壁を乗り越えて日本一 次は世界に挑むバドミントン界のホープ
山口県のアスリート、バドミントンの田口真彩選手は、2024年春まで通った県立柳井商工高校では全国大会の春夏6連覇に貢献し、25年には全日本総合選手権大会で優勝した期待の20歳です。高校卒業後も第二の故郷の山口県を拠点とする女子実業団「ACT SAIKYO」でプレー。将来は4年に一度の世界大会での金メダル獲得をめざしています。
全国大会で感銘を受けて中学2年の冬に転校
幼少期を過ごしたのは宮崎県日向市。6歳のころからバドミントンをはじめ、小学校卒業後は大阪の強豪中学でプレーしていました。転機は14歳のとき。全国大会の会場で柳井商工高校を見て、感銘を受けたといいます。
「真っ赤なユニフォームで、見た目も気持ちも燃えていたんです。最後まであきらめない姿がとにかくかっこよくて。『柳井商工でプレーしたい』と思いました」
田口選手は高校入学まで待ち切れず、すぐに柳井中学校へ転校を決意。中学2年の冬に柳井市での下宿生活をスタートさせました。
かけがえのない高校時代は主将を務める
高校入学後はメキメキと成長。1年の秋にはキャプテンに任命されます。1年の主将が心がけたのは、ひたむきに練習に打ち込むことです。田口選手が率いる柳井商工は、23年3月に全国選抜大会の女子団体戦で3連覇、8月にはインターハイでも女子団体3連覇を達成しました。
自然豊かな柳井市で過ごした4年間は、かけがえのないものでした。
夏、午前7時からサザンセト伊保庄マリンパークの白い砂浜を走ったのも、いい思い出です。朝日を浴びながら全力で走り、そのあとに学校の授業を受けていました。「気持ちいいのですが、かなりきつくて」と苦笑しながら、当時を振り返ります。
24年9月から渡辺勇大選手とコンビを結成
高校卒業後の24年からは、社会人国内トップのS/Jリーグ「ACT SAIKYO」に所属。柳井市から西に少し離れた周南市、下松市で新生活をスタートしました。実業団の選手としてバドミントンに取り組み、「高校生のころに比べてバドミントンに向き合う時間が増え、自分が想像していた以上に1勝の重みを感じています」と意識も変わってきました。
実業団の選手になってから最も大きく変わったのが、混合ダブルスへの挑戦です。24年9月からは渡辺勇大選手とコンビを結成。「自分の武器とするスピードは歳上の選手にも通用した」と振り返る全日本社会人では、女子ダブルスとともに堂々の3位に輝きました。
しかし、徐々に左膝に痛みを感じていました。プレーはできていましたが、チームの監督やパートナーの渡辺選手と相談した結果、「膝が治ってから、また一緒にバドミントンしよう」という渡辺選手の後押しもあって、25年4月に治療に専念することを決断しました。
8月までの長いリハビリ期間、復帰に向けて励みになったのは「違うパートナーと組んで大会で頑張っている渡辺さんの姿」だったと言います。奮い立った田口選手は9月に復帰。少しずつコンディションを戻して迎えた10月には「離脱期間に迷惑をかけたので結果で恩を返したかった」という強い思いを持って、「マレーシアスーパー100 2025」の混合ダブルスで優勝を果たしました。
目標に掲げていた全日本総合選手権で優勝
復帰後もまだ左膝が万全ではなかった田口選手は葛藤していました。「痛みを我慢して大会に出場し続けるのか、でも試合を棄権したらランキングが上がらない」。心が揺れながらも、11月の熊本マスターズジャパン2025を欠場するなど一部の試合出場を我慢し、代わりに練習で調整。トレーニングでは「どんな球でもしっかりネットを越えよう」という渡辺選手の助言を意識してディフェンス練習を徹底した結果、目標に掲げていた全日本総合バドミントン選手権大会で見事、混合ダブルス優勝を果たしました。
自信をつかんだ田口選手は26年4月、中国寧波市で開催されたアジアバドミントン選手権2026に渡辺選手との混合ダブルスで出場。「相手がミスするまで我慢できた」という粘り強さを武器に、はじめて海外の大きな大会で3位に輝きました。
苦難を乗り越えて結果を残した田口選手は、「自分のプレーで感動してもらえるような選手になりたい」と語ります。明治安田「地元アスリート応援プログラム」に応募した理由も明確です。
「選手として成長させてもらった地元に恩返しがしたいと思って参加を決めました。私は山口県柳井市に来て変わることができ、バドミントンと本気で向き合えました。昔は遊び半分でしたから」
明治安田「地元アスリート応援プログラム」にエントリーしてからは「徳山支社のみなさんとかかわるなかで『応援しているよ』と言ってもらいうれしかった」という田口選手。26年2月には地元周南市で中学生向けのバドミントン教室を行ない「バドミントンの楽しさを伝えることができました」とも明かします。
次の目標は26年7月に日本で行なわれるダイハツジャパンオープンで優勝することです。田口選手は「注目の集まる国際大会で優勝したい気持ちはほかの試合よりも強いです」と意気込んでいます。その先に描く大きな夢は、4年に1度の世界大会での金メダル獲得。壁を乗り越えて逞しくなったバドミントン界のホープが、大きな期待を背負って世界に挑んでいきます。
(編集:4years.)