〔Presented〕 企画制作:朝日新聞社メディア事業本部

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企画制作 朝日新聞社メディア事業本部

明治安田 地元アスリート応援プログラム

地元の若手アスリートを地域社会とともに応援しよう!

埼玉県

車いすテニス

田中 愛美

たなか まなみ

女子ダブルスで日本史上初の金メダル獲得 飽くなき挑戦は続く

埼玉県のアスリート、車いすテニスの田中愛美選手(長谷工コーポレーション所属)はグランドスラム(世界四大大会)など、世界の舞台で活躍しているトップアスリートです。2024年夏には、スポーツ選手なら誰もが夢見る一大イベントで金メダルを獲得しました。最高の場所で栄光をつかんでもなお、彼女の飽くなき挑戦は続きます。

高校1年で下肢にまひ 車いすテニスへ転向

田中選手は車いすテニスの日本代表として、22年9月の全米オープンからグランドスラムに参加しています。

今でこそ海外を転戦するアスリートですが、小学生の頃はスポーツとは縁遠かったそうです。「図書室でずっと本を読んでいるか、コンピューター室で毎年出場するタイピングの大会のためにキーボードをたたいて練習をしているか、のどちらかでしたね」と笑います。

そのインドア派が、方針転換。「中学校入学前、制服の採寸のときに『あら、キユーピーちゃん体形ね』って言われたんです」。そこからスポーツに目を向け、“格好から入る”形となりましたが、テニスに打ち込むようになりました。

ところが、その日常が一変します。高校1年の冬、その日は雪が降っていました。自宅マンションの階段で足を滑らせて転落。すぐに手術を受けましたが、腰骨を折るとともに神経が傷ついて下肢にはまひが残りました。

リハビリ用に転院した病院を含め入院は4ヵ月におよびましたが、田中選手はリハビリを切り上げて入院生活を終えることを決断します。「友達と一緒に高校を卒業したい、部活も今いる仲間と引退まで活動したいという気持ちが強くありました」。車いすでの生活になりましたが、テニス部の顧問の先生に、「雑用でもいいから部活動をさせてほしい」と頼んだそうです。

しかし、その申し出は断られました。「先生が、『戻ってくるならプレーヤーとして戻ってきなさい』と言ってくださったんです。そのとき、車いすでテニスをはじめようと決意しました」

▲先生の言葉で田中選手(左)は決意し、プレーヤーとしてテニス部に帰ってきました

部活動では仲間と一緒に練習をして、帰宅途中にリハビリテーションセンターに寄り、トレーニングに励みました。

夢舞台で金メダル 勝利の鍵となったのは?

高校卒業後の進路は心に決めていました。21年夏、日本で開催の一大スポーツイベントに出場することです。企業にアスリート雇用してもらい、国内で実績を積んでいくと、2年目からは海外の大会に参戦。3年目に日本代表となり、メダル獲得とはなりませんでしたが、目標の夢舞台に立ちました。その後も活躍は続き、23年開催の杭州アジアパラ競技大会では、上地(かみじ)結衣選手とのペアで女子ダブルス優勝を飾ります。

そして、これらの経験を糧に最高の結果が出せたのは24年夏、3年ぶりに訪れた世界的なスポーツの祭典です。上地選手と再びペアを組み、順調に勝ち上がっていくと、ついに辿り着いた決勝の舞台では、3時間にわたる大熱戦の末、前回大会チャンピオンのオランダペアを撃破。女子ダブルスで日本史上初の金メダルに輝きました。

この試合で攻撃の起点になっていたのは、レジェンドの国枝慎吾選手も絶賛する田中選手のバックハンドスライス。「世界で1、2を争うのが私だという自信は元々あった」と自身の強みに本人も胸を張っており、「長短をつけて相手を揺さぶり動かすのは、私の中で一番やらないといけないタスクだと思っていました」と試合のポイントを振り返ります。

勝利の瞬間、コート上で思わず涙を流し、上地選手と喜びを分かち合った田中選手。世界トップの強豪ペアと激しい打ち合いが繰り広げられるなか、最後まで戦い抜くエネルギーになったというのは、たくさんの寄せ書きが入っている日本の国旗だったといいます。「観客席のところにそれを掲げてもらい、応援してくれている人たちの言葉が試合中に見えていたというのは、すごく力になりました」。

▲25年全豪ではダブルス準優勝。グランドスラム優勝も視野に入れています

地元に感謝「また見たいと思われるテニスを」

一つの大きな夢をかなえた田中選手ですが、その活動の原点には、高校時代の入院を機に家族で移り住んだ埼玉県所沢市があります。市内には田中選手がお世話になっているリハビリセンターがあることもあり、パラスポーツが日常の風景になっているそうです。

「競技をはじめたときの練習拠点探しから、地元の人たちにいろいろな情報をいただいたり、一緒に探していただいたり、助けていただきました。定年退職されたテニス愛好家の方が、毎週一緒に練習してくださるとか。ずっと応援してもらって、ここまで来たと感じています」

地元の人たちの優しさやありがたみを知るからこそ、岩野耕作コーチから明治安田「地元アスリート応援プログラム」を紹介してもらったときは、自分にぴったりなプログラムだと感じたそうです。

「グランドスラムに出場して、パラスポーツは楽しそうと思ってもらったり、頑張っているのが勇気になると言ってくれたりする人が増えたらうれしいです」。自分が結果を出すことで、日頃の感謝の思いを伝えていきたいと考えています。

24年は、明治安田川越支社の研修会でスピーチをするなど、コート外の活動にも積極的でした。「何か喋るたびに反応してくださる方もいらっしゃるので、私的には喋りやすい環境でした。元々喋ること自体がすごく好きですし、緊張しますが、何かを伝える機会がいただけるというのは、とてもありがたいなと思っています」。

自然と周りに人が集まってくる田中選手は、もともと“応援される才能”があるのかもしれません。

「またみんなに見たいなと思ってもらえるようなテニスをしていきたいです。応援ありがとうございました。これからもたくさんの応援をよろしくお願いします」

▲常に進化を追い求める田中選手。今後に向けては「サーブの改良」を課題に挙げました ©Nakayama Toshihisa

たゆまぬ向上心 サーブ改良でさらなる高みへ

25年シーズンの目標は、グランドスラムでコンスタントにシングルスベスト4・ダブルス決勝進出をすること、世界ランキング8位以内の選手が参加資格をもらえる国際大会にシングルスで出場することだといいます。これらを達成するために現在は、「サーブの改良」に取り組んでおり、まだまだ彼女の向上心は尽きません。

24年夏の大舞台では、「回転のかかった遅いサーブ」を多用していた田中選手ですが、「慣れられると相手に余裕を持ってコースをねらわれてしまうので、シングルスだと結構命取り」と自己分析します。「今はもう少しスピードがあるサーブをミックスし、先手をこちら側から取れるようにというイメージはあって、新しいものにも挑戦しています」。

4年に1度の夢舞台で金メダルを獲ってもなお、歩みを止めない田中選手。はたして25年シーズンはどんな活躍が見られるのでしょうか。今後もそのパフォーマンスが楽しみでなりません。

(編集:4years.)

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貢献したい地元:埼玉県所沢市

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