悔しさを自信に変え、地元・青森に4年後の活躍を誓う
青森県のアスリート、フェンシング(サーブル)の坪颯登選手(日本体育大学3年)は、地元・青森の応援を力に、2023年はフランスのジュニアワールドカップ個人準優勝、イタリアの世界選手権団体7位、さらに全日本フェンシング選手権大会個人戦6位など、国内外で実績を重ねています。今回は出場がかなわなかった悔しさをバネに、4年後の夢の舞台をめざします。
「お兄ちゃんに負けたくない」が原点
フェンシングにはエペ、フルーレ、サーブルと3種目あり、エペとフルーレが「突き」だけの競技なのに対し、サーブルは「斬り(カット)」も加わることでよりダイナミックな攻防が特徴です。
坪選手にとってフェンシングは、元選手で、青森県黒石市の高校教諭として指導していた父の影響で3歳の頃から体育館に行き、おもちゃの剣を持って遊んでいたのがはじまり。本格的に競技をはじめた頃の最大のライバルが、フルーレ種目で以前に日本代表経験があり、現在はコーチとして働いている2歳上の兄・颯馬(そうま)選手でした。
「“プレ、アレ(はじめ)!”の合図でお互いダッシュで駆け寄って、剣を振り回す。お兄ちゃんに負けたくない! というだけなので、いま映像を見返すと恥ずかしいです(笑)。どんな相手にも負けるのが悔しいから、泣きながら両手で剣を持って突いたこともありました(笑)」
負けず嫌いの魂に火をつけた海外遠征
勝負に対する思いの強さ、そして武器である「スピード」を生かすべく、中学2年のときに強化育成事業へ参加した坪選手は、本格的にサーブルへ挑戦することを決意しました。わずか7人という少数精鋭の強化チームに選出され、オーストラリア遠征へ。同年代ながら自分よりも身長やパワーで勝る海外勢と戦ったことが、坪選手の負けず嫌いの魂に火をつけました。
「(自分の方が)小さくてもスピードや技術では負けていない。でも試合になるとあと一歩が届かず海外の選手に負けてしまうので、日本にいても常に年上の相手や、自分より強い相手に勝ちたいと練習から意識するようになりました」
そして、19年のアジアカデ(U17)選手権大会では、個人戦決勝で同世代のライバル小久保真旺(まお)選手を破り、優勝しました。
弟の一言と「応援プログラム」に支えられた
幼少期を過ごした青森県黒石市から、フェンシングが盛んな同県むつ市に転居し、日本フェンシング協会の推薦で「JOCエリートアカデミー」に入るため、中学3年で上京しました。
大好きな地元を離れる寂しさや「本当にやっていけるのか」という不安を抱きながらも、トップアスリートとして強さに磨きをかけられる環境に身を置ける喜びにあふれていました。
しかし、試練が訪れます。技やスピードに遜色はなくとも、日本代表の練習に耐えるフィジカルがまだ備わっていなかった体が悲鳴をあげ、相次ぐけがに見舞われたのです。
苦しさや悔しさを抱いていた坪選手の背中を押したのが、当時10歳の弟、颯心(そうしん)選手からかけられた「颯登なら大丈夫でしょ。けがが治ればまた復活して、優勝できるよ」という一言でした。明治安田「地元アスリート応援プログラム」の存在を知ったのも、まさにそんなときでした。
「青森の指導者の方から教えていただきました。自分が活躍することで地元に貢献できる、盛り上げることができるなら本当にうれしいし、すばらしい。今の僕があるのは地元・青森での支えやサポートがあったからこそで、このプログラムを通して恩返しできるかもしれないと思いましたし、ご支援をいただくことを自分の強さにしたいと思い、応募しました」
21年11月の試合中に左ひざの半月板を損傷し手術。回復に半年近くかかり、ようやく練習の精度も上がってきたときに、今度は自転車事故で鎖骨を骨折しました。
そんなときにも心の支えになったのは、地元の方からの温かい声でした。
「けがをして『坪はもう駄目だ』と言われたこともあって、その中でも、支援してくれた方々は、『絶対颯登だったら大丈夫』とか、『信じてるよ』だったり。そういう温かいメッセージは、自分にとってはすごく大きくて、すごく支えになっていましたね」
どんなときも「頑張れ」と励ましてくれる地元の温かさ
地元・青森の“祭り”や“海の幸”は今も坪選手を支える活力で、世界と戦う源です。
「黒石といえば『ねぷた』と『よされ』。子どもの頃から慣れ親しんできたので、僕にとって夏といえば『祭り』。むつ市は海に近く、海産物が最高においしい。特にホタテやマグロは最高で、大会や合宿を終えて久しぶりに帰省したときにおいしい地元の海産物を食べるだけで癒やされます」
今でも帰省すれば多くの人から「頑張ってね」「応援しているよ」と声をかけられます。地元でライブ配信された海外試合を見て、「あの試合良かったね」と感想を述べてくれる人もいるそうです。
「結果を出したときだけでなく、けがをしたときや、うまくいかないときも変わらず『頑張れ』と言ってくれる青森の方々の温かさが僕にとっては本当に大きい。地元の方たちに喜んでもらえるように頑張りたい、と心から思えるし、競技人生における活力。地元・青森は僕の大切な場所で、いつも自分を助けてくれる存在です」
「必ず恩返しをするので、見守っていてほしい」
けがからの復帰を果たした23年は躍進のシーズンでした。
2月のフランス・ドゥルダンで行なわれたジュニアワールドカップでは個人で準優勝すると、3月の全日本選手権大会個人戦で6位に入るなど、国内でも安定して勝てるようになりました。
残念ながら24年の4年に1度の夢舞台は団体で出場をめざすも、日本は代表枠を獲得できませんでした。
「大きな目標でもあったので、すごく悔しい思いをしました。今となっては学びとなって、自分の身となり、自信となって変わっている。今のモチベーションになっていると思います」
今後の目標は、「9月にある全日本選手権の個人で優勝することが一つ。もう一つの目標が、海外大会でメダルを獲得すること」と力強く宣言します。
「むつ市で26年に国民スポーツ大会フェンシング競技が開催されます。海外でメダルを獲得し、その姿を国スポで披露し、地域の子どもたちからお年寄りまで、地元の皆さんを元気づけたい。たくさんの方々に応援してもらえる人間力を身につけるために、さまざまなイベントなどに参加し、地元の方々や明治安田さんに恩返しできるように取り組んでいきます。自分が駄目になるときもあるかもしれませんけど、必ず恩返しをするので、見守っていてほしいです」
悔しさをバネに、4年後の夢舞台出場をめざす坪選手。地元・青森を思い、戦い続ける姿は、きっと多くの人に勇気を与えてくれるに違いありません。
(取材・制作:4years.)
※プロフィール画像 Ⓒ日本フェンシング協会
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