東京・上野の東京都美術館では、「東京都美術館開館100周年記念 この場所の風景―上野・大牟田・ブエノスアイレス」が10月7日まで開催されている。東京都美術館は今年5月、1926(大正15)年に日本初の公立美術館として「東京府美術館」の名で開館してから100周年を迎えた。この節目にどのように展覧会をつくりあげたのか、企画した大内 曜(おおうち・ひかる)学芸員に聞いた。

 三つの場所の100年を巡るオムニバス映画のような展覧会

――本展は「上野」「大牟田」「ブエノスアイレス」と三つの街を巡る三部構成の展覧会ですね。

大内 曜さん(以下、大内):はい。第一部では、東京都(府)美術館の誕生から戦中・戦後を挟み、1975年の新館開館を経て現在までの100年を上野の風景とともに振り返ります。続いて第二部では、独学の画家・江上茂雄が101歳の生涯の多くを過ごした福岡・大牟田へ。さらに第三部では、東京都(府)美術館の所蔵品第一号とされる絵画《百日草の庭》の作者を探して、日本から地球のほぼ真裏に位置するアルゼンチン・ブエノスアイレスへと渡っていきます。

――展覧会タイトルの「この場所の風景」にはどんな意味を込めていますか?

東京都美術館「この場所の風景―上野・大牟田・ブエノスアイレス」が見つめる、人と表現の100年
展覧会は三部構成。第一部はさまざまな資料から振り返る「上野」の100年を展示

大内: 「この場所の風景」というのは、自分が今いる場所と向き合う、あるいは見つめ直すという視点をつくる言葉だと考えています。第一部では、当館のある上野という場所の歴史を、当館の歩みとともにたどり直します。第二部の江上さんは、高等小学校を卒業してすぐに地元の炭鉱会社に働きに出なければいけない環境で、遠くに出かけるような余裕などはない。だからこそ、自分をとりまくこの場所だけと向き合うと決め、日々変化するその風景を描き続けた。青年時代から90代半ばを過ぎるまで、何十年もの間ひたすら目の前の風景と対峙(たいじ)し続ける中で、時代やご自身の心境などの変化とともに、表現も変化させていく。そのとてつもない積み重なりの中で江上さんが到達した境地というものが絵に表れているように感じます。

第三部のブエノスアイレスは、最初から決まっていた「この場所」ではなく、AHA![Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]の松本篤さんに、本展に合わせたリサーチ・プロジェクトの実施を依頼し、そこで松本さんが注目した、美術館の所蔵品第一号とされる作品をリサーチしていく中でたどり着いた場所です。「この場所の風景」というメインタイトルは先に決めていましたが、「上野・大牟田・ブエノスアイレス」というサブタイトルは、そうした道のりを経て最後の方で固まりました。

大牟田―身近な風景を描いた独学の画家・江上茂雄

――第一部の東京都美術館100年の歴史で完結させず、第二部と第三部の物語を加えた理由をお聞かせください。まず、第二部では、大内さんが前職の武蔵野市立吉祥寺美術館で都内での初個展を開催した江上茂雄さんに再びスポットを当てていますね。

大内:はい。江上さんが亡くなる前年の2013年に田川市美術館や福岡県立美術館などで個展が開催されていたのですが、2018年に東京での初個展を開催しました。江上さんの絵を前に、深く感動されている方がたくさんいらして、江上さんの生涯や作品が人に与える力の大きさを感じました。その展覧会が終わったあと、展示スペースの関係から江上さんの多岐にわたる創作の奮闘を紹介しきれなかったという反省が自分の中に残っていました。当館に着任し、100周年というタイミングに当たって企画展を担当するチャンスが回ってきた時、江上さんの展示に再挑戦するのにこれ以上の機会はないと思いました。というのは、100周年という大きな節目でどのような展覧会をするべきかを考えた時に、メモリアルとして自館の100年をまずは振り返るべきだろうという思いとともに、それだけでは絶対に見えてこない美術の100年というものに目を向けていく必要があるのではないかという思いが浮かんでいたからです。美術館は何を見つめてきて、何を見つめてこられなかったのか。そういったことを浮上させるために、重なりあう時代を生きながらも、たくさんの美術家たちが目指した当館そして上野という場所と交わることなく遠く離れた場所で、ただ一人で絵を描き続けていた人に意識を開いていくような展覧会がしてみたいと考えました。

東京都美術館「この場所の風景―上野・大牟田・ブエノスアイレス」が見つめる、人と表現の100年
第二部 大牟田―江上茂雄の100年」の展示風景。東京では初めての展示となる木版画や実験的な抽象画、染め紙といった多彩な取り組みを含む約400点が並ぶ

――大内さんは江上さんの存在をどのように知ったのですか?

大内:2015年頃、福岡在住のデザイナー尾中俊介さんから、ご自身も発行に携わった『江上茂雄 作品集』という貴重な本をいただき、引きつけられたのが最初です。江上さんはすでに亡くなっていたので直接お話を聞くことはできず、作品集に掲載された息子さんたちの文章や、江上茂雄オーラル・ヒストリー(日本美術オーラル・ヒストリーアーカイヴ)などから、江上さんの創作の状況を少しずつ知っていきました。はっきりとわからないことも多いと感じています。

――今回、新たに判明したことの中から一つ教えてください。

大内: 大したことではないのですが、師弟関係という点からたどってみると江上さんが上野とつながったということが面白い発見でした。江上さんの才能を最初に認め、画家を志すきっかけをつくったともいえる尋常小学校の図画教師のことが気になり、「セキトフミタケ」という江上さんが残した言葉を手掛かりに調べてみたところ、その方と推定される人物が教師になる以前一時期東京におり、しかも東京美術学校のすぐ隣の上野桜木に住む著名な日本画家に絵を学んでいたということがわかりました。ちなみに、江上さんの次男で現代美術家として活躍されている計太さんは上野の東京藝術大学で学ばれていますね。

ブエノスアイレス―コレクション第一号の作者・藤岡鉄太郎を追いかけて

――そして第三部は、AHA! [Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]に企画調査を依頼し、協働したリサーチプロジェクト。AHA! は、歴史に埋もれた市井の人々を記録し、さまざまなメディアをつくる団体ですね。

大内:上野、江上さんと並ぶ時に、これらに加えて美術作品の展示とは異なる角度から「100年」と向き合う要素、さらに、上野の展示と江上さんの展示の二つをつなげるような要素が欲しいなと思いました。無数の人々が歩んだ100年に光を当てるようなプロジェクトの実現を期待して、AHA!の松本 篤さんに企画提案を依頼したところ、いくつかの企画案を出してくれました。その中の一つが、100年前に描かれた当館の最初のコレクションとされる《百日草の庭》の謎の作者をたどり直すというプロジェクトでした。

東京都美術館「この場所の風景―上野・大牟田・ブエノスアイレス」が見つめる、人と表現の100年
藤岡 鉄太郎《百日草の庭》1926年 東京都現代美術館蔵 写真提供:東京都美術館

――《百日草の庭》の作者、藤岡鉄太郎とはどのような人物なのでしょうか?

大内:現存の資料や作品から確認できることは、1960年代に初めて当館の所蔵品目録のようなものができる過程で「かねたろう」とふりがなが振られていて、絵の中には「1926.10.K.FujioKA」というサインがあるということです。絵の裏には「百日草の庭」と作品名が記された紙が貼られ、1926年に描かれたあと、1927年に所蔵されたものだということが記録で伝わっています。しかし美術史上に登場するお名前でもないですし、どういう経緯で収蔵になったかは記録が残っていないか、どこかに記録があっても見つかっていない状況です。

――今回のリサーチでわかったことがあれば教えてください

東京都美術館「この場所の風景―上野・大牟田・ブエノスアイレス」が見つめる、人と表現の100年
東京都美術館学芸員・大内 曜さん

大内:この謎の人物を追いかける中で、1927年にアルゼンチンに移住した藤岡鉄太郎(ふじおか・てつたろう)さんという方を知り、この絵が1926年に描かれ、その後の足取りが分からないのは、海外へ渡ったためではないかという飛躍した想像を発端に、同一人物である可能性を視野に入れながら調査が進んでいきました。

1986年に出版された『海を渡った近江の人たち:滋賀県海外移住史』という本に藤岡鉄太郎さんは絵を描くのが趣味だったという記述があり、滋賀のご親族にも取材しました。売薬業で成功した鉄太郎さんの父には進取の精神があり、絵の具やクレヨンといった画材を制作しようとしたこともあったようでした。さらにいろいろな方の紹介でブエノスアイレスに住むお孫さんが見つかり、オンラインでお話をうかがったところ「おじいさんは絵を描いていました。絵も残っています」とお聞きして。《百日草の庭》の絵のテーマと呼応するように造園・花卉(かき)産業に従事していたこともわかり、95歳になる鉄太郎の長女の方などへインタビューを行うためAHA! が現地調査に行くことになり、私も残された絵画を自分の目で確認する必要があると思い、同行させてもらいました。

――現地で印象に残ったことはありますか?

大内:藤岡鉄太郎さんのご遺族のもとに残っている絵などを見せていただいて、まずは、こんなにたくさん絵を描いていた人なんだということに驚きました。江上さんにも共通することですが、いわゆるアマチュア画家なのですが、絵を描くこと、表現することが生活の一部であり、支えになっていたのだろうということを、残された大量のスケッチなどを目の当たりにして「実感」したという感じです。

また、藤岡鉄太郎さんは絵画教室を開いて、近所の子どもたちに絵を教えていたそうです。AHA! が行った教え子へのインタビューでは、絵を学んだ経験が「ものの見方に役立っている」「警察の仕事で似顔絵を描いています」といったお話がありました。絵画という行為が技術として、またその人のかけがえのない思い出として、人に何かを残す力があるということを、地球の裏側まで行ってはじめて体感させられた気持ちになりました。

――大内さんが無名の人に光を当てたいと思う理由を教えてください。

大内:私自身、「まだ見たことのないものを見たい」という思いがあります。そこを出発点に、価値の多様性につながる、今まで皆さんに見られていなかった作家や作品を見つけ出していきたいという気持ちがあります。 それは当館のミッション「すべての人のアートへの入り口」にも、やはりつながっていると思います。

――来場者にどんな体験を持ち帰ってほしいでしょうか。

大内:絵に限らず、自分の支えにできるような何かをお持ちの方はそれを大事にしてもらえたらと思います。自分には何もないと思われている方も、自分、そして自分のいる場所を信じることの力を、江上さんや藤岡さんの生き方から感じていただけたらうれしく思います。

美術館を、なじみのないものにも出会い、自分の世界を広げる場所に

――大内さんご自身の美術館の思い出もお聞かせください。

大内:子どもの頃、親がわりと美術館に連れていってくれる家だったと思います。ちょうど伊勢丹美術館や、池袋のセゾン美術館や東武美術館などデパートが美術館を運営していた時期で、そういった場所の記憶が、断片的ではありますが強く残っています。同じ時期だと思いますが、私が10代の頃というのは、国内に現代美術を扱う美術館ができてきて、水戸芸術館や東京都現代美術館などに初めて出かけた時も何か特別な場所にいくような気持ちになった記憶があります。美術館というのは、自分にとって普段の生活とは違う世界に出会える場所だったと思います。

――次の100年、美術館にはどんな役割があると思いますか?

大内:いろいろな美術館、バラエティーがあっていいと思います。作品がしかるべき環境で保管・展示されるオーソドックスな美術館は変わらず必要ですし、私自身は、美術というものはこうだという概念を疑い直しながら広げていきたいと思っています。当館がアートコミュニケーション事業に力を入れているように、誰でも参加できてアートに触れられる機会を増やすことも大切だと思います。訪れる方が自分のコミュニティーにはない、これまでなじみのなかったものにも出会い、考える場所として美術館が続けばいいなとも思います。自分の目を養い、他者を許容する素地をつくることにも役立つのではないでしょうか。

内覧会レポート「展示室で出会う100年の風景」

東京都美術館開館100周年を記念し、この100年という時間を、異なる三つの場所の創作活動を通して展望する三部構成の展覧会。

東京都美術館「この場所の風景―上野・大牟田・ブエノスアイレス」が見つめる、人と表現の100年
青い展示空間に並ぶ、戦意高揚を目的として制作された絵画。第一部「上野―東京都美術館の100年」より

第一部「上野―東京都美術館の100年」では、美術館の誕生(開館時の名称は東京府美術館)から現在までの100年をたどる。桑原甲子雄や木村伊兵衛らが撮影した「上野」周辺の風景写真をはじめ、戦意高揚を目的とした戦争美術展や、戦争孤児・戦災者をとらえた写真や絵画などを通して戦中・戦後を振り返る。さらに、無審査で誰もが出品できた「読売アンデパンダン展」や、前衛芸術集団「九州派」など、戦後美術を展示。

第二部「大牟田―江上茂雄の100年」では、福岡県大牟田市や熊本県荒尾市の風景を描き続けた江上茂雄(1914~2014)の画業を東京で初めて本格的に紹介する。美術の専門教育を受ける機会がないまま炭鉱会社で事務職として働き、定年退職後も描き続けた。水彩絵の具など小学校の図画教育で用いられる身近な画材を駆使し、クレヨンなどで油彩画のような表現を生み出すなど、その独創的な工夫にも注目したい。抽象的な即興絵画や木版画も展示され、圧倒的な創作への情熱を体感できる。

東京都美術館「この場所の風景―上野・大牟田・ブエノスアイレス」が見つめる、人と表現の100年
第三部「ブエノスアイレス―《百日草の庭》をめぐる100年」の展示風景。南米の地で記録した色鮮やかな写真や映像が並ぶ

第三部「ブエノスアイレス―《百日草の庭》をめぐる100年」では、東京都(府)美術館の最初の所蔵品《百日草の庭》の謎に迫る。ここで展示される《百日草の庭》リサーチ・プロジェクトは、公的記録に残らない私的な営みに着目する「AHA!(Archive for Human Activities)」が企画。AHA!の松本篤がリサーチと展示構成を担当した。絵の作者「藤岡鉄太郎(ふじおか・かねたろう)」を調査する中で、1927年に移民としてアルゼンチンに渡った「藤岡鉄太郎(ふじおか・てつたろう)」という人物を知る。果たして同一人物なのか。展示では、文章と資料図版、またブエノスアイレスで行ったリサーチで撮影された写真、映像などにより、アルゼンチン移民となった鉄太郎の足跡をたどっていく。現地調査直前に起きた思わぬ出来事をきっかけに、AHA! の松本は鉄太郎の遺族一人ひとりにある問いを投げかけた。終盤で上映されるこのインタビュー映像では、鉄太郎の家族と庭の記憶が立ち上がっていく。あわせて、市民から花の記録と記憶を集め、日めくりカレンダーを作成する公募プロジェクトも展開した。

東京都美術館の100年の歩みと並行するように、遠く離れた土地でも、個人の生き方を貫いた創作がある。「中央」と「周縁」という枠組みを超え、この場所から遠く離れた人々の営みに思いを巡らせながら、私たち一人ひとりもまた、アートを支える存在であることに気づかされるだろう。

大内 曜(おおうち・ひかる)
東京都美術館学芸員。2013年から武蔵野市立吉祥寺美術館学芸員を務め、2020年から現職。東京都美術館では2025年「刺繍―針がすくいだす世界」や2023年「いのちをうつす―菌類、植物、動物、人間」、2021年「Everyday Life:わたしは生まれなおしている」などを企画担当。そのほか2017年「コンサベーション_ピース ここからむこうへ part A 青野文昭展/part B はな子のいる風景」(武蔵野市立吉祥寺美術館)、2014年「われわれは〈リアル〉である」(同)などを企画。

開催概要

「東京都美術館開館100周年記念 この場所の風景―上野・大牟田・ブエノスアイレス」

会期:2026年7月23日(木)~10月7日(水)
会場:東京都美術館  ギャラリーA・B・C
休室日:月曜日 ※ただし 8月10日(月)、9月 21日(月・祝)は開室
開室時間:9:30~17:30、金曜日は 9:30~20:00 ※入室は閉室の30分前まで
観覧料:一般 1,200円/65歳以上 1,000円/学生・18歳以下無料 
※同時期開催の特別展「大英博物館日本美術コレクション 百花繚乱~海を越えた江戸絵画」(東京都美術館)のチケット提示にて一般・65歳以上の方は「100円」(東京都美術館開館100周年記念料金)で観覧いただけます。※身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳・被爆者健康手帳をお持ちの方とその介護者(1名まで)は無料 ※18歳以下の方、大学生、高校生、専門学校生、65歳以上の方、各種お手帳をお持ちの方は、いずれも証明できるものをご提示ください
※都内の小学・中学・高校生ならびにこれらに準ずる者とその引率の教員が学校教育活動として観覧するときは無料(事前申請が必要)
主催:東京都美術館(公益財団法人東京都歴史文化財団)

イベント情報

トーク・シリーズ ①江上茂雄を語る
日時:8月29日(土) 14:00~16:00(受付13:30~)
ゲスト:江上計太(美術家、江上茂雄 次男) × 尾中俊介(グラフィック・デザイナー、本展グラフィック・デザイン担当)
会場:東京都美術館 講堂

トーク・シリーズ ②名もなき誰かの足跡をたどる
日時:9月5日(土) 14:00~16:00(受付13:30~)
ゲスト:清水チナツ(カルチュラル・ワーカー) × 松本篤(AHA! 世話人)
会場:東京都美術館 講堂

トーク・シリーズ ③戦中・戦後の女性の美術家たちを追いかける
日時:9月26日(土) 14:00~16:00(受付13:30~)
ゲスト:吉良智子(近代日本美術史・ジェンダー史研究者) × 正路佐知子(国立国際美術館 主任研究員)
会場:東京都美術館 講堂