自分のためではなく、応援してくれるみんなのために続ける“努力”
山梨県のアスリート、体操の竹澤薫子選手(山梨ジュニアアカデミー所属)は、全国中学校選手権の平均台3位をはじめ、2024年には種目別ワールドカップの平均台で銀メダル、全日本種目別選手権の平均台で優勝するなど実績をあげ、つねに自身の技の精度を極めながら、応援してくれる方のために“努力”を続けています。
銀メダル獲得のW杯後の不振から復活
竹澤選手は高校3年のインターハイで、ゆか3位、平均台6位の成績を残し、卒業後は大学へ進学せずに地元・甲府市にある山梨ジュニアアカデミーに所属して競技を続けています。
24年3月にアゼルバイジャンで開催された種目別ワールドカップでは、平均台で銀メダルを獲得しましたが、帰国後の4月に行なわれた全日本選手権では思うように演技ができなかったなど、気持ちのつなげ方がうまくできない時期もありましたが、9月に行なわれた全日本シニアでは個人総合6位、ゆか2位、11月の全日本種目別選手権では平均台で優勝するなど見事復活を果たしました。
しかし、25年4月の全日本選手権では記録が伸びず、残念ながら目標としていた26年のユニバーシティゲームズの出場権は逃してしまいました。現在は26年の全日本選手権の出場権を得るために、9月の全日本シニアに向けての調整を行なっています。
信じたコーチのもとで体操を続ける決断
両親がともに元体操選手という家庭で育ち、姉も体操教室に通っていたことから竹澤選手は幼少の頃に体操をはじめました。中学2年で甲府市に引っ越して山梨ジュニアアカデミーに入り、ここで恩師の故・伊東安崇コーチに出会います。しかし、高校時代にはもう体操をやめようと思ったときもありました。
「先生(伊東コーチ)は、『薫子の選択に任せる』という感じでした。そのとき、もう体操から離れられない運命なんだろうなと思って。たまに、パッと未来が見えるときがあるんです。だったらこのまま、自分が信じた先生のもとでやる方がいいなと決断しました」
竹澤選手は大学へ進学せず、山梨で競技を続ける道を選びました。しかし22年の冬、伊東コーチが亡くなります(享年47歳)。直接言葉をかけてもらうことができなくなりましたが、伊東コーチがよく使っていた言葉はいまでも思い浮かびます。
「毎日1ミリずつ努力して、それを積み重ねれば、やがて何メートルにもなる。今日1ミリでいいから進もうと、よく話していました。今でも不安を感じるときは、『1ミリの努力』を思い出すようにしています」
今までは自分のため、これからは……
明治安田「地元アスリート応援プログラム」は、知人から教えてもらったそうです。竹澤選手は中学生から高校生の頃、「次世代甲府大使」として甲府市に応援してもらっていた縁もあり、甲府市の役に立ちたいという思いから、家族と相談して参加を決めました。
「自分が知らないところで応援してくれている方と会う機会はなかったんですけど、明治安田の方々からは試合後にSNSで応援メッセージをいただいたり。それまでは身内だけだったのが、身内以外から『お疲れさま』とか言ってもらえるのがすごくうれしかった。今までは自分のために体操していたのが、応援してもらっているから、結果で恩返ししようとか、結果で見せていこうという気持ちが強くなりました」
24年の9月にはJリーグ・ヴァンフォーレ甲府の「ウォーキングイベント」に参加。イベント後にはキックインセレモニーにも参加し、知らずに観戦していた友人から「なんでいるの?」と連絡があったのも楽しい思い出でです。
ウォーキングでは、サッカー選手と話す機会もありました。「年齢が上がるにつれて、まあメンタルですけど、体も大変だよねみたいな話。どの競技でも、年齢が上がるにつれてどうコンディションを持っていくかという体調管理など、アスリートならではの貴重な話が聞けました」と振り返ります。
いまも頭に浮かぶ恩師の言
竹澤選手は得意の平均台の特徴を、滑らか演技と表現します。「技と振り付けの境目があまりないように。一つの流れとして意識しています」
その演技の精度を高めるための練習を続けますが、通しでうまくできないときは、伊東コーチの「小出しにすんなよ」という言葉がすぐに思い浮かぶそうです。
「いつもやっている演技なんですけど、一発で終わることができない。時間がかかるんですけど、体育館にいることが好きで、苦じゃないので、いつも体育館にいます」と言う竹澤選手。
いまはどのような未来が見えているか。恩師の言葉「1ミリの努力」と「小出しにすんなよ」を思い浮かべながら、未来に向かう竹澤選手の日々の努力はこれからも続きます。
(編集:4years.)
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