動画講演
講演震災からの10年、JMATの10年
日本医師会の被災地支援の取り組み
災害直後の支援から地域医療を取り戻すまで
中川 俊男 日本医師会会長
1951年生まれ。2006年に日本医師会常任理事、10年に副会長となり、20年6月に会長に就任。
東日本大震災の際には、全国の都道府県医師会の協力の下、医師などで構成したチーム計1398チームを、日本医師会災害医療チーム「JMAT」として被災地へ派遣しました。JMATは、2010年に創設することとして準備を進めていたものの、実際の結成・派遣は、東日本大震災時が初めてのこととなりました。JMATは、被災者の生命及び健康を守り、公衆衛生を回復すること、そして、被災地に地域医療を取り戻すことを最終目標としています。そのため、災害の発生直後から収束期まで、長期にわたる活動を行います。
東日本大震災では、発災後すぐに、災害派遣医療チーム「DMAT」が国から派遣され、3月22日までの12日間活動しました。対するJMATは、7月15日までの約4カ月間に加え、その後、「JMATⅡ」(1365チーム)として約5年間にわたって活動。医師・看護師不足が深刻な地域を中心に、避難者の健康管理などにあたりました。
各医師会の協働で災害医療をより強く
これまでの教訓を踏まえ、日本医師会は、災害医療対策の更なる強化を進めています。
東日本大震災が起こる前、日本医師会では、JMATを、あくまでも「被災地の外から派遣する医療チーム」と考えていました。しかし、岩手県医師会が、被害が大きくなかった内陸部から医師や看護師を派遣したように、被災地の医師会自らによるJMAT活動こそが重要という認識を得ました。
そのため、現在のJMAT活動は、被災地の医師会による「被災地JMAT」と、被災地外からの「支援JMAT」という内外のJMATが、フェーズに沿って連携しながら活動を進める、つまり、被災地の医師会と全国の医師会による「協働」というコンセプトになっています。
また、現在はコロナ禍にありますが、災害医療にとって古くて新しい脅威が、感染症です。昨年6月には、日本医師会「新型コロナウイルス感染症時代の避難所マニュアル」を作成し、現在もブラッシュアップを続けています。
日本医師会は今後も、地域医療の復興に向けた災害支援に注力してまいります。
講演内陸部から医師・看護師を派遣し、診療所を開設
陸前高田を救った県内外からの支援
小原 紀彰 岩手県医師会長
当時は全国から医療支援をいただき、JMATからは7月までに461ものチームが来県。この時助けていただいた先生方への感謝の念は、10年経ったいまも薄れることはありません。
岩手県医師会も様々な医療支援を行いましたが、その代表例が、震災から5カ月後に開設した仮設診療所「岩手県医師会高田診療所」です。陸前高田市では、六つの病院・診療所が津波で流出し、医療機能が完全に停止しました。県内で被害の少なかった内陸部の医師や看護師が中心となって、4年8カ月にわたり支援活動を続けたのです。
震災後には新たな体制も整えました。ご遺体の検案をスムーズに行うために「岩手県医師会警察医・検案医委員会」を、また心に傷を負った子どものために「いわてこどもケアセンター」をそれぞれ設立。また、地域医療の支援体制を拡充し、人材育成を図る「岩手医科大学・災害時地域医療支援教育センター」を設置しました。我々の被災経験を、全国の災害対策に生かしていただけたらと思います。
講演迅速な情報収集と、物資等の適切な配分を
災害前・災害後の医師会の役割とは
佐藤 和宏 宮城県医師会長
被災直後の現場は大変混乱しています。医師会に求められるのは、視察などを通してできる限り情報を収集し、「人・もの・金」を適切に配分することです。支援に駆けつけてくださるJMATの隊員、大量に送られてくる医薬品、また、義援金や補助金の適切な配置・分配は、医師会の重要な役割となります。
災害に備えて準備しておくべきことも多々あります。まず、災害対策本部の立ち上げの予行です。役割分担・地域分担も考えておくといいでしょう。都道府県医師会の役員・事務局の連絡体制を整備しておくことも重要です。また、災害医療コーディネーターを知事から任命しておいてもらうことも必要です。震災時、本県では10人ほどが事前に任命されており、非常に助かりました。なお、災害医療コーディネーターは不眠不休の活動となるので、交代要員の準備も必要となります。そして、医師会館には最低3日分の食料や水、医薬品などを備蓄しておくべきです。
今後も、私たちの経験を広くお伝えしていければと思います。
講演福島の復興は途上、医療体制の拡充が課題
いまなお続く原子力災害の対応
佐藤 武寿 福島県医師会長
地震、津波による被害に加え、原子力災害にも見舞われた福島県では、復興に向けた活動が今も続いています。
原子力災害への対応の一つが、県民健康調査への協力です。震災直後は外部・内部被曝検査のニーズが殺到し、今日のコロナ対応以上に混乱していました。現在も、放射線の健康相談窓口などを設置し、県民に対するリスクコミュニケーションを継続しています。また、甲状腺超音波検査を担当する医師等の育成や検査拠点整備にも協力しています。さらに、原発事故による避難地域への医療支援も続けており、2018年には「ふたば医療センター」が開設されました。
他にも、被災によるカルテやおくすり手帳の破損・紛失によって診察が困難を極めたことを教訓に、県内の医療・福祉情報のネットワーク化を進め、「キビタン健康ネット」を構築。また、「福島県医業承継バンク」を開設し、地域医療の維持にも努めています。今後も、医療従事者のさらなる確保と、医療体制の整備のために力を尽くしていきます。
講演石巻での地域災害医療コーディネーション経験と
その後の災害医療の進化
混乱が続く被災地で避難所支援に奔走
石井 正 東北大学病院総合地域医療教育支援部教授、宮城県医師会常任理事
1963年生まれ。東日本大震災発災時は、石巻赤十字病院で「石巻圏合同救護チーム」を組織し統括役を担う。
東日本大震災の前から、宮城県沖で今後30年以内に大きな地震が起こる確率は99%といわれていました。あの日、地震に続いて起こった津波により石巻市役所が水没し、保健所も壊滅的な打撃を受けるなかで、たまたま私のいた石巻赤十字病院は浸水被害も受けずに生き残りました。地域の災害拠点病院に、県の災害医療コーディネーターを拝命したばかりの私がいた。そんな偶然が重なり、全国から駆けつけてくださった災害医療チームの取りまとめを私が担うことになりました。
数日経ってようやく水の引いた市役所に入り、避難所のリストだけは手に入れたものの、どこにどのような医療ニーズがあるかは分かりませんでした。そこで私たちは、まず300以上の避難所の状況調査を3日間で行い、そのうえでニーズに応じた支援を行いました。支援実施体制として考案したのが「エリア・ライン制」です。石巻医療圏を14のエリアに分け、それぞれのエリアに3〜5のチームを振り分けた上で、幹事チームを中心に、ある程度自発的に動いていただくやり方です。
次の災害は必ず来る そのつもりで備えを
津波による死者が多く救命対象が少なかったことと、避難生活が長期化したことで、救護チームには内科的疾患への対応や被災者への保健衛生指導などが求められ、活動期間も長くなりましたが、日本医師会のJMATは救護チームとして大変活躍しました。日頃かかりつけ医として地域に寄り添う医療を実践している方々の力は、非常にありがたかったです。
現在、私たちの体験から生まれたエリア・ライン制などの手法は、日本の災害保健医療における標準的な考え方となっています。今後は被災地における本部運営の在り方、権限の明確化、スタッフの訓練と人材育成、通信設備と情報の収集・分析・管理体制の充実など、この災害から得られた教訓を各地での体制づくりに生かしていただければと思います。災害に対しては「いつか来るかもしれない」ではなく、「必ず来る」という意識で備えておくこと。それが一番大切です。
講演わが国の災害医療 ~震災後10年を経過して~
医療資源の確保に貢献するJMAT
横田 裕行 日本体育大学大学院保健医療学研究科長・教授、日体幼稚園園長、一般財団法人日本救急医療財団理事長
1955年生まれ。2008年日本医科大学救急医学主任教授、同大付属病院高度救命救急センター長など歴任。20年4月より現職。
突然発生したケガや病気に対応するという点では、災害医療は救急医療と共通した部分があります。しかし、もちろん両者は同じではありません。通常の救急では患者さんに対して医療資源(医療スタッフや医薬品など)が十分にあるのが普通です。一方、災害医療では対象者に対して医療資源が圧倒的に少なく、最良の医療を提供できるとは限らないという点が大きく異なります。
最大多数の最大利益を考えるなら、発災直後にはトリアージ、つまりすぐに対処すべき人とそうではない人を区別することが重要です。そして1日、2日と時間が経った後では、できる限り医療資源を豊富にすることを目指す必要があります。そのために被災地で活動するのが、先ほどから話題に上っているDMATやJMATです。同時に対象者をできる限り少なくすることも重要ですので、もしも災害が起こったらどうするか、日頃から一人ひとりが意識し備えておくようにしましょう。
同じ目的を共有する関係者の心の絆を
わが国の災害医療の大きな転換点となった阪神・淡路大震災では、平常時なら提供されるはずの急性期医療が行えずに亡くなった人、いわゆる「防ぎ得る災害死」が500人ほどいたともいわれます。広域災害救急医療情報システム(EMIS)は、その教訓をもとに生まれました。また、発災直後に活動を始める被災地JMATから数日後に活動を開始するDMAT、支援JMATへといったシームレスな医療支援の仕組みも、東日本大震災の後に整備されたものです。
さらに、被害が広域・長期にわたった東日本大震災の経験は、避難所における内科的疾患への対処やメンタルケアの重要性を教えてくれました。その後の災害支援では、こうした知見が生かされると同時に、新たに見えてきた課題をもとに支援体制の強化や人材育成が今も続けられています。大切なことは、本日のキーワードでもある「絆」です。単に職務上の連携というだけでなく、同じ目的を共有しているという心の絆が、いざというとき災害保健医療の成否を分けるでしょう。