05円山・白王 滋賀県

岩倉 しおり

  • 琵琶湖の内湖である西の湖。滋賀県近江八幡市に位置し、現存する内湖の中では最大の面積を誇る=2020年12月11日、岩倉しおり撮影
  • ヨシ群落と水郷。高さ3~4mほどに成長したヨシは、毎年1~3月にかけてヨシ刈りを行う=2020年12月11日、岩倉しおり撮影
  • 円山で約400年続くヨシ問屋 西川嘉右衛門商店。長さや太さなどによってヨシの選別を行う。=2020年12月12日、岩倉しおり撮影
  • 夕方の西の湖。2008年に琵琶湖のラムサール条約湿地登録エリアに追加されている=2020年12月11日、岩倉しおり撮影
  • 西川嘉右衛門商店の縁側(えんがわ)。簾(すだれ)は円山の良質なヨシを用いて作られた一品=2020年12月12日、岩倉しおり撮影
  • 近江八幡ユースホステルから円山のヨシ群落を眺めて=2020年12月12日、岩倉しおり撮影
  • 西の湖の湖上水田「権座」へ。主に酒米「滋賀渡船六号」を栽培し、純米吟醸酒『権座』を作っている=2020年12月11日、岩倉しおり撮影
  • 西の湖と琵琶湖を繋ぐ長命寺川沿いの夕方の風景=2020年12月11日、岩倉しおり撮影
  • 群生している植物に目を向けて。陽光を受けて穂先が輝く=2020年12月11日、岩倉しおり撮影
  • 西の湖から車で20分ほどで見えてくる琵琶湖=2020年12月11日、岩倉しおり撮影
  • 琵琶湖の湖岸へ。朝の澄んだ空気が広がっていた=2020年12月11日、岩倉しおり撮影
  • 綺麗な青色が印象的な琵琶湖の湖面=2020年12月11日、岩倉しおり撮影

湖とともに生きる

ヨシが生い茂る湖国の里/円山

ヨシとヨシが風でこすれ合ってシャラシャラと乾いた音が鳴る。船頭さんのこぐ舟が前進すると波跡がすっとのびる。

国内最大の面積を誇る琵琶湖と周辺の西の湖をつなぐ水路を舟でめぐると、視界いっぱいに広がる背の高いヨシを水面近くから眺めることができた。

「ここから見る景色には人工的なものがほとんど映らないんです。ヨシがあって、山があって、空がある。家や道路は見えない。これが日本の原風景なのだと感じます」

案内してくれた宮尾陽介さん(36)はしんみりとした。

宮尾さんは立命館大学大学院で水質の研究をし、今は滋賀県の近江八幡市役所環境課に勤めながらNPO活動を通じてヨシの普及に携わる。

ヨシは高さが約4mにもなる大型のイネ科の植物で、水辺に群落をつくる。近江八幡市円山町周辺には約50ヘクタールの群生地があり、「江州ヨシ」と呼ばれるヨシは品質の良さで知られる。簾(すだれ)、衝立(ついたて)、屋根材などに使われてきた。水郷は国の重要文化的景観の第一号としても選定されている。

ヨシが生い茂る湖国の里へ。

この地域にしては珍しくまとまった雪が降った後の初冬のある日、旅に出た。

日本人の生活に即したヨシ、減る需要

江戸時代から400年以上にわたりヨシの卸業を営む西川嘉右衛門商店で、18代目店主の西川嘉武(よしたけ)さん(81)にヨシからつくられた製品を見せてもらった。建具と衝立は100年近く前のものだという。場所によって色が異なる茎の使い方で模様が描かれ、歳月を経るほど味わいが増す。

「SATO」プロジェクトのナビゲーターで上智大学大学院のあん・まくどなるど教授は、簾を目にして「あめ色が出てきた感じがいいですね。こういうものが大好きです」と笑みを見せた。

簾や衝立は日よけの役割を果たしながら風を通すため、かつては多くの家の玄関や縁側に置かれた。夏になると、ふすまの代わりにヨシを張ったヨシ戸に置き換える家もあった。だが、生活様式の近代化に伴いこうした調度品の需要は減った。円山町にはヨシが生える土地を持つ家が約10軒あり、50年ほど前まではそのすべてがヨシで仕事をしていたが今は3軒ほどになった。いずれの家にも後継者はいない。

「ヨシをどう引き継いでいくか。一番大きな問題ですが答えが見つかりません」

言葉を振り絞るように話す西川さんの表情は硬かった。

西川さん自身、ヨシの仕事を始めたのは会社を定年退職した60歳を過ぎてからだった。仕事について親から何かを言われたことは一度もなく、兄も別の仕事に就いた。「本当は継いでほしかったけど、ヨシで生活できるかどうかはわからないので、父は引き継いでほしいとは言えなかったのではないでしょうか」

円山町はヨシと畑と田んぼで成り立っている。ヨシは栽培に手がかからない。春から夏にかけて育ち、秋に枯れたものを冬に刈り取るだけ。作業が農業の閑散期にあたるため、農家の冬の仕事だった。水中の窒素やリンを養分として吸い取るので水をきれいにし、水中の茎の部分は魚の、水上の葉や穂の部分は鳥のすみかとなり、近年では環境面への効果でも知られている。

「最近になってやっときれいだと思うようになったヨシのある景観は、住民が長年にわたり維持してきた産物だということがようやくわかりました。手が入らなければヨシ原は荒野になります。今は先代の努力を無駄にしてはいけない、役割が変わってもヨシを残していかなければいけないと考えています」と西川さんは言った。

ヨシ原の美しさを残したい

西川さんが見つけられない「答え」。西川さんのような当事者以外にも同じ課題に向き合う人たちが出てきている。

2018年にできた「まるやまの自然と文化を守る会」会長の宮尾芳昭さん(69)は円山町で生まれ育ったものの、これまではあまりヨシとの関わりがなかった。好きな写真撮影を通して接してきた景観が失われるかもしれない状況を目の当たりにして「ヨシはもはや地主さんだけの問題ではない。行政、ボランティアなどが協力して何とかヨシを残したい」と考えている。会ではヨシの工作教室やヨシ刈り体験会を開催し、自らもヨシでできたヨシ笛の製作と演奏を担う。

大阪大学大学院博士前期課程2年の小池のどかさん(24)はヨシ原が形成する文化的景観の保全について研究している。3年前に初めて円山町を訪れた時、ヨシが周囲の水路、湖、山々と調和する美しさに感動したことがきっかけだ。調べると、ヨシは地域の産業や生活と密接に関わっていること、ヨシの利用はとても合理的で、この景観はヨシが使われることで成り立っていることがわかった。需要の減少とともに担い手が減り、10年後、20年後にこの景観がなくなってしまう可能性があることが寂しいと感じ、ヨシと人との従来の関係性が薄れても、ヨシ原を保全する手立てはないかを検証している。

「ヨシは産業としてだけではなく水郷めぐりなど観光の資源にもなるなど、多様な価値があるところがすごいです。CSR活動としてヨシの活用や保全に関心を持つ企業も見られ、プラスチックに代わるストローなどヨシを使った商品も開発されています。所有者だけではなく地域外から色々な人たちが参画することでヨシ原を守る仕組みづくりができればいいなと思います」

小池さんと話をしたあん教授は「魅力的な若手の研究者と出会えてうれしいです。ぜひ頑張って下さい」と声をかけた。

小池さんと同じ研究室に所属する陳一寧(チン・イネイ)さん(23)はこの日初めて円山町に足を運んだ。「ヨシ、空、山がきれいです。保全する価値がありますね」

円山町でヨシに携わる人たちと交流したあん教授は「新たな使い方が出てくると将来性がありますし、最近はエコ・フレンドリーな生活がいいとされているので、これからヨシの役割も見直されるのではないでしょうか」と期待を寄せる。

湖上に浮かぶ田で酒米をつくる/白王

円山町が接する西の湖にぽっかりと浮かぶ田んぼがある。同じ近江八幡市の白王町。ここでは住民が一体となり、地名からとった「権座」という名の純米吟醸酒になる酒米を作っている。

近江八幡の水郷が国の重要文化的景観に選ばれた2006年。地元の人たちがこれを契機にふるさとの景観を守り、地域を盛り上げられないかと考えた。その時、「滋賀渡船六号」という酒米を知った。県が奨励して作られていたものの、稲穂が倒れやすくて効率的な収穫ができず途絶えた品種だ。名前の通りまさに「渡りに船」だった。舟でしか行けない水田のイメージにもぴったり合った。住民たちで白王町集落営農組合を設立して滋賀渡船六号を栽培し、権座を核にした地域起こしが始まった。

それまでは通常のうるち米を作っていた2.5ヘクタールのうち、1.5ヘクタールで滋賀渡船六号を作付けしている。水田は船着き場から100mほど離れたところにある。重さが数トンにもなる農業機械はいくつもの舟を連結して渡した板の上に載せて運ぶ。

「ここへ来るには必ず舟に乗る必要があります。転覆の危険はあるし、風が強ければ舟を動かせず、仕事は予定通りに進みません。何をするにも不便です。でも、自然に吹く風を感じ、おいしい空気を吸い、しんどいからこそ作物ができるという達成感があり、みんなと分かち合う喜びがあります」と組合員の北川泰さん(65)は話す。

同じく組合員の大西久嗣さん(59)は、酒のできあがりを楽しみにしながら日々の農作業にいそしむ。「権座はフルーティーで飲みやすいですよ」

一升瓶にして年間3000本が出荷される権座は全国にファンをもち、発売するなりすぐに売り切れる。ラベルには西の湖のヨシが混ぜられた和紙を使い、紙は県内の福祉施設で1枚ずつ手ですられている。秋には収穫祭、新酒ができれば利き酒会を開き、組合員が全国から集まった人たちを手料理で温かくもてなす。

楽しい農業、集まる若い世代

営農組合は所有者から請け負って、組合員が共同で田の管理をする仕組みだ。

大西實さん(65)は水田所有者のひとり。先代から受け継いだ大切な土地だとわかっていながらも、舟で行き来する田でひとり細々と取り組む農作業はつらかった。それが営農組合になってがらりと変わった。「人と一緒にすることで本当に楽しくなったんです。権座は今や私たちの宝物です」

組合長の東房男さん(75)は「個人でする農業は競争です。自分より早い時間から作業している人がいればもっと早くからしなければ、というような厳しさがある。でも、みんなで取り組めば会話が生まれ、新しいアイデアも出ます。本来であればつらい農作業を、本人たちが楽しむことが大切なんです」

「東さんにとってふるさとはどういうものですか」

あん教授の問いかけに東さんは力強く答えた。

「帰ってくるとほっとする場所です。私はここで育ち、この景観、白王町を愛する気持ちは誰にも負けないと自負しています。それを後世にしっかりと伝えていきたい」

東さんの熱い思いは若い世代に確実に届いている。

東敬子さん(40)と西川博子さん(38)は約15年前、結婚を機に白王町に来た。3年前から、水田で農作業をしている。子育てが少し落ち着き、何か仕事がしたいと思った時に身近にあったのが組合だった。初めての農作業で体は疲れ、ひとたび舟で渡ればトイレにも行けない。でも、この作業がないと知り合うことはなかった人たちと自由な雰囲気の中で触れる農業はすべてが新鮮で楽しかった。

「田舎なので基本的に暮らしは不便なんですけど、すごく住み心地がいいんです」と西川さん。東敬子さんは「自分の子どもも将来ここに残るかもしれないと考えると、上の世代の人たちが作ってくれた良い雰囲気を残したいなと思います」

心に響いた笑い声

湖とともに生きる人たちと触れ合ったあん教授。今回の旅であん教授の心に響いたのは、西の湖からの笑い声だった。

「里を過去のものにするのではなく未来につなげるためには多様性が必要です。多様性を生み出すには年配の方、お父さん、お母さん、若い世代、色んな年代の人が一緒に対話をすることがすごく大事です。西の湖からは、そうした人たちの笑い声が聞こえました」

■あん・まくどなるど教授による現地の方々へのインタビューは、昨今の社会情勢をかんがみて、2021年1月9日にリモートで実施しました。

あん・まくどなるどあんまくどなるど

カナダ生まれ。高校生だった1982年から1年間日本に滞在。1988年、熊本大学留学。全国環境保全型農業推進会議推進委員を務めたほか、気候変動に関する政府間パネルの評価報告書作成に携わる。「にほんの里100選」の選考委員。 2009年上智大学地球環境学研究科非常勤講師、2011年同大同科教授。

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