「社会が抱える課題、欠落を指摘し、あるべき姿を提示することが芸術の役割」そう語る画家の千住博さんは、ニューヨークを拠点に約30年、創作活動を続けている。弟の明さんは作曲家、妹の真理子さんはバイオリニストとして活躍しているが、自身も幼少の頃からバイオリンやピアノを弾き、音楽への思いは並々ならぬものがある。そんな千住さんが来年、東京で公演されるモーツァルトのオペラ「魔笛」の美術を担当。そこで「魔笛」やモーツァルトの作品の魅力、音楽や芸術への思いを伺った。
天才芸術家の作品はシンプルで明るい
「弟や妹が音楽を始めたのは、もしかしたら私の影響なんですよ。私が幼少の頃、バイオリンやピアノを楽しそうに演奏しているのを見て、自分もやりたくなったんでしょう。だから私はもっと2人に感謝されるべきなんですがね(笑)」
千住さんは高校時代まで楽器を続け、美術と同じくらいの情熱を音楽にも捧げていた。子どもの頃からこよなく愛してきたモーツァルトの作品の魅力についてはこう語る。
「彼の音楽を聴くと、他の作曲家の作品には何か物足りなさを感じてしまう。唯一無二の大天才です。モーツァルトの曲は簡潔明瞭で、無駄な音が一つもない。聴く者をはるかかなたの高みへ導く超越性をもちながら、シンプルで明るい。そんなところはピカソや横山大観のような天才芸術家、全てに共通した特徴だと思います」
「魔笛」はモーツァルトが亡くなった年に書いた、彼の最高峰といえるオペラである。それまでのオペラが王族や貴族からの依頼により、イタリア語で書かれたのに対し、「魔笛」は市民劇団からの依頼で、ドイツ語によって書かれている。
「主人公がパートナーとともに魔法の笛の力で試練を乗り越え、結ばれる。ファンタジックな世界観を舞台にした、普遍的な若者の成長物語、愛の物語です。夜の女王などの魅力的なキャラクターもたくさん登場して、子どもから大人まで誰もが楽しめます。私は真に優れた芸術作品とは本来、そのようなものだと思っています」
「魔笛」はこれまで世界中で様々な演出によって上演されてきた。来年、東京で上演される「魔笛」は、モーツァルトの時代に近い古楽器による演奏と、千住さんを始めとした現代の最高峰の日本人クリエイターによる演出や美術・衣装・映像が融合した、かつてないパフォーマンスアートになるという。
「すでにクリエイターの皆さんと準備を進めていますが、様々な分野の傑出した才能をもつ方々と力を合わせて、現代版『魔笛』をつくりあげることに大きな喜びを感じています。私自身、どんな舞台になるのか今からワクワクしています」
「魔笛」が突きつける人類の三つの課題とは
ニューヨークに暮らす千住さんは国や民族の争い、人種差別や気候変動など、現代社会が抱える課題に胸を痛めながら、芸術によって何ができるかを日々、自問自答しながら創作を続けている。そんな千住さんは現代の社会で「魔笛」を上演することの意義を、次のように語る。
「今、世界を覆う紛争や分断を乗り越えるうえで大事なことは、人を信じること、約束を守ること、忍耐することではないかと思います。『魔笛』にはこの三つが、常に通奏低音のように鳴り響いています。この三つこそ人類が乗り越えるべき永遠の課題であり、このオペラが見る者に突きつけてくるものです。『魔笛』が時代や民族を超えて人を引きつける理由、今という時代に上演する意義もそこにあると考えています」
さらに千住さんは、歴史を振り返れば、人類存続の危機ともいえる過酷な時代ほど、偉大な芸術が生まれてきたと言う。
「ルネサンスは人類史上最悪の疫病といわれるペストの流行の後、大航海時代による新しい人間観や科学的思考の提示として生まれました。印象派は戦争の間の暗い時代に、光と温かな色彩で日常を楽しむことを提示し、人々を癒やし、励ましました。日本でも戦国の世に狩野永徳が、平和への思いを込めた日本の宝ともいえる芸術を生み出しています」
異国にいるからこそ、日本文化の良さを客観的に再認識できるようになったという千住さん。11月には日本の子どもに、いくつかの公立の小学校で、美術を通して多様性や個性を尊重することの大切さを伝える授業も行う。今後も〝世界の欠落を指摘し、あるべき世界を提示する〟芸術の力を信じ、創作活動を続ける。
ORCHARD PRODUCE 2024 鈴木優人&バッハ・コレギウム・ジャパン×千住博
モーツァルト:オペラ≪魔笛≫(新制作・全幕上演)
〈日時〉2024年2月21日(水)18:00開演、22日(木)、24日(土)、25日(日)各日14:00開演〈会場〉めぐろパーシモンホール(大ホール)〈出演〉鈴木優人(指揮)、バッハ・コレギウム・ジャパン(管弦楽・合唱)、イルカー・アルカユーレック(タミーノ)、森麻季(パミーナ)、平野和(ザラストロ)、モルガーヌ・ヘイズ(夜の女王)、大西宇宙(パパゲーノ)、森野美咲(パパゲーナ) ほか
〈演出〉飯塚励生〈美術〉千住博〈衣装〉高橋悠介(CFCL)〈映像〉ムーチョ村松〈料金〉S席23,000円、A席18,000円、B席14,000円、C席8,000円(全席指定、税込み)※未就学児の入場はご遠慮ください。
■チケットのご購入は 10月21日(土)~Bunkamuraチケットセンター TEL.03-3477-9999(10:00~17:00)、オンラインチケットMY Bunkamuraにて先行発売中
Profile

千住 博さん
1958年東京都生まれ。87年に東京藝術大学大学院後期博士課程単位取得満期退学。抽象表現主義に根ざしたミニマルな表現と、日本古来の絵画技法を組み合わせた作品を制作。崇高で巨大なスケールの滝や崖の作品で世界的に知られ、能や舞踊、オペラなどの舞台美術も数々手がけている。ヴェネツィア・ビエンナーレ名誉賞、イサム・ノグチ賞、恩賜賞、日本芸術院賞などを受賞。2007年から13年まで京都造形芸術大学学長を務め、現在は日本芸術院会員、京都芸術大学教授。

