09星野村 福岡県

岩倉 しおり

  • 都会では滅多に見られない星空が広がる福岡県八女市星野村=2020年3月19日、岩倉しおり撮影
  • 新緑の季節、青々とした山に抱かれて=2020年3月20日、岩倉しおり撮影
  • 村の代表的な景観・石積みの棚田があちこちで見られる。点在する古民家は空き家もあり、対策が練られているところだ=2020年3月20日、岩倉しおり撮影
  • 石積みは人の身長より高い部分が多い。石の運び方、積み方に工夫をこらした棚田には、先人たちの思いが詰まっている=2020年3月20日、岩倉しおり撮影
  • 咲き誇る桜=2020年3月20日、岩倉しおり撮影
  • ヒガンバナ科の植物である可憐なスノーフレーク=2020年3月20日、岩倉しおり撮影
  • 美しい影をつくるユキヤナギ=2020年3月20日、岩倉しおり撮影
  • 村づくりプロジェクト「星野未来塾」では、今より村の人口を増やし2030年までに2,500人にすることを目標に掲げている=2020年3月20日、岩倉しおり撮影
  • 星のふるさと公園の中にある自然湖・麻生池=2020年3月20日、岩倉しおり撮影
  • 麻生池は全周約700メートル。遊歩道があり散策できるようになっている=2020年3月20日、岩倉しおり撮影
  • 池の水面に映る月=2020年3月20日、岩倉しおり撮影
  • 星降る夜を歩いて=2020年3月19日、岩倉しおり撮影

棚田と茶畑と星が広がる里

災害を経て人がつながり未来を照らす

ぐねぐねと横に波打つような、不ぞろいの形をした緑の階段が、空へと続くように山肌に刻まれている。蹴上げ部分には大小様々な石がやはり不ぞろいに積み上げられている様子が見られ、この造形物が人の手による有機体であることを感じさせる。「日本で最も美しい村連合」に加盟する福岡県八女(やめ)市星野村を代表する景観・石積みの棚田だ。大部分が急な地形からなる標高200~1000mの土地で、先人たちが少ない耕地を何とか生かし、生活の糧を得ようと多くの年月と苦労を重ね、築き上げた。

「ランドスケープに歴史の層が入っている気がします。汗と苦労と涙と笑い。人の魂の声が聞こえてくるようです」。棚田を目にした「SATO」プロジェクトのナビゲーターで上智大学大学院のあん・まくどなるど教授は過去に思いをはせた。前回に続き、ゲストナビゲーターを務める国連WFP(世界食糧計画)日本親善大使でありモデルの知花くららさんは「緑の山に抱かれた星野村のみなさんが未来のことを大切に考えて今をつくっていらっしゃるお話を聞くのを楽しみにしていました」と新緑の美しさを前に声を弾ませた。

「風景の中にある色々な物語を現地の方に聞かせてもらいましょう」といざなう、あん教授と一緒に、星野村の物語を尋ねる旅に出た。

空へと続く緑の階段

NPO法人「がんばりよるよ星野村」理事長の山口聖一さん(71)に広内・上原(ひろうち・うえばる)地区の棚田を案内してもらった。山口さんは、2012年7月11~14日に30人が亡くなり2人が行方不明になった九州北部豪雨で被害を受けた星野村の復旧支援に、ボランティアの人たちと一緒に取り組んでいる。少し離れた展望台から見る棚田は全体的に緩やかな印象だが、近づくと、石積みは人の身長より高く、石はごつごつしていて城壁のようだ。石の側面には天保8年と刻まれている。江戸時代にあった天保の大飢饉を逃れるために新たな田んぼを開墾して米を作ったのではないかと考えられている。

「迫力がありますね。重機などがない時代にどのようにして作ったのでしょうか」。驚いて尋ねたあん教授に、山口さんは「石の上で焚き火をして熱してから水をかけて割って運んだそうです」と教えてくれた。棚田は、約12.6ヘクタールの場所に425枚の田んぼが137段にわたって広がっている。幅が1mに満たないところがある一方、長さが300mにもなる田んぼもある。

「この棚田の特徴です」と山口さんが手を向ける方へ目をやると、石積みの上方が反っていた。「少しでもお米を多くとりたいという先人たちの思いがつまっているのです」

山口さんは星野村で生まれ、高校卒業までを過ごした。関東の大学に進んでからは横浜市や海外が拠点だった。定年退職後は郷里でゆっくり過ごそうと、準備のために帰省していた時に九州北部豪雨に遭った。幹線道路が至るところで崩落し、外部との行き来ができなくなったため、自分たちで何とかしなければならない。でも、ほとんどの人が被害に遭っていて他の人のことに手が回らない。人々の生活の場である農地の復興が置き去りにされている惨状を目の当たりにして、このままだと星野村は消滅するのではないかという強い危機感を抱き、自ら動くことにした。

きれいだなぁ。見た目のみでそう捉えていたが、棚田に流れ込んだ泥をかき出すために入るうちに、その多機能性を実感するようになった。例えば大雨が降って山から水が流れた時、水はまず一番上の田んぼにたまり、あふれたら下の田んぼへ、下の田んぼへと順に落ちていく。降った雨の一部をためるダムの役割も果たしていて、一気に流れ落ちて地滑りが起こるのを防いでいた。もちろん、おいしいお米をつくるところでもある。「棚田の多機能性を知ったからこそ、自分たちの代で、これを終わらせるわけにはいかないという気持ちになりました」。今はNPOのメンバーが、田植えから稲刈りまで、稲作の一連の作業を手伝っている。近くの八女市立星野小学校の子どもたちがそれらの作業に加わり、できたお米は学校給食に提供される。

知花さんはネパールを訪れた時のことを話した。現地は丘陵地帯が多く、急斜面にある、まさに棚田のような畑を村の人たちが一生懸命に作り、命がけで耕しているという。「大きな問題がランドスライド・地滑りです。豪雨があるたびに、多くの犠牲が出ることがすごく課題なので、棚田のような日本の技術を教えてあげたいです」

NPO法人国際ボランティア学生協会 (IVUSA)の活動を通じて山口さんと交流している寳(たから)颯太さん(20)は、長崎県立大学で地域の勉強をしており、20年、棚田の稲刈りに初めて参加した。「授業などでは人口減少などが悲観的に語られることが多いのですが、実際に行くとそうではなく、自分たちで地域を盛り上げていこうと楽しんでいる人たちが多いことに驚きました」

高級茶を生み出す山間地の気候と風土

棚田とともに星野村の景観をなすのが茶畑だ。村では至るところで半円状に刈られたお茶の木が見られる。星野村では、明治後期に高級茶・玉露が試製されて以降、改良が進められ、全国の品評会などでも認められるようになった。品評会玉露の部で最高賞である農林水産大臣賞を2回受賞した実績を持つ、倉住星渓園の倉住健吾さん(30)を訪ねた。

天井部分がワラで覆われた茶園に入ると、収穫の時期で、何人もが茶葉をひとつひとつ、丁寧に摘んでいた。今は少なくなった手摘みだ。品評会用のものは最上部のいい部分だけを摘む。覆いは光を遮り、温度と湿度を適度に保つ。この環境が柔らかくて緑が濃い伝統本玉露を生むそうだ。

あん教授は「緑の香りだけではなくて、土壌の香りもすごいですね。いいお茶を作るにはいい土壌でなければいけませんよね」と茶園の香りを吸い込んだ。知花さんは葉にそっと触れ「すごくつやつやしていて繊細な感じがします」と柔らかな感触を楽しんだ。

「星野村は山間地域なので寒暖差が大きく、朝は霧がかかってある程度の湿度がある。土壌は水はけがいいので、雨が降っても不要な水は抜け、茶を育てる条件に恵まれています」と倉住さんは説明してくれた。10アールの茶園での収穫量は200~250kg。乾燥させて加工すると総量の15~16%になり、商品段階では30~40kg分だという。

倉住さんは20歳から4年ほど星野村を離れて別の仕事に携わったのちに、お茶作りをするようになった。かつての仕事がいやだったわけではなかったが、九州北部豪雨などもあり星野村に戻ってきた。強くはなかった家業への気持ちが、最近は少しずつ固まってきた。「生まれ育った星野村で、できる仕事をしながら暮らしていけるということは、魅力的だしありがたいと感じます」と静かな口調で話した。

「星の村」づくりを目指す

標高が高く、人口密度が低い環境はきれいな星空ももたらす。高台にある「星の文化館」には九州最大級の口径100cmの天体望遠鏡があり、来場者は昼夜問わず星を観察することができる。ホテルも併設され、星が輝く夜にゆっくり空を見上げられるようになっている。同時に、ここは住民たちが取り組む、村づくりプロジェクト「星野未来塾」の活動の柱でもある。

星野未来塾は九州北部豪雨から6年後の18年11月、住民たちが自ら星野村の未来を考えようと立ち上がった。約10年後の村の将来を考えた時、減り続ける人口を何とか食い止めて、人が住みたいと思える魅力的な村にしたいと、2030年の村の人口を2500人と現状より増やすことを目標とした「星の村・2500計画」を定め、あるべき星野村の姿を21項目にまとめた。そして、それらを国連加盟国が目指す共通の目標であるSDGs(持続可能な開発目標)に掲げられた17の項目と関連づけた。「棚田保全と茶園の観光地化の促進」は「陸の豊かさも守ろう」と「住み続けられるまちづくりを」に、「地域資源に学ぶふるさと教育の推進」は「質の高い教育をみんなに」に、というように。

「星の村・2500計画」では、村名を生かした「星の村」づくりも目指している。星や宇宙の魅力を伝える「星のソムリエ®」を育てたり、星のロゴを作ったりして多くの人が星野村は「星の村」であることを認識できるようにする。プロジェクトには法政大学学際宇宙ゼミナールの学生も加わっている。天文学に関する社会的な課題に対して学問領域を超えたスキルやアイデアを生かし、解決を試みる同ゼミナールが研究フィールドを探していたところ星野村に出会った。戸澤理紗さん(23)は幼い時、田舎に住む祖母の家に夏休みに遊びに行き、夜になるとシートに寝転がって見た星の不思議さにひかれて天文学を目指した。「『星』をキーワードに地域活性化に取り組む人たちがいる場所で、私たちの研究が生かせるのではないかと思いました」。地域づくりに熱心で温かな人たちと接し、大学院卒業後は星野村に住みたいと考えている。戸澤さんの話を聞いていた星の文化館館長の桐野修さん(48)は「ここで見た星が忘れられないから今度は自分の子どもを連れて来ました、という方は多いです」と話した。子ども時代の体験が、その後を形づくっている。

星野未来塾には、多様な経験を持つ人たちが集まっている。

工務店を営み、広内・上原地区の棚田のそばに「カフェ&ジム Sora」を建てて経営する立石弘和さん(36)は、同世代の親の意識を変えたいと強く思っている。星野村に残るより都会に出た方が、選択肢があっていいと子どもに勧める親が多いと感じているからだ。「親がそう言うようでは星野村に人が残らなくなる。親が子どもに対して自信を持って星野村を勧められるようにしたい」と空き屋対策を担う。星野村にある約160の空き家の中から住めそうなところを選んで家主に連絡し、空き家バンクへの登録を呼びかけている。

行政での勤務経験を生かし、星野茶の文化を紹介する「茶の文化館」や「星の文化館」などを運営している、一般財団法人 星のふるさとの専務理事を務める井上茂美さん(64)は「星野村は災害を経てボランティアを中心に村民がまとまりました。地域外からも、たくさんの人が今でも応援に来てくれます。それぞれの役割分担を明確にして、星野村をもっともっと発信すればさらに村の活性化に寄与できると思っています」と力強く語った。

中学1年生の時に父親が急逝した際、周りの人に支えられたことから「将来は星野村のためになることがしたい」と大学へ進んだ山口浩久さん(57)は、星野村が長期的に発展するためには子どもへの教育が必要だと考え、学習塾を営んで実践している。星野村独自の学習として、学校の授業で星について学び、一定の講義を受ければ「星のソムリエ®」のジュニア版資格「星のソムリエっ子(仮称)」が与えられないか、関係者と検討中だ。「私もまた学びたいと、今、大学院へ行くために勉強をしているところです」

星野村という星座に出会えた旅

大きなつながりを持ち、大きな未来図を描く星野村の人たちと心を交わしたあん教授には、ひとりひとりがキラキラと光る星に見えた。「ひとつひとつの光をつなぐと星座になりますよね。みんなすごく濃い色や形や性格があるのですが、それが一緒になって、まるで星野村という星座に出会えたような気がします」

知花さんには、同じビジョンを共有して一致団結している星野村の住民の姿がまぶしかった。「大きな絵を描いて共有することは難しいと思うのですが、星野村ではみなさんがそれをものともせず未来へとつなごうとしていて、とても刺激を受けました。地域活性だとか、今あるものを守って未来に引き継ぎたいだとか思った時には、そういう姿勢が大切なのだなと身に染みました」

知花さんの言葉に、あん教授は「星野村のみなさんは星野村の未来に向けて活動しているだけではなく、星野村以外の人たちの光にもなっているかもしれませんね」とうなずいた。

あん・まくどなるどあんまくどなるど

カナダ生まれ。高校生だった1982年から1年間日本に滞在。1988年、熊本大学留学。全国環境保全型農業推進会議推進委員を務めたほか、気候変動に関する政府間パネルの評価報告書作成に携わる。「にほんの里100選」の選考委員。 2009年上智大学地球環境学研究科非常勤講師、2011年同大同科教授。

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