株式会社ルミネは、「the Life Value Presenter お客さまの思いの先をよみ、期待の先をみたす。」という経営理念を掲げ、首都圏の主要ターミナルを中心に、『LUMINE(ルミネ)』や『NEWoMan(ニュウマン)』など16の商業施設を運営しています。さらに、既成概念にとらわれない事業領域にも挑戦し、新たな価値創造を提案している企業です。(ルミネのHPリンクはこちら)
2024年度にはルミネの10年ビジョン「Global&Sustainable 」を掲げ、地球規模での持続可能な未来の実現を目指し、人(PEOPLE)、コミュニティと文化(COMMUNITY&CULTURE)、環境(THE PLANET)を軸に100年先に続く心豊かな未来に向けて取り組んでいます。
本連載「ルミネの未来共創」は、ルミネが見据える「100年先の心豊かな未来」に向けた、小さな対話から始まる未来図です。アート、ビジネス、文化など、さまざまな分野で活躍する方々との対話を通じて、「グローバル&サステナブル」というビジョンをどう現実にしていくのか、そのヒントを探っていきます。 第1回となる今回は、ルミネ代表取締役社長・表 輝幸さんと、ニューヨークを拠点に世界的に活躍する現代美術家・松山 智一さんを迎え、お二人それぞれの視点から「よりよい未来」につながる想いを語っていただきました。
表社長と松山さんの共通点と
ルミネがアートに取り組む理由
——表さんは企業家、松山さんは美術家と、社会的立場を異にしますが、お二人の交流はどのように始まったのでしょうか。
表 輝幸(以下、表):ルミネが2010年から「LUMINE meets ART PROJECT (LMAP)」という、お客さまの日常の中にアートを提供するプロジェクトを始めて、そこで、松山さんが2012年にルミネ新宿のエレベーターに絵を描いてくださったんです。それを見た時に本当に衝撃を受けました。普段は無機質なエレベーターが色鮮やかに彩られていて、まるで遊園地に来たかのような楽しい気分になりました。 その後も、2018年には松山さんの個展『Same Same, Different』をルミネで開催していただき、2020年には新宿東口駅前広場に《花尾》(英語表記《Hanao-San》)という大きなパブリックアート作品も制作していただきました。
私と松山さんは活動している領域こそ違いますが、価値観や精神性、革新性、目指している方向性に共通するものを強く感じています。非常に良い刺激をいただいています。
松山 智一(以下、松山):大企業の社長と芸術家とでは、一般的に距離がありそうに思われるかもしれません。でも、私たちはともに、今の社会に対して何かを感じ、そこに対してアクションを起こしている点で共通していると思います。マクロとミクロ、というスケールの違いはあれど、両方の視点を内包しなければ、本質的に社会に届くことはできないとも感じています。
——少し話が前後しますが、お二人の接点となった「LUMINE meets ART PROJECT(LMAP)」について、あらためて教えていただけますか。
表:“アート”というと、日本では“特別なもの”という印象が強いですが、本来、アートはもっと身近にあっていいものだと思うんです。日常の中にあることで、心に豊かさや彩り、明日への活力、刺激を与えてくれる。感性に働きかけて、人のエネルギーを引き出す力があると思っています。
私たちは、普通の人たちが日常からさらに一歩踏み出してみようと思えるような“エネルギー”を届けることこそ、ルミネの価値だと捉えています。その一環として、“アート”をもっと日常に広めていこうと、15年前に始めたのがこの「LMAP」でした。
「なぜ、ルミネは駅前という空間にアートを?」
花尾さん広場誕生のストーリー
——ルミネと松山さんの取り組みといえば、《花尾》のオブジェは外せません。2020年の設置から5年が経ち、今では新宿駅の新たなシンボルとしてすっかり定着しています。
松山:当時、新宿駅の美化計画の一環として東口ロータリーの話を聞いた時、まず考えたのは新宿という街のキャラクターでした。2丁目に象徴されるジェンダーニュートラルな文化、歌舞伎町の夜の歓楽街、文化人が集うゴールデン街、そして東京屈指のショッピングエリア。新宿にはそれぞれのエリアが育んできた固有性の高い文化が多層的に存在していて、それらをクロッシングさせるようなストーリーが作れないかと考えました。ストーリーがあれば、ローカルの人々と訪れる人たちとの間に自然と接点が生まれると考えました。
表:四季の彩りも、夜のネオン街も反射して、それが新宿の多様性を表現していますよね。そして見た目だけでなく、実はあのオブジェは、地震や暴風でも倒れないようにするために、日本の高度な技術力も生かされているんです。
——正直なところ、以前の東口ロータリーには自転車が放置されているなど、少し雑然とした印象もありましたが、《花尾》の誕生により街の雰囲気が大きく変わりましたね。
松山:確かに、以前は混沌としたイメージもある場所でした。でも僕は、先ほどお話したストーリー、つまり人の流れや導線が生まれることでその場所に新たな個性と価値が生まれると信じていました。実際、あの場所は出口が四方向にありそれぞれが交差する場所なんです。
《花尾》(Hanao-San)という名前にも、いくつかの意味を込めました。たとえば、男女どちらにも捉えられる名前にすることでジェンダーの中立を意識しましたし、「さん」付けにしたのは、世代や価値観を超えた包括的な呼び方が多様性のある社会には相応しいと考えたからです。 さらに、オブジェ自体にも「花」の要素を取り入れていて、いずれは渋谷のハチ公のように、新宿の守護神として愛される存在になってほしいという願いを込めました。
——そもそもなぜルミネは駅前にあのようなオブジェを作ったのでしょうか。集客のためであれば、新宿駅はすでに世界最多の乗降客数を誇るターミナルですから、必要がないのでは?という声もあるかもしれません。
表:私たちの目的は、人を集めることではありません。ルミネは常に「お客さまの心ときめく期待を実現する」ことを何より大切にしている企業です。私たちが目指しているのは「ライフバリュープレゼンター」として、一人ひとりの人生に新たな刺激や発見、可能性を届けること。そのためには、街自体も個性があるほうがいいし、多様性が新たな価値を生み出すと信じています。
単に人を集めてモノを売るのではなく、その先にある「新たな生き方」を提案していきたい。街の魅力を再発見し、その価値をグローバルな目線でみて発信することが、私たちの役割だと考えています。新宿には新宿ならではの魅力があります。それを誇りにし、その良さを磨き上げながら、世界に伝えていく。それは新宿に限らず、どの街にも当てはまる考え方だと思っています。
『松山智一展 FIRST LAST』で伝えたかったメッセージ
——先日、『松山智一展 FIRST LAST』(2025年3月8日(土)~5月11日(日) 麻布台ヒルズギャラリーにて開催)が大盛況のうちに終了しました。普段はアメリカを拠点に活動されている松山さんにとって、東京での初の大規模個展となりましたが、どのような想いがありましたか。
松山:僕はアメリカで暮らすようになって四半世紀近く経つのですが、自分は“移民”であり、“外国人”であるという立場に誇りを持っています。芸術家という文化を作る存在として、日本人としてのアイデンティティとグローバルな視点との接点を、自分の作品を通じて提示したいと思ってきました。
表: 私も会場に伺いましたが、まず何よりも「楽しい」と感じました。そして、観る人を楽しませることを前提としつつ、そこにしっかりとストーリーやメッセージが込められていて、いろんなことを考えるきっかけを与えてくれる展示でした。あらためてアートの力や可能性を感じました。
松山: もともと美術というのは、プロパガンダの手段として発展してきた歴史があります。権力者が自分の力を誇示するために使ってきたもので、ナポレオンはその一例です。つまり、美術には元来、人々に強いインパクトを与える力があるんです。最初は単に「きれいな絵だな」と感じても、その背景にある意図や文脈を知ることで、まったく違った見え方がしてくる。それが今の美術にできることです。そして、美術は非言語であるからこそ、文化的背景や宗教観が異なる人たちにも、一つの作品を通して問いを投げかけることができるんです。
グローバルな視点から見た、日本に足りないもの
——松山さんはアメリカという場所から日本を見るという視点も持たれていますが、今の日本文化についてはどう感じていますか。
松山:先ほどの「駅になぜオブジェを?」という話にもつながりますが、例えば、ニューヨークのグランド・セントラル・ターミナルは、世界有数の大きな駅ですが、ガイドブックに載るような文化的な観光名所にもなっています。僕が世界各地の都市を巡って感じたのは、そうした玄関口となる場所に文化が根付いていないと廃れてしまう。駅を利用するだけのものとする発想は、文化を乏しくします。
神社仏閣など、街の中に自然と歴史的文化が溶け込んでいる日本とは異なり、アメリカでは近代国家としての歴史は比較的浅く、だからこそ「自分たちで文化を創造していかなくてはいけない」という意識が根付いていると感じます。 日本ではインフラ整備の中に文化を織り込むという発想が、まだ十分に根付いていないと感じています。だからこそ100年後、1000年後に文化を届ける立場にいるアーティストとして、責任を持って取り組んでいきたいと思っています。
日本は文化において、実は世界最先端を走っている部分も多い。でも、過去のものを守る意識が強すぎて、しばしば「後ろばかりを見ている」印象を受けることもある。大切な歴史を守る一方で、同時に「前を向く」姿勢が必要だと思っています。
表:まさにその通りですね。日本は古代にさかのぼる長い歴史と、そこで培われた精神性、人間性、繊細さ、美意識、自然との共生など、世界的にみるととても価値のある日本ならではの強みをたくさん持っています。それは、世界的に見ても本当に尊いもので、私たちはその価値を、もっと長期的かつグローバルな目線で見つめ、伝統を革新でつなげていく必要があります。
松山さんはまさにそういった歴史を、世界の目線で一つのアートという形に進化させている。その姿勢が本当に素晴らしいですし、日本人として大切にしなければならないことを、あらためて気づかせてくれる存在だと感じています。私たち自身が、自らの手で強みを生かして“独自の文化”を創造していくべき時代にいるんだと思います。
二人の視点が交わる“理想の未来像”とは?
——ここまでお話を伺う中で、お二人の間には、共通する想いや価値観があることが伝わってきました。そんなお二人が、今思い描いている未来像とは、どのようなものでしょうか。
松山:これからの世の中は今以上に情報化が進み、コミュニケーションの距離は物理的にはどんどん近くなると思うのですが、それゆえに価値観のゆがみはより生まれてくると感じています。だからこそ、国境や文化、宗教観といった既存の枠を超えた、新しい接点が求められるようになる。その「接点」を創り、対話できる場を整えること。それが、美術を通じて僕が果たすべき役割だと考えています。
表:私は36歳で経営者となった時、「人生最後の瞬間に幸せだったと言える人生」について真剣に考えました。そして、その答えは今も変わっていません。それは、「人の幸せをつくれること」、そして「人の幸せを感じられること」。これが、自分にとっての幸せにつながると気づいたんです。さらに言うと、それは今、自分の周りにいる人だけではなく、そこには未来の人たちも含まれています。もちろん、未来に向けて私たちができることは限られているかもしれませんが、そのための小さな一歩を踏み出すことはできる。
ルミネとして挑戦している高輪ゲートウェイシティのプロジェクトも、まさにその一歩です。100年後、1000年後の幸せな未来のために、みんなで考え、挑戦する。それを思えば、目の前の困難に立ち向かうことも、楽しく感じられるんです。
表 輝幸(おもて・てるゆき)
1988年にJR東日本へ入社。2000年、日本レストラン調理センター社長にグループ最年少で就任し、東京駅グランスタの開発などを牽引。2011年からはルミネの常務取締役、専務取締役を歴任。さらに、2016年から2021年にかけてJR東日本の執行役員 事業創造本部副本部長、常務執行役員、マーケティング本部副本部長などを務め、2023年6月より現職。
松山智一(まつやま・ともかず)
1976年、岐阜県生まれ。ブルックリン在住。絵画を中心に、彫刻やインスタレーションなど多様な表現を手がける。異文化間での自身の経験や、情報化の中で移ろう現代社会の姿を反映した作品を制作。東京・新宿東口駅前広場に設置された《花尾》をはじめ、大規模なパブリックアートプロジェクトも手がける。2025年3~5月、東京では初となる大規模個展『松山智一展 FIRST LAST』を開催。