01猪苗代湖 福島県
岩倉 しおり
母なる湖を守りたくて
白鳥が舞う国内有数の景勝地
雲ひとつない秋晴れの空。白い霧(きり)の奥に磐梯山(ばんだいさん)のなだらかな尾根が浮かび上がる。11月の猪苗代湖(いなわしろこ)は澄み渡り、群青と淡い水色で描いた絵画のような景色が広がっていた。
バサッ、バサササ。宝石をちりばめたかのように輝く水面に、空から4羽の白鳥が舞い降りた。わずかな水しぶきとともに舞い降りる優美な姿は、クラシックバレエの代表作「白鳥の湖」の世界を思わせる。
クゥククククククク、クゥクククククク
朝の静けさの中、甲高い鳴き声が響き渡った。
「のどかで、やわらかい東北がありますね」
「SATO」プロジェクトで日本各地の里を旅する、上智大学大学院のあん・まくどなるど教授は、湖畔に浮かんだ石の上に腰掛け、表情をほころばせた。あん教授は1982年に初来日し、30年来、日本各地の農村文化や民俗学、環境保全の研究を続けてきた。
さあ、あん教授とともに猪苗代湖をめぐる里の旅を始めよう。
日本一の水を育んだ自然の浄化システム
福島県のほぼ中央に位置する猪苗代湖。郡山(こおりやま)市、会津若松(あいづわかまつ)市、猪苗代町の3市町に囲まれ、国内の湖で4番目を誇る面積は、東京ディズニーリゾート51.5個分にもなる。その水は、湖より下流域の田んぼや生活を支えている。
「父なる磐梯山、母なる猪苗代湖ですよ」
あん教授が猪苗代湖についてたずねると、地元の人はそう言って胸を張った。
湖を満たす水は、その北東に位置する「長瀬川(ながせがわ)」や「酸川(すかわ)」など、大小30近い川から流れ込んでいるという。
酸川の水は強い酸性で、湖に流れ込むと、浮いている汚れを湖の底に沈める働きをする。この猪苗代湖のきれいな水を保つ「自然の浄化システム」が、環境省の湖沼水質ランキングで、過去に全国180以上の湖沼中1位の水質を生んだのだった。
じわじわと広がる水質汚染
そんな猪苗代湖で、異変が起きているという。
猪苗代湖の北東部。あん教授らは田んぼ脇を車で走り、湖の浅瀬へと向かった。
地元で長年、湖の保全活動をしてきた鬼多見賢さん(72)が水中に手を入れた。
「水中にたまったヘドロをすくいあげていくんです」
黒いタール状のヘドロをバケツに載せてみせてくれた。
20年ほど前から、湖では夏から秋にかけて湖岸に多年草の「ヨシ」や水草の「ヒシ」が繁殖するようになった。これらの草は、放置しておくと秋の終わりには湖に沈んでいく。腐ってヘドロになると、汚染を広げてしまうという。
「このヘドロ全体を取るのはとてもじゃないけど……」
あん教授は声を落とした。
大人の身長よりも伸びたヨシがぼうぼうと生い茂っていたからだ。
冷たい湖の浅瀬を長靴で歩きながら鬼多見さんはうなずいた。
「バキュームする機械でやるのがいいんだけど……。我々はヘドロをすくい上げてたいひにしているんです」
2002年度からの4年間「日本一」だった猪苗代湖の水質は、「大腸菌群数」が基準を超え、2006年はランク外に。回復した年もあったが、ほぼランク外が続いた。2017年度はランク内の8位に戻ったが、完全復活させるのは容易なことではない。
湖に生息する魚にも変化はなかっただろうか。あん教授は、長年地元で魚釣りをしてきたという宿泊業の伊関利彰さん(68)にも話を聞いた。
「70センチ、4キロサイズのブラックバスがいます。それほど昔と変わっています」
伊関さんは外来種が増えた現状を身ぶり手ぶりを交えて語った。
「それはどんな風に湖に入ってくるのですか」
あん教授は身を乗り出してたずねた。
「わからないです。いろんなうわさはあるんですけど真実はわかりません」
猪苗代湖につながる川の酸性濃度が下がりはじめ、自然の浄化システムが働かなくなったことが原因という人がいた。半世紀以上前に硫黄鉱山が閉山し、水中に流れてくる硫黄が減ったからではないか、という意見もあった。安達太良山(あだたらやま)の火山活動の影響ではないか。農家や家庭からの排水・下水の問題ではないか。川の護岸工事が進み、森林や水域をつなぐ道の生態系が壊れたせいではないか……。
さまざまな原因が上げられ、国や県、地元の団体が調べてきたが、現在もはっきりとした原因を特定することはできていない。
ふるさとのきれいな湖を取り戻したい
あん教授が最も関心を寄せたのは、そんな湖をほっておけないと立ち上がった地元の人たちの活動だった。なかでも、猪苗代町の農家に生まれ育った鬼多見さんは、20代から一日に2、3回湖に足を運び、周辺のゴミ回収を日課とするなど、率先して動いてきた。
「昔から人々を育んできた湖です。誇りに思っているし、愛しているからでしょうね」
鬼多見さんは、水質の変化にもいち早く気付き、水質の原因を探る勉強を始めた。2000年に夫婦2人で立ち上げた「猪苗代湖の自然を守る会」は、今では会員が40人に増え、ヒシの除去やヨシ刈り、ヘドロの回収、ゴミ拾いに、地元企業の社員や、若者たちがボランティアとして加わるようになったという。
あん教授は、鬼多見さんの活動に共感し「守る会」に加わった仲間の声にも耳を傾けた。
菊地美枝子さん(73)は、猪苗代湖の美しさにほれて移住したという。それまで住んでいたのは千葉県。地域の沼が手を付けられないほど汚染されていたことが忘れられないと振り返った。「猪苗代湖もきれいさが少なくなりつつあります。でも、保全活動をしないと汚染は広がっていきますから」
ひとり一人の話をうなずきながら聞いていたあん教授が口を開いた。
「猪苗代湖の話をすると、みなさん目がキラキラしますよね。同じ『LAKE PASSION(湖への情熱)』を持っている仲間が増えて、交流ができて、いろんな可能性が出てくるんですよね」
そう語りかけると、鬼多見さんと仲間たちは照れくさそうに笑顔をみせた。鬼多見さんは言葉に力を込めた。「私には昭和時代の生態系に戻すという目標があります。生態系が元に戻れば、おのずと水質もついてくるはず。子どもたちにあの頃の自然を返したいと思っています」
住民たちの湖に対する熱い思い。「湖の水質汚染の具体的な原因はわからないけれど、いろんな人が一緒になって、次世代へこの里が絶えずきれいであるために地道な活動をしていることに感動しました」。不安そうだったあん教授の表情はしだいに明るくなっていった。
人の手が生み出す万華鏡のような里の景色
あん教授が旅の最後に訪れたのは、磐梯山中腹「昭和の森」の中にある「天鏡台」だった。眼下に母なる猪苗代湖が広がっていた。
「人間が集まることで生まれてくる里は、万華鏡のようにくるくる回ると輝きがあって、色合いが合って、とても美しい。これからいろんな里をまわる中で、それぞれの万華鏡がどのような形や色合いで表れるか、楽しみにしています」
あん教授は、湖と紅葉した秋の福島を目に焼き付けた。
- あん・まくどなるど
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カナダ生まれ。高校生だった1982年から1年間日本に滞在。1988年、熊本大学留学。全国環境保全型農業推進会議推進委員を務めたほか、気候変動に関する政府間パネルの評価報告書作成に携わる。「にほんの里100選」の選考委員。 2009年上智大学地球環境学研究科非常勤講師、2011年同大同科教授。
VIDEO REPORT
猪苗代湖が育む里のつながり
あん・まくどなるど福島県 猪苗代湖