2024年12月、朝日新聞社が主催する「未来事業イノベーションアワード」(特別協賛:三菱商事)のファイナリストに選ばれた学生たちが、長野県塩尻市で実施されたスタディツアーに参加しました。
2泊3日で行われたツアーでは、塩尻を長らく支えてきた地場産業や地域の課題解決のためにチャレンジを進める三菱商事の地域交通DX事業などを視察。社会課題の解決に向けた事業創出のために日々奮闘している学生たちにとって、大きな刺激と学びを得る機会となりました。
2040年以降、働き手の中心となる現役世代(15~64歳)が今の8割になる「8がけ社会」の到来とともに、様々な社会課題に直面することが予想されます。こうした未来の課題に対する解決策となりうる革新的なアイデアやビジネスプランを学生たちから募集し、よりよい未来をつくることを目指すプロジェクトです。
塩尻ワインや木曽漆器
地域を支える産業へと発展させるための工夫と奮闘
昼夜の寒暖差が大きく、日照時間が長い塩尻は、古くからブドウ栽培が盛んで、多くのワイナリーが集まっています。1日目にまず訪れたのは、老舗のワイナリー「五一わいん」を運営する林農園です。「五一わいん」は、1919(大正8)年からワイン醸造を始め、1951年には長野県で最初にメルロー種の栽培を手がけました。「五一わいん」の特徴の一つは、広大なブドウ農園がワイナリーに隣接していること。林農園の添川一寛さんに導かれ、学生たちは農場の中を見て回ります。
日本の伝統的な「棚栽培」、近年増えつつあるヨーロッパ式の「垣根栽培」の2つの方法で栽培されるブドウの木々を実際に目の当たりにしながら、塩尻のブドウ栽培とワイン醸造の歴史、また気候変動の影響を受けた近年の傾向などについて説明を受けます。その後は、地下にある醸造の現場も視察。地域の風土に根づいた産業の誕生から現在に至るまでの発展の過程を知ることができました。
続いて足を運んだのは、1916(大正5)年にブドウの植栽を始めたという、やはり老舗のワイナリー「信濃ワイン」。クラシック音楽を聴かせながら熟成させる「音楽熟成」という方法を取り入れるなど、ユニークなワイン作りにもチャレンジしています。
こちらでは、ワイナリー周辺の自然環境や事業内容、創業当初の時代背景などについて、4代目の代表取締役社長・塩原悟文さんに話を聞きました。その中で、塩原さんが日本のワイン産業の課題として挙げたのが、需要の頭打ちです。「飲み手を増やすにはどうしたらいいかな」と問う塩原さんに対し、学生たちは、「ワインは好きだけど、管理が大変なイメージがあるからお店でしか飲まない。コンビニなどに一度で飲みきれるサイズのボトルが増えるといい」など、若者ならではの視点からワインの消費拡大のための様々なアイデアを提案します。活発な議論や意見交換が行われた後、塩原さんから「有意義な時間でした」との言葉をいただき、一同に笑顔があふれました。
1日目の最後に向かったのは、国内有数の漆器の産地、木曽平沢地区です。こちらで生産される木曽漆器は、400年以上の伝統を誇り、経済産業大臣指定の伝統的工芸品にも指定されています。土蔵の中にしつらえられた工房で、木曽漆器の製造工程を説明してくれたのは、「伊藤寛司商店」4代目の伊藤寛茂さんです。
土蔵の中の様子や、普段あまり見ない道具の数々に目を奪われた学生たちは、江戸時代から受け継がれる伝統技法の一端に触れ、驚くやら、感心するやら。「一人前になるにはどれくらいの期間が必要ですか?」「漆はどこから仕入れるんですか?」など、伊藤さんに質問を重ねる様子から、木曽漆器についての理解を深めながら、400年以上発展してきた産業の秘密に迫ろうとする姿勢が垣間見えました。
市と民間のタッグで解決へ
塩尻市が取り組む新たな地域交通へのチャレンジ
2日目は、塩尻市の中心部にある「core塩尻」へ。「core塩尻」は、革新的な都市機能の創出をもたらす地域DXの拠点として、2023年6月に開業しました。
実は、塩尻市は、知る人ぞ知る、最先端の技術が集まる自治体です。自営型テレワーク推進事業「KADO(カドー)」、安心して便利に暮らせる地域社会の実現を目指す「塩尻MaaSプロジェクト」や「自動運転」など、地域課題の解決や地域活性化に向けて、先進的かつ具体的な取り組みを進めています。それをまさに体現した施設といえる「core塩尻」で、市が抱える交通課題や三菱商事と進めている取り組みについて、塩尻市商工観光部先端産業振興室係長の松倉昌希さん、同主任の百瀬亮さんほか、塩尻市役所のご担当者の皆さんに話を聞きました。
塩尻市では、路線バス利用者の減少に加え、ドライバーの人手不足や高齢化が進み、将来における地域公共交通の維持が課題となっています。そこで市は、持続可能な地域公共交通ネットワークの構築を図るべく、様々な取り組みに着手しています。
その一つが、三菱商事と西日本鉄道の合弁会社、ネクスト・モビリティ社が展開するAI活用型オンデマンドバス「のるーと塩尻」です。「のるーと」には特定の経路や時刻表はなく、利用者はスマートフォンアプリで、出発地と目的地、乗りたい日時を設定して予約します。画期的なのは、予約状況に応じて、乗り合い可能で最適な走行ルートをAIがリアルタイムで自動算出すること。路線バスの効率性とタクシーの柔軟性を持ち合わせた、「良いとこ取り」のサービスなのです。塩尻市では、すでに2022年から本格運行を始めています。
もう一つの取り組みは、小型バスを用いた自動運転の実証実験です。こちらは、三菱商事や、三菱商事とアイサンテクノロジーが2023年に共同出資で設立したA-Drive社をはじめ、様々な企業を含む産官学民の自動運転コンソーシアムを組成し、2020年から実証実験を繰り返しながら、2025年度中の実用化を目指しています。2024年には、塩尻市の一般公道において、車両最大時速35kmで運転者を必要としない自動運転車システム「レベル4」の認可を全国で初めて取得し、2025年1月には運行実証を行いました。
自動運転バスの「目」の役割を担うのは、バスに取り付けられたLiDAR(ライダー)センサーです。あらかじめ自動運転車両が走行する道路と周辺の建物の高精度3次元地図を作成しておき、レーザー光を使って対象物との距離や位置を正確に計測する機能を持つLiDARセンサーのセンシング結果と照合することで、自車位置を高精度に推定できるのです。しかし、道路上にはLiDARセンサーだけでは捕捉できない情報もあります。そこで、電柱や信号機、新設したスマートポールにもセンサーを取り付け、車載センサーの検出範囲外に存在する物標情報(対向車や障害物など)を捕捉し、車両との連携を試みる「路車協調」の実証実験も継続的に実施しています。
そして、この高精度3次元地図を製作するのが、前述した「KADO」に登録しているテレワーカーの皆さんです。「KADO」は、塩尻市が2009年に設立した一般財団法人塩尻市振興公社が行政や民間企業から仕事を受注し、登録したテレワーカーに発注する、自営型テレワーク推進事業のこと。子育てや介護、自身の障害など、様々な理由で働く時間や場所に制約のある方々がテレワーカーとして活躍しています。働きたい誰もが働ける機会を提供する「KADO」もまた、塩尻市ならではの先進的な取り組みの好例といえます。
自動運転、MaaS、地域DXの推進などの成果はまさに官民共創のたまものだと語る、塩尻市のご担当者の皆さん。特に「のるーと」の社会実装・普及に関しては、戦略的なマーケティング手法を取り入れつつ、塩尻市内の各地域に足を運んで、住民の皆さんにサービスの内容をわかりやすく伝えるなどのサポートを続けた三菱商事との共創が大きく寄与したことを強調します。
塩尻市としては、従来の路線バスや「のるーと」、自動運転バスを、それぞれの地域やルートに合わせて採用・運行する「交通の最適化」を目指しています。これまで通り、アンケートや直接対話を通して、市民としっかりコミュニケーションをとりながら、交通ネットワークの在り方を追求していくそうです。
約2時間にわたる塩尻市の取り組みの説明を聞いて、学生たちは様々な感想や疑問を抱いた様子。その後の質疑応答では、「住民に施策を理解してもらう過程を非常に丁寧に進められていることに感動した」「自動運転の実証実験を進めていく上で、『KADO』のテレワーカーの方々の力を借りるという仕組みづくりがすごい」「自治体の事業の評価は、どのように行われるのか?」「塩尻市がほかの自治体より先進的な取り組みを進められるのはなぜか?」といった声が、次々に学生たちから上がりました。
質疑応答の後は、「のるーと」に実際に乗車することに。「地域住民同士の交流の場になりそう」「私の81歳のおばあちゃんは、車がないとどこにも行けない地域に住んでいるので、『のるーと』のような地域公共交通がほかの地域にも広がってほしい」「ワイン産業の盛んな街だからこそ、ワインを飲んだ後に利用しやすい公共交通があるのはいいですね」などと、学生たちはそれぞれ、利用者目線で感銘を受けていました。
塩尻市の関係者との対話、現場の視察を通じて、学生たちは、社会課題との向き合い方やその解決への道筋のつくり方を学ぶのと同時に、官民共創の成り立ちについて理解を深めることで、自らのプロジェクトを前進させるためのヒントを得たようです。
百聞は一見にしかず
地場産業の努力を肌で感じたそば打ち体験
2日目の最後を締めくくるのは、NPO法人信州そばアカデミー本部道場でのそば打ち講習会です。アカデミーの活動やそば打ちを通した地域振興活動についての話を聞いた後は、いよいよそば打ちの実演です。「日本素人そば打ち名人大会」で名人の座に輝いたこともある理事長の赤羽章司さんの鮮やかな腕前に、学生たちは圧倒されるばかり。そして、アカデミー会員の皆さんのマンツーマンによる指導の下、そば打ちに挑戦しました。
その後の試食では、赤羽さんが打ったそばをその場でいただくことに。新品種の「信州ひすいそば」で打った麺は、鮮やかな緑色で香り高く、さすがのそば打ちの技術も相まって、見るからにおいしそうです。そばを口に入れた学生たちは、「こんなにおいしいそばは食べたことがない!」と大絶賛。そば湯までいただき、大満足のそば打ち体験となりました。
塩尻市内の古墳時代の遺跡からも花粉が発見されたソバ。それを現在の形で伝えるまでには多くの先人の知恵があり、その後もソバの生産者や信州そばアカデミーの皆さんのようなそば打ちの技術を継承する人々が努力や創意工夫を重ねることで、地域の産業として、また文化として発展し、今日まで受け継がれてきました。そうしたことを身をもって知ることができ、学生たちは大いに刺激を受けたようです。
自分だったらどうする?
塩尻市の未来に知恵をしぼるワークショップ
スタディツアー最終日の3日目には、「塩尻市の未来を考えるワークショップ」を実施しました。まずは、学生一人ひとりが視察を終えての率直な感想、印象を語ることからスタート。
「伝統産業にしても、自動運転やMaaSの取り組みにしても、人なくしては始まらず、また短期間で成果が出るものではありません。市の発展のためには人材への長期的な投資が欠かせないことにあらためて気づかされました」(岩手大学・佐藤稜さん)
「自動運転や『のるーと』の施策を導入する際にも、住民の方々の声にしっかり耳を傾けながら進めている点が素晴らしいです」(東京大学・南田桂吾さん)
「塩尻市は、一つの巨大な産業や特定の企業に依存せず、持続可能な未来に向けて、地に足の着いた取り組みを進めていると感じました」(慶應義塾大学・河原永昌さん)
その後は、2グループに分かれて、塩尻市の未来がどうあるべきか話し合い、意見を集約した上で、発表します。
「伝統産業の消費拡大には、安易にインターネットやSNSで販路を広げるのではなく、現地で買うといった体験込みの『コト消費』を目指すほうが有効ではないか」「自動運転や『のるーと』などの取り組みに関して、住民への普及の過程を詳細に記録しデータ化して、ほかの自治体に売り込んではどうか」「DXやMaaSの推進によって得た知見や先端技術を伝統技術と融合した新たな取り組みとして進め、塩尻市の発展につなげられないか」等々……。これらの提案に対して、学生全員でさらに活発な意見交換が行われました。
塩尻市でたくさんの人々と出会い、思いに触れ、体験をした3日間のスタディツアーは、「自分が住む街ではどうか、を考えるきっかけになった」と、学生たちにとって実りあるものになったようです。
過去から現在まで受け継がれる地場産業の発展も、自動運転やMaaSなどの取り組みも、一朝一夕には成し遂げられないこと。そして、それらを未来に受け渡すには、関係者の不断の努力と新しい技術が求められること。また、産業も文化もすべては人から始まり、人と人とがつながることでその可能性が大きく広がること……。事業で未来にイノベーションを起こさんとする彼らは、今回得た多くの学びを必ずや糧としてくれることでしょう。