大切な人や自身をいつ襲うかわからない事故や病気。私たちはどんな備えをしておくべきなのか。何を知っておくべきなのか。そんな医療にまつわるイロハをわかりやすく解説する「命の教科書」の著者で、現役医師の亀谷航平先生と白﨑加純先生に、この本に込めた思いを伺いました。
いざというときに備え“教科書”としてあらゆる人に読んでもらいたい
――「命の教科書」は、亀谷先生と白﨑先生が日頃から感じている救急医療の課題を何とかしたいと、自ら出版社に企画を提案されたと伺っています。まずはこの本を執筆しようと思った動機を聞かせてください
亀谷 私は医師になって最初の5年間、沖縄の地域医療現場で内科医として働きました。救急センターでは自分の家族が予想だにしなかった大病で救急外来にかつぎこまれ、パニックになったり、適切な判断ができなかったり、治療方針をめぐっていがみあいになったりする患者さんや家族を数え切れないくらい見てきました。このようなことを少しでも減らせないか。それがこの本を執筆した一番の動機です。
白﨑 私は救急集中治療医として働いています。ドラマなどでは命を救うところがクローズアップされがちですが、現実には命が救われた後にも患者さんや家族がつらい時間を過ごすことは多いんです。意識が戻らなかったり、麻痺(まひ)が残ったり、仕事を辞めなくてはならなかったり。そのような患者さんと家族のサポート、ケアの重要性を日々、痛感していました。そこでそのような状況に直面した家族のみなさんの不安や負担を少しでも減らせないか、との思いでこの本を企画しました。
亀谷 自分のこととして追体験していただくために、実際の症例さながらの、リアルかつ幅広いシチュエーションを用意し、臨場感たっぷりに解説しました。この本は決して病気になってから読む本や医学書ではありません。あらゆる人が日頃から、いざという時に備え、基礎的な教養として読んでおいていただきたい。そんな思いを込めてタイトルを「命の教科書」としました。
家族で話しあい
医師とともに適切な判断をするための最低限の知識を
――CASE1では一家の大黒柱が突然、脳卒中で倒れ、病院に搬送された事例をもとに、集中治療室での治療やリハビリ、お金のことまで解説されています
白﨑 救急医の仕事は病気を治すだけではありません。患者さんと家族の社会背景も踏まえ、社会復帰していただくところまで考える必要があります。それに加え、この本ではリハビリを含めた病後のこと、金銭面や食生活、メンタル面についても取り扱いました。
亀谷 特に傷病手当金や障害年金の解説、成年後見制度のコラムなどは、多くの医療者からも勉強になると好評です。このようなことは医療者でも知らない人が多く、狙い通りだと思っています。
――CASE3では高齢の母親の救命処置について、兄弟で意見がわかれる事例が取り上げられています
亀谷 例えば、親の治療方針で家族同士が対立してしまうことも何度か経験しています。そうならないためにも、ぜひこの本で最低限の知識を得たうえで、できれば事前にいざというときのことを家族で話し合っていただきたいと思います。もちろん救命処置を行うかどうかはケースバイケースで、その時点にならないとわからない部分もあります。ただ親の人生観や性格を踏まえ、大まかな方向性だけでも兄弟姉妹でコンセンサスを得ていれば、いざとなったときの判断もスムーズになると思います。
白﨑 救急隊の方や医師に「救命処置を希望しますか?」と聞かれたら、一般の人は「すべてやってください」と答えてしまいがちです。しかし、人工呼吸や心臓マッサージがどのような処置かをきちんと説明すると「そこまでは望んでいない」と言われることがよくあります。また「すべての処置を希望しない」と言われても、医学的に必要な処置を医師が行わないわけではありません。このあたりの医療者と一般の方の認識のずれを、この本で払拭(ふっしょく)したいとの思いもありました。
――巻末のQ&Aでは心臓マッサージは何のためにするのかの解説がありますが、このような基礎的なことを理解されていない方も多い気がします
白﨑 そうなんです。ドラマの影響もあり、心臓マッサージをすれば心臓が再び動き出し、息を吹き返すのではないかと考える方がいます。でも心臓マッサージは本来、心臓を動かすためではなく、心臓を圧迫することで血液を脳に送り、脳細胞の壊死(えし)を防ぐために行う処置です。ときにはあばらが折れるほど患者さんへの負担が大きく、高齢者の場合は必ずしも患者さんのためになるとは限りません。具体的な処置はその都度、状況を見ながら医療者と相談して決めることになりますが、事前に救命処置の正しい知識やイメージがあれば、相談や判断もスムーズになるでしょう。
高齢者や単身世帯が多い今の時代に備えておかなくてはならないこと
――本の冒頭で救急センターは「社会の窓」と書かれています。社会の変化が緊急医療現場での対応にも影響を与えているそうですね
白﨑 昔は保険証を見て会社に連絡をすれば、すぐに家族などの連絡先がわかりました。ですが、今は非正規雇用者が増え、個人情報保護の意識が浸透したこともあり、それが難しくなっています。手帳をもたず、ロックがかかるスマホにすべての情報を入れている人が増えたことも、家族の連絡先がわからない要因になっています。みなさんにはぜひ、財布やスマホケースに連絡先を書いたメモを入れておくことをおすすめします。私は両親の財布に私の名刺を入れてもらっています。
――今は生涯独身の方や一人暮らしの高齢者も増えています。そのような方はどのようなことを⼼がければ良いのでしょうか
白﨑 日頃から地域とのつながりをつくっておくことが大事です。65歳以上の方は、特別困っていることがなくても地域包括支援センターに登録しておくことをおすすめします。私どもは65歳以上の方が倒れたときは、まず地域包括支援センターに連絡します。お子さんの連絡先などを掌握しているケースが多いからです。またかかりつけ病院の医師に、自分が倒れたときはどのように対応してほしいかを伝えておくことも有益です。
医療者と一般の人の垣根をなくし、医療をより身近なものにしたい
――お二人は医師としての仕事のやりがいをどんなところに感じていますか
白﨑 救急医の一番のやりがいは、患者さんの人生の重要なドラマに関われることです。急病をきっかけに、疎遠だった親子が再び一緒に食卓を囲むようになったという場面をたくさん見てきました。このように、1人の救急患者さんを前に家族という形が再形成されていく場面を目にしたときは、この仕事をしていて本当に良かったと思います。
亀谷 私はもともと多様な人と話をすることが好きで、医師になったのもそれをライフワークにできれば天職だと思ったからです。患者さんの家族と治療の相談をするなか、その人の生い立ちや生き様を伺うことがよくあります。お一人おひとりにかけがえのないドラマがあり、人生の大先輩の生き様から学ばせていただくことも多いです。
――ライフワークとしていることや今後、とくに力を入れたいことを教えてください
白﨑 今、集中治療の世界では患者さんの長期的な予後の改善(社会復帰を目指すこと)が大きなテーマになっています。そのためのリハビリや認知症対策などの取り組みは進んでいますが、患者さんの家族のケアはまだまだ不足しており、この分野にとくに力を入れていきたいと考えています。
亀谷 私は研修医の頃から医療の情報格差を埋めていくことをライフワークにしています。患者さんと医療者の壁を埋め、一般の方に医療を身近で日常なものだと感じていただきたい。この本もそんな思いから出版しました。
白﨑 この本が、より多くの人が救急医療に関心をもつきっかけとなり、自分や大切な人の命を守ることにつながることを願っています。
※本記事は、所属先を代表するものではなく個人の意見です。
亀谷航平 (かめがい こうへい)
1991年、愛知県生まれ。感染症専門医・在宅医。東京大学医学部医学科卒。ラ・サール高校在学中にNTV系クイズ番組「全国高等学校クイズ選手権」で準優勝。東大医学部入学後も、2011年「最強の頭脳 日本一決定戦! 頭脳王」で優勝、続く13年にも同番組で連覇。16年、沖縄県立中部病院において、医師人生の第一歩を踏み出す。20年に最優秀研修医に贈られるBest resident awardを受賞。 研修中に国際NGO[Taiwan Root]に参加し、HIV感染率がもっとも高い国エスワティニ王国での診療も行った。 同年、石垣島および周辺離島における唯一の感染症担当者に就任。新型コロナウイルス感染症の第1波より、臨床、重症患者の離島間搬送、感染管理、行政・住民対応などを一手に引き受ける。 21年より国立国際医療研究センター国際感染症センターフェローとして、国内外の感染症患者を診療。また「ひなた在宅クリニック山王」にて在宅医療にも関わる。
白﨑加純 (しらさき かすみ)
1992年、福井県生まれ。救急科専門医・集中治療専門医。金沢大学医薬保健学域医学類卒。短期留学の際、グローバルな視座で広く医療を見つめ直すきっかけを得たのち、「ひとりでも多くの命を救いたい。多くの人々を幸せにしたい」との思いを強くし、救急医への道を選択。2017年金沢大卒業後、沖縄県立中部病院で初期臨床研修医として1年目から1,500人もの救急症例を経験。19年からは聖路加国際病院救命救急センターで勤務。「集中治療室を退室したあとの患者と患者家族の長期予後」をテーマに臨床研究も行っている。