未来を担う若者たちやゲストアーティストとともに、地域と伝統芸能の魅力を発信する「わっかフェス」の開催が迫ってきた。400年以上続くといわれる伝統の踊りを受け継ぐ「毛馬内(けまない)盆踊保存会」のお二人と、舞台で共演予定の東京の大学生が、イベント本番に向けて語った思いを紹介する。
※2024年のわっかフェスは終了しました。ご来場・ご視聴くださり、誠にありがとうございました。
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「お祭り」とは違う 神聖な空気漂う芸能
夏の日暮れ時、無数の提灯(ちょうちん)にあかりが灯され、いつもの見慣れた町が非日常の空間へと変わる。通りに沿って並んだ屋台には綿菓子やりんご飴、ヨーヨー、金魚……。子どもたちは興奮を抑えきれないように人混みを縫って走り、浴衣姿の大人たちはくつろいだ表情でその様子に目を細める。
都市に暮らす多くの人にとって、盆踊とはそんな郷愁を誘う夏祭りの風景と分かちがたく結びついたものだろう。しかしもちろんお盆には本来、この世を去った人たちの霊を慰める儀礼としての意味合いがある。民俗学者の折口信夫によると、盆踊には鎮魂の舞踊としての念仏踊り、厄よけの力があるとされた風流(ふりゅう)踊りの伊勢踊り、室町の終わり頃から広まった小町踊りという三つの要素があるという。
「毛馬内の盆踊はただの『お祭り』じゃないんですよ。根本には先祖供養の気持ちがありますからね。その神聖さみたいなものが今も残っている気がします」
「毛馬内盆踊保存会」の馬渕大三会長はそう語る。奥羽山脈のふもと鹿角(かづの)では、江戸時代の初期に多くの金山開発が行われたが、そのなかでいち早く発見されたのが白根金山。現在の秋田県鹿角市・毛馬内地区は、鉱山開発を支える商業地として大いに栄えた。その当時から450年にわたり受け継がれてきたと考えられているのが毛馬内の盆踊だ。
馬渕さんによると、かつては7町内の持ちまわりで7晩踊り続けたというが、現在は毎年8月21日から23日までの3日間に行われている。夜7時、古風な木造のアーケード街・通称「こもせ通り」に大きな太鼓を抱えた男たちの一陣が姿を見せる。馬の革を張った太鼓は一般的な和太鼓よりも音が甲高く広がるように鳴ることが特徴で、その響きは3キロ先まで届くという。
紋付きと留め袖で着飾った老若男女が「呼び太鼓」の音を合図に大きな篝火(かがりび)の周囲に集まる。揺れる炎が踊り手の影を宵闇に浮かび上がらせると、それが踊りの始まりだ。
一度離れたことで見えてきた 踊りの奥深さ
「とても静かでゆっくりとした踊りなんです。勢いでごまかすということができないので余計に神経を使いますね。どこまで行っても完成することはないなと思います」
そう語るのは、「毛馬内盆踊保存会」の小川誠司さん。毛馬内の盆踊は、踊り手が篝火を囲んで輪をつくり、踊りながらゆっくり移動していく「輪踊り」の形式。その先頭を務める小川さんは、いわば踊りのリーダーだ。2歳年上の馬渕さんとは幼なじみで、大役を担うことになったのは、本人いわく「子ども時代からのボス(会長)に言われたので逆らえず」ということらしい。
踊りは主に二つあり、一説として京の念仏踊りの流れをくむと伝えられる「大の坂(だいのさか)」は、祖霊に対して手を合わせる所作があるのが特徴。五穀豊穣の願いが込められた「甚句(じんく)踊り」は、稲を刈り、束ね、神棚にささげかしわ手を打つという一連の動作が踊りになっている。そして最後に余興として踊る「毛馬内じょんから」は、本来は津軽の踊りで毛馬内にはなかったものだが、明治の中頃に当時の若者たちが「大人の言うことを聞かずに」(馬渕さん)始めたものが今に残るという。
「踊り一つひとつに違う意味があって、その成り立ちを知っていると踊りがよりわかるようになる。だから私は出前授業やなんかで若い人の前に立つ時は、土地の歴史から話すようにしています」(馬渕さん)
馬渕さんも小川さんも毛馬内に生まれ育った後、若い頃は県外に出た時期があるという。しかし地元に戻り仕事をするうちに、踊りの運営に関わるようになった。毛馬内の盆踊の面白さに気づいたのは、その後のことだという。
「小学生の頃は盆踊コンクールがあって、私も会長もお菓子に釣られて出たりしていましたが(笑)、男の子は踊りなんかよりその辺を走り回っていたいものですから。当時は良さがわからなかったですね」(小川さん)
しかし一度離れたことで見えてきた、「決して完成することがない」踊りの奥深さ。そして自身のルーツと向き合うように祖先を思い、歴史を思いながら踊る人たちの醸す「神聖な」空気。お二人は今、それをなんとしても次世代に残したいと考えている。
この感覚を忘れないよう 練習を続けたい
3月に秋田市で催される「わっかフェス」では、東京学芸大学和太鼓サークル結(ゆい)のメンバーが保存会のみなさんと一緒に踊る。2023年11月、鹿角市の十和田市民センターを訪れたのは、仲野美優さん他4人の女子学生。練習場所として用意されたのは、30畳ほどの和室を三つつなげた大きな空間だ。
初めに本番と同じ直径1メートルを超す大太鼓が打ち鳴らされると、日頃から和太鼓の音を聴き慣れているはずの仲野さんたちも思わず感嘆の声を上げる。
「先祖供養の意味がある『大の坂』はとても厳かな踊りです。それに比べて『甚句』は、もっと楽しい気持ちで踊ってください。お盆の頃というのは、稲の花が咲く季節なんです。どうか今年も豊作になりますように、というワクワクする気持ちが動きに表れるといいですね」(馬渕さん)
まず手だけ、次に足だけ、というように馬渕さんが一つひとつの動きを説明し、小川さんたちが手本を見せながら一緒に踊る。「結」は和太鼓サークルではあるものの踊りを披露する機会もあるため、彼女たちの覚えも早くスムーズに溶け込んでいるように見える。
「いや、もう全然。見た目の印象よりずっと難しくて、ついていくのに必死でした。ゆっくりとした動きですけど、体のバランスをとるには筋力もけっこう必要で。一緒に踊ってくださったみなさんは、すごく姿勢が良くて素敵だなあと思いました」
地元の盆踊にはいつも参加し、太鼓の演奏の傍ら時間がある限り踊っているという仲野さんは、練習を終えて笑顔でそう話してくれた。本番までの約4カ月、この日つかんだ感覚を忘れないようにメンバーと確認を続けたいという。
「本当に踊りが好きなんでしょうね。みんな笑顔がすごく良かったです。あとは、着物の袖をなでるように軽く押さえる所作、今の人は着物を着ないので感覚としてわかりにくいと思いますが、そういうちょっとした動きを意識するともっときれいになると思います」(小川さん)
毛馬内には盆踊がある その誇りを胸に
「ゆっくりとした踊りです。見ている人もきっと眠くなりますよ」。練習の前後、半ば冗談めかしてお二人が何度か口にした言葉だ。
「同じ鹿角の民俗芸能でも、花輪ばやしは賑やかで楽しいですよね。あちらが『動』であるのに対して、毛馬内の盆踊は『静』なんです。でもその『静』の中にあるものをじっくり見てほしいと思っています」(馬渕さん)
「踊る時に考えていること、ですか……。気持ちがそれるとすぐに踊りが乱れてしまうので、昔の人はこんなふうに踊ったのかな、もっと手をこんなふうにしてみようか、というように踊りのことだけ考えていますね。あとはずっと火を見ているかな」(小川さん)
盆踊を初めて民俗学的視点から論じたとされる折口信夫は、輪踊りの中心にはかつて神様の「よりまし」または「よりしろ」(神霊が一時的に宿る人または事物)があっただろうと述べている。毛馬内の盆踊の「甚句」は、楽器の演奏を伴わず歌い手の声だけで踊る。夜の闇、篝火、人の声、そして聖なるものの周囲で輪を描き踊る人たち。そこにあるのは、盆踊という文化の最も原初的な姿なのかもしれない。
現在、毛馬内地区の人口は5000人ほど。しかしかつての馬渕さんや小川さんのように、若い人たちは進学や就職を機に県外に出ていくことも少なくない。伝統の担い手確保はここでも大きな課題だ。
「毛馬内は、盆踊の他は何もない小さな町です。ただこれは、悲観して言っているわけじゃありません。むしろ盆踊があるじゃないかと。こんな小さな町に一風変わった踊りがあって、それが何百年も続いている。それが私たちの誇りなんです」(馬渕さん)
近年は保存会が中心となって保育園児から高校生まで次世代の担い手育成に力を注いでいるというが、それもまだ始まったばかりだ。今回の「わっかフェス」を通して毛馬内の盆踊の魅力を一人でも多くの人に伝えたい。馬渕さんたちは、そう意気込んでいる。