25年には全仏オープンジュニアでベスト4に進出。26年には全豪オープンジュニアでもベスト4入りを果たし、世界の強豪相手にも手応えを感じる場面が増えていきました。「海外でも勝てるようになり、このレベルで戦い続けたいと思いました」と振り返ります。
クレーコートを得意とし、隙があれば前に出る攻撃的なプレースタイルが持ち味です。「このプレースタイルには自信があります」。試合を重ねる中で、自分の武器が明確になっていきました。
地元の支えを背に、プロのテニスプレーヤーとして
田畑選手が地元として挙げるのが、埼玉県加須市です。中学校入学時に引っ越して以降、この地で競技生活を続けてきました。人が多すぎず、自然にも恵まれた環境は、「落ち着いて過ごせて、競技とも向き合いやすい場所」だと感じています。
全国大会で結果を残した際には、学校に横断幕が掲げられ、市役所や市長への表敬訪問の機会もありました。今回、このプログラムを紹介してくれたのも市役所からでした。「学校の先生方も、試合で休むことにとても理解がありましたし、市の方々からもとても応援してもらっています」
競技人生の転機となったのが、24年の冬の大きなけがでした。足首を強く捻挫し、松葉づえが必要となるほどの状態に。復帰後もしばらく結果が出ず、苦しい時期が続きます。
悩みを相談するのは、やはりテニス仲間でした。話を聞いてもらうことで、気持ちが軽くなったと言います。
また、この経験を機にトレーニング方法を見直しました。「それまであんまり筋トレやウェートは練習に入れていなかったんですけど、足首をけがしたので、ウェートをしっかり入れて、体を作っていこうと思いました」。体格の大きい選手と対戦したときに課題に感じていた、サーブとフィジカルの強化にもつながると考えています。
25年からはプロの大会に出場。海外遠征をしながら、さまざまな体格やプレースタイルを持つ選手たちと日々練習することでレベルアップを実感しています。
プロとして目標になるのはスイスのロジャー・フェデラー元選手です。「プレースタイルも格好いいし、ファンもすごく多い。『その人の試合なら』って見に行くファンがいっぱいいる選手です」
プロとしての活動を本格化する26年はITFワールドテニスツアー、ジュニアグランドスラムに挑みます。27年にはさらに上のレベルのATPチャレンジャーツアーと、全日本テニス選手権の優勝もねらいます。
そして将来の最大の目標は全仏オープン優勝です。「一番好きなコートで勝ちたい」。地元の声援を力に、田畑選手は世界のクレーコートへと歩みを進めています。
(編集:4years.)