入賞作品紹介

入賞
保護者の部
兵庫県 今西リーナ美由紀 さん
応募方法:WEB

「死ぬ前に、何が食べたい?」と聞かれたら、 私は間違いなく「てづくりの塩おむすび」と答える。 私にとっておむすびは、全てをつなぐ結び目のような役割をしている。 わたしはパッと見、日本人には見えない。 父がスイス、イタリアのハーフ、母は宮崎の人間で、 日本では、いわゆるハーフという立ち位置になる。 私と周りの違いを感じ出したのは、幼稚園の年中さんだった。今の私なら、それがどうした?と、何とも思わないのだが、当時の宮崎ではどこへ行っても「珍しい生き物」扱いだった。 もちろん、悪い意味ばかりではなく、大人達はチヤホヤと可愛がってくれる人がほとんどだったように記憶している。 しかし、同年代の子ども達の反応はそれとは違っていた。私は日本産まれ、日本育ちだったが、毎日のように「外人」と呼ばれた。 そして、国に帰れ、死ねと謂れのない事を当たり前に言われ続けながら生きてきた。 私は、ここで産まれて、育って、みんなと同じ宮崎弁を話すのに、なぜこんな風に言われるんだろう…と考えながら生活する日々。 そんな中、私を救ってくれたのが「おばあさん」の塩おむすびだった。 おばあさんとは、母方の祖父のお母さんで、私にとっては、ひいばあちゃんに当たる。 おばあさんは、宮大工をしていたおじいさんに嫁いでしばらくして石川県の輪島から宮崎に移住してきてた人だった。 私が知っている当時からだいぶ高齢だったが、 いつもしゃんと着物を着ていて、どことなく上品な感じが伝わってくる人だった。孫達にもひ孫達にも、 「ひいばあちゃん」ではなく、「おばあさん」と呼ぶようにと、キッチリ指導していた。 私は元もと小さい頃から活発で、あっけらかんな性格ではあったが、流石に毎日こうも外人だの帰れだの蔑まれれば落ち込む日も増えていった。 そんな7歳のある日、私は母に連れられて、おじいさん、おばあさんの家に遊びに行った。 細かい宮大工の材木仕事をしている優しい顔つきのおじいさんの作業をじっとみていた私の名を、おばあさんが優しく呼んだ。 振り返ると、そこにはおじいさんの大きな湯飲みと、私用に入れてくれた小さな湯飲みに入れたお茶と、大きめの俵型ににぎってあるおむすびが、竹皮に乗せられたお盆を持っておばあさんが優しい笑顔で立っていた。 「みゆきちゃんは、おむすびは好きね?」 そう言って、俵型の大きなおむすびを私の手に渡してくれた。 その時の感触は今でも忘れない。 それは、今まで見た事ないくらいお米の粒が光っていた。その艶々したおむすびを一口齧ると、 本当に涙が出るくらい美味しかった。 柔らかめの少し粘り気のあるご飯が、つきたてのお餅のように柔らかいその塩おむすびは、お米と塩がほんのりと甘く感じたとても優しい味だった。 あっという間にペロリと2つたいらげた頃には、落ち込んでいた気持ちはどっかに飛んでいっていた。 満足そうに食べる私の顔を見て、おじいさんとおばあさんが、「もう大丈夫やからね。」と言って何度も頷いていた。 それから私は、おじいさんとおばあさんの家に行くと、まずはおむすびを食べさせてもらっていた。 食べれば不思議と元気がでてくるそのおむすびは、いつしか私には無くてはならないものになった。 今では、私の娘達も事あるごとに「おむすび」をねだる。私が作ったおむすびを食べると嬉しくなるんだという。 おばあさんの塩おむすびはわたしにとって生きる力をくれた大切なおむすびだ。孫ができても、ひ孫ができても、同じように、食べさせてあげたい。 そんな、おばあさんの塩おむすびの思い出は私の宝。 今は亡きおばあさんに、心から伝えたい。 「あの時、私におむすびをつくって食べさせてくれて、本当にありがとう。生きてればいろんな事がある。だけど私は今も元気にやってるよ。」と。

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