山口から、世界へ 日本バド界の“最注目選手”の新たな挑戦
山口県のアスリート、バドミントンの田口真彩選手は、日本女子の次代を担う期待の19歳。2024年春まで通った県立柳井商工高校では全国大会の春夏6連覇に貢献し、世界ジュニア選手権の女子ダブルスでは優勝。卒業後も“第二の故郷”である山口県にとどまり、周南市・下松市を拠点とする女子実業団『ACT SAIKYO』でプレーしています。
真っ赤なユニフォームに憧れ 中学2年で転校を決意
幼少期を過ごしたのは宮崎県日向市。6歳の頃からバドミントンをはじめ、小学校卒業後は大阪の強豪中学でプレーしていました。転機は14歳のとき。全国大会の会場で柳井商工高校を見て、感銘を受けたといいます。
「真っ赤なユニフォームで、見た目も気持ちも燃えていたんです。最後まであきらめない姿がとにかくかっこよくて。『柳井商工でプレーしたい』と思いました」
田口選手は高校入学まで待ち切れず、すぐに柳井中学校へ移ることを決意。中学2年の冬に柳井市での下宿生活をスタートさせました。
全国大会春夏6連覇を達成した高校時代
高校入学後はメキメキと成長。1年の秋にはキャプテンに任命されます。1年の主将が心がけたのは、ひたむきに練習に打ち込むこと。田口選手が率いる柳井商工は、女子団体の全国高校選抜大会、インターハイでの連覇の記録を更新していきました。
結果を見ると順風満帆に見えますが、苦しんだ時期もありました。3年生が引退し最上級生となった2年の冬でした。左ひざの半月板を負傷し、全国選抜大会の県予選後に手術。1ヵ月近いリハビリで体育館に足を運べませんでした。
中心的役割を果たしていた田口選手が負傷し、チームは苦境に立たされましたが、他のメンバーは一丸となって練習に取り組んでいました。
「大変だったと思いますが、仲間たちがカバーしてくれていたんです。それが励みになって、私も頑張れました」
23年3月、復帰した田口選手は全国選抜大会の女子団体戦に出場し、3連覇に貢献。8月にはインターハイでも女子団体3連覇を達成しました。
1勝の大変さを実感し社会人としても成長
自然豊かな柳井市で過ごした4年間は、かけがえのないものになっています。
夏、午前7時からサザンセト伊保庄マリンパークの白い砂浜を走ったのも、いい思い出です。朝日を浴びながら全力で走り、そのあとに学校の授業を受けていました。「気持ちいいのですが、かなりきつくて」と苦笑しながら、当時を振り返ります。
現在は、柳井市から西に少し離れた周南市、下松市で新生活をスタートさせています。社会人となり、名物のフグ、海鮮料理を食べる機会も多くなったようです。
24年からは、社会人国内トップのS/Jリーグ「ACT SAIKYO」に所属。実業団という形でバトミントンに取り組むこととなり、意識も変わってきたと話します。
「自分が想像していた以上に、1勝することの難しさを感じた1年でした。高校生の頃に比べてバトミントンに向き合う時間が増えましたし、社会人1年生らしくいろんなことにチャレンジできたと思います」と笑いながら語る田口選手。最も大きく変わったのが、混合ダブルスへの挑戦です。24年9月からは渡辺勇大選手とコンビを結成。全日本社会人では女子ダブルスとともに堂々の3位に輝きました。
「自分の武器とするスピードは歳上の選手にも通用したと思います。コーチの方々や、ペアの渡辺選手からアドバイスをもらうことで、技術的にもかなり進化したと思いますし、特にディフェンス部分が伸びた気がします」
一方で、課題はフィジカル面。「体の強さが全然足りず、パワーで負けることが多いのでしっかりとフィジカルを整えていきたい」と語ります。
柳井市に恩返しするためプログラムに参加
地元には結果で恩返しすることはもちろん、自分のプレーで感動してもらえるような選手になりたいと語る田口選手。明治安田「地元アスリート応援プログラム」に応募した理由も明確です。
「選手として成長させてもらった地元に恩返しがしたいと思って参加を決めました。私は山口県柳井市に来て変わることができ、バドミントンと本気で向き合えました。昔は遊び半分でしたから」
24年はプログラムの一環で、明治安田徳山支社が開催したバトミントン教室にも参加。「普段関わることができない方々と話すことができてうれしかったです。中学生に教えることで、自分も勉強になりました」と充実感を語ってくれました。
目下の目標は25年12月の全日本総合選手権で日本一をとること。そして、夢は4年に1度の世界大会での優勝。これからも山口でシャトルを追いかけ、世界へ羽ばたいていきます。
(編集:4years.)
プロフィール画像 🄫ACT SAIKYO