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田んぼで生きものと触れ合い、日本の農業や食、環境について発信しています。
広告特集
企画・制作 朝日新聞社メディアビジネス局
東日本大震災が起きたニ○十一年三月十一日、私はまだ四歳だった。スーパーでお米が手に入る当たり前の日常が、当たり前でないのだと知ることになった出来事だった。 地震発生当時、私の家族は別々の場所にいた。大きな揺れがきた時、保育園の先生が安全な場所にみんなを集めた。緊張が入り混じる重々しい空気だったことをよく覚えている。そこからの時間はとても長かった。外が真っ暗になってもなかなか母は迎えに来なかった。 この日、街は大混乱だった。電車は止まり、道路にはたくさんの人があふれていた。母は必死に歩き続け、夜八時過ぎにようやく保育園に辿り着いた。私を見つけると、泣きそうな顔でギュッと抱き締めてくれた。家に帰ると何より先に「お腹空いたでしょ。」と炊きたてご飯でおむすびを握ってくれた。たらこと昆布のおむすびだった。温かいおむすびを食べて、カチカチに固まっていた心が解けていったような気がした。 その頃住んでいた家の傍に商店街があった。商店街にはおむすび屋があり、私はそのお店のおじさんとおばさんに可愛がってもらっていた。自家製の糠床もあり、私はその糠味噌漬けが大好物だった。初めて一人でお使いに行った時、おじさんから「おむすび」の意味を教えてもらった。「人と人を結びつけるおむすび屋だから、君にも出会うことができた。また買いにおいで。」と、小さめのきゅうりの糠味噌を一本おまけしてくれた。 後から聞いた話だが、この震災の影響でスーパーの棚が空っぽとなり、母はお米が買えなくて困り果てたそうだ。事情を知ったおじさんは快くお米を分けてくれ、私にと牛乳も用意してくれていた。人の心を温かく繋ぐ「おむすび」効果を感じた日でもあった。 東日本大震災から十年が過ぎた。昨今も、あちらこちらで起きる災害をニュースで見る度に、あの日父母や祖母、友達、みんなの命が繋がっていることを改めてありがたく思う。あの商店街のおむすび屋はもうない。私が小学校に上がる頃、おばさんが亡くなり、おむすび屋さんは店を閉じたそうだ。 私は小学生になり、遠足や運動会、また試合や塾など、お弁当を作ってもらう機会にはいつもおむすびをリクエストした。たらこがご飯全体に混ぜてあるのが母流だ。昆布はご飯からはみ出るほどたっぷり入っている。成長と共に段々にサイズが大きくなり、数が増えていった。母の握る三角形のおむすびはいつも安心と勇気を与えてくれた。 あの日の特別なおむすびは家族との絆を深く結ぶものであった。今年の夏は東京オリンピックを観戦しながらおむすびをほおばった。自分も夢中になれる何かに出会いたいという気持ちが生まれた。これも結び効果なのかもしれない。この夏の感動をおむすびと共に家族の記憶に刻んでおきたい。
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