
古代ローマの都市にはフォルムと呼ばれる公共広場が設けられ、ポンペイもその例に漏れなかった。ローマの植民市となる以前から、ポンペイには市庁舎や多目的ホールや選挙投票場、市場や穀物取引所といった政治・経済の主要施設が建ち並び、都市の心臓部として機能した。多くの人は商売や買い物や神殿への参拝がてら、世間話を楽しんだだろう。異国の商人や旅行者たちも集まり、外の情報を取り入れるには最適な場所だった。公共広場は馬車や荷車の進入が規制され、まさに歩行者天国。人々の活気に満ちあふれる光景が広がっていた。
富豪の邸宅は庶民の住まいと違い、天窓、柱廊、庭園、噴水などを備えていた。その造りは地位や財力を示す手段の一つで、富豪たちは競うように意匠を凝らしたのだ。招かれた人々は、そこに飾られた数々の壁画や彫刻を鑑賞できた。富豪の邸宅は街の美しい景観のみならず、人が芸術に触れる機会を創出していたといえる。
古代ローマ人らしく、ポンペイの人々も入浴を好んだ。現在五つの公共浴場が発掘されているが、貧富の差や性別を問わず午後には多くの人が集まったとされている。脱衣所を経て、巨大な火鉢で暖められた温浴室で体を慣らし、熱浴室で熱い湯につかった後に、水風呂のある冷浴室で体を冷ますという流れが基本だった。施設内ではマッサージやあかすりを楽しめた。浴場に隣接する運動場で入浴前に体操や球技で汗を流す人も。気の置けない友人たちとの話に花を咲かせながら、夕食までの数時間をのんびりと過ごした。


食事は基本的に朝夕の2回。朝にはパンやチーズを食べた。昼に軽食を取ることもある。一方で夕食にはこだわりを詰め込み、ナポリ湾や近郊でとれた魚介類や鶏、野菜や果実を使用したメニューを食したといわれる。庶民は自宅では火を使った調理はせず、大衆食堂や屋台に集まり、カウンターに並ぶできたての料理を味わう人も。富豪は美食を追求するために異国の食材や珍味を取り寄せ、毎晩のようにうたげを開いた。
職業は多種多様で、人々はパン屋や青果店、酒場、総菜を販売する店などで食べ物を商ったり、ガルム(古代ローマの魚醤)や織物の工場で働いたり、鍛冶、壁画、宝石細工などの職人になったりして生計を立てていた。また、ヴェスヴィオ火山の裾野はブドウ栽培に適していたため、ポンペイの農園主はワイン造りにも注力し、特産品として近郊都市に輸出。彼らの多くは次第に財をなしていった。