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明治安田 地元アスリート応援プログラム

地元の若手アスリートを地域社会とともに応援しよう!

埼玉県

車いすテニス

田中 愛美

たなか まなみ

日本史上初の金メダル獲得!新たなスタイルで再び頂点をめざす

埼玉県のアスリート、車いすテニスの田中愛美選手(長谷工コーポレーション所属)は、2024年夏にスポーツ選手なら誰もが夢見る一大イベントで金メダルを獲得しました。25年は、激戦によるひじの負傷やランキング制度の改定などに直面しながらも、ラケットの変更やセルフケアの徹底によって新たなスタイルを確立。最高の場所で栄光をつかんでもなお、彼女の飽くなき挑戦は続きます。

高1で下肢にまひ 不屈の闘志で車いすテニスへ転向

今でこそ海外を転戦するアスリートですが、小学生のころはスポーツとは縁遠かったという田中選手。「中学校入学前、制服の採寸のときに『あら、キユーピーちゃん体形ね』って言われたんです」。そこからスポーツに目を向け、“格好から入る”形でテニスに打ち込むようになりました。

ところが、その日常が一変します。高校1年の冬、その日は雪が降っていました。自宅マンションの階段で足を滑らせて転落。すぐに手術を受けましたが、腰骨を折るとともに神経が傷ついて下肢にはまひが残りました。

リハビリ用に転院した病院を含め入院は4ヵ月におよびましたが、田中選手はリハビリを切り上げて入院生活を終えることを決断します。「友だちと一緒に高校を卒業したい、部活も今いる仲間と引退まで活動したいという気持ちが強くありました」。車いすでの生活になりましたが、テニス部の顧問の先生に、「雑用でもいいから部活動をさせてほしい」と頼んだそうです。

しかし、その申し出は断られました。「先生が、『戻ってくるならプレーヤーとして戻ってきなさい』と言ってくださったんです。そのとき、車いすでテニスをはじめようと決意しました」

▲先生の言葉で田中選手(左)は決意し、プレーヤーとしてテニス部に帰ってきました

部活動では仲間と一緒に練習をして、帰宅途中にリハビリテーションセンターに寄り、トレーニングに励みました。

努力の末に獲得した、夢舞台での金メダル


高校卒業後は、企業にアスリート雇用してもらい国内で実績を積んでいくと、2年目からは海外の大会に参戦。3年目に日本代表となり、メダル獲得とはなりませんでしたが、目標の夢舞台に立ちました。その後も活躍は続き、23年開催の杭州アジアパラ競技大会では、上地(かみじ)結衣選手とのペアで女子ダブルス優勝を飾ります。

そして、これらの経験を糧に最高の結果が出せたのは24年夏、3年ぶりに訪れた世界的なスポーツの祭典です。上地選手と再びペアを組み、順調に勝ち上がっていくと、ついに辿り着いた決勝の舞台では、3時間にわたる大熱戦の末、前回大会チャンピオンのオランダペアを撃破。女子ダブルスで日本史上初の金メダルに輝きました。

勝利の瞬間、コート上で思わず涙を流し、上地選手と喜びを分かち合った田中選手。世界トップの強豪ペアと激しい打ち合いが繰り広げられるなか、最後まで戦い抜くエネルギーになったというのは、たくさんの寄せ書きが入っている日本の国旗だったといいます。「観客席のところにそれを掲げてもらい、応援してくれている人たちの言葉が試合中に見えていたというのは、すごく力になりました」。

▲26年1月のメルボルンオープンでの田中選手。自身に合うラケットを探りながらの戦いになりました

全米オープンの悔しさを経て学んだ「次の一手」


25年シーズンは、自身の長所を再確認するとともに、新たな課題を発見する貴重な1年となりました。7月のウィンブルドン前哨戦であるブリティッシュオープン(芝コート)では、得意のスライスを極限まで活かす戦術が完全に的中。シングルスで世界ランキング2位の中国選手を撃破し、ダブルスでもグランドスラム王者のペアを破って見事に優勝を飾りました。

しかし、9月の全米オープンでは、格上選手を相手にじっくり組み立てようとした隙を突かれ、先手を取られて悔しい1回戦敗退となりました。「大舞台で気合の入る相手のメンタルまで計算し、ゲームを作らなければいけないと痛感しました」と振り返る田中選手。

この経験から、ただ自身のテニスを展開するだけでなく、試合序盤に「威力のあるフォアハンド」などのバリエーションをあえて見せることで、相手の戦術や心理を揺さぶる、そういった駆け引きの重要性を学び、新たな課題として意識するようになりました。
前年からの課題だったサーブについても、遅いサーブに加え、夏以降は速いフラットサーブでエースを取る確率が大幅に向上し、大きな武器へと進化を遂げました。

▲常に進化を追い求める田中選手。フィジカルに加え、メンタル面や戦術面の強化を図ります ©Nakayama Toshihisa

26年からは、世界ランキングの集計対象が「上位8大会」から「12大会」へと変更され、これまで以上の転戦と連戦が求められる過酷なレギュレーションとなった車いすテニス。トレーナーの全遠征帯同が難しいなか、3月から田中選手は電気治療器を新たな相棒に迎えました。試合前後のアップやクールダウンで劇的な効果を実感しており、徹底したセルフケアによって長丁場のシーズンを戦い抜くコンディショニング体制を整えています。

さらに、25年秋口から悩まされていたひじの怪我を克服するため、26年の年明けには長年愛用してきたラケットの変更を決断。体への衝撃や負担を減らすために、複数のラケットをテストしながら柔らかいモデルへと移行しました。

パラスポーツの街・所沢から、再び世界の頂点へ

一つの大きな夢をかなえた田中選手ですが、その活動の原点となっているのは、高校時代の入院を機に家族で移り住んだ埼玉県所沢市です。市内には田中選手がお世話になっているリハビリセンターがあり、パラスポーツが日常の風景になっているそうです。地元の人たちの優しさやありがたみを知るからこそ、岩野耕作コーチから明治安田「地元アスリート応援プログラム」を紹介してもらったときは、自分にぴったりなプログラムだと感じたといいます。

25年12月には、明治安田の異業種交流会へ出席。ほかの競技で活躍するアスリートたちとスライドを交えて自己紹介を行ない、「普段の研修会とは違い、ほかのアスリートの取組みから大きな刺激を受けました」と笑顔を見せます。

現在の目標は、シングルスのランキングを巻き返し、7月末の期限までに4大大会(グランドスラム)の出場圏内へ復帰、そして9月の全米オープンでリベンジを果たすことです。その先に見据えるのは、28年に開催される4年に1度の大舞台。そこで再びメダルを獲得する姿を思い描いています。
2年以内にシングルスランキング8位以内に入ってシード権を確保するため、多くのファンから「また見たい」と思われる魅力的なテニスを追求しながら、田中選手は一歩一歩、世界を圧倒する強さを磨き続けます。

(編集:4years.)

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貢献したい地元:埼玉県所沢市

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