ただ楽しめ、それがすべて。

第33次越冬隊

梅沢昭仁

南極に行くなんて考えたこともなかったので、初めは「参ったな」というのが実感でした。私が三機工業から国立極地研究所に出向し、南極地域観測隊に参加することになったのは1991年。「南極条約・環境保護に関する南極条約議定書」が採択された年です。その議定書が発効する98年までに、南極という場所の特殊性を理解した環境技術の専門家を育てたいというので、極地研から私の母校である北海道大学に相談があったようです。それを聞いた当時の課長、私にとっては大学の先輩であり上司でもありますが、この人が社内で提案書を上げ当社からの派遣が決まりました。

私が初めに聞いたのが出発の数ヵ月前、11月には晴海埠頭から出る南極観測船に乗っていたので、その間はあっという間でした。今では社内に経験者も増え、南極での仕事内容や生活の様子などを具体的に聴く機会も多いですが、当時は何しろ第1号ですから。もっとこんなものを持ってくれば良かったと思うようなこともありましたが、若かったし勢いだけで乗り切ったという感じです。

昭和基地には、隊員の暮らしに伴い発生する生活系廃棄物と、さまざまな研究活動から生じる事業系廃棄物があります。処理の方法がなく、長い間その場に置かれたままの車両など、大型の廃棄物もありました。私の仕事は主に、こうした廃棄物の分別・処理の方法を考えること。国内に持ち帰るものと、基地内で焼却などの中間処理をするものを仕分け、他の隊員には分別ルールを順守してもらう。今後建設する廃棄物や排水の処理施設に必要かつ、南極の環境下で実現可能な仕様を見きわめ提案する。右も左もわからない特殊な環境で、決断し、実行し、検証して軌道修正する。毎日がその繰り返しです。入社4、5年目の若者がよくやりましたよね。まあ、何も考えてないからできたんでしょう(笑)。

本音をいえば、当時はずっと不安でした。自分のやっていることが正しいのか、正解はどこにもないからです。しかし私たちは技術者ですので、正解が出るまで腕を組んで待っているわけにはいきません。たとえば屋外での焼却は、できることならやりたくない。しかし他に方法がないのなら、場所を決め、タイミングを見計らい、影響の及ぶ範囲を最小限にして実行する。そうすれば、たとえその方法が最善ではなかったとしてもなぜそうなのか、焼却によってどんな影響が現れたかを検証できる。それがエンジニアリングだと思います。答えの出ない問題を考え続ける姿勢、自分一人でも実行するというマインド。強いていえばそれを、私は南極から持ち帰った気がします。

今、後輩たちを南極へ送り出す際に話すことが二つあります。一つは自分の身は自分で守ること。これは極地に赴く人間の鉄則です。もう一つは、楽しむこと。「ずっと廃棄物を分別して燃やしていました。」では行く意味がありません。たとえば日本では、静かな夜だと思っても風が吹き、木の枝が鳴っています。しかし南極には、木がないし虫もいません。完全な無音の世界で、オーロラの光がスーッと広がる。涙が出ますよ。その瞬間、この環境はやっぱり守らなきゃいけないんだと、体の底からわかるんです。南極での体験をどう生かす、何に役立てるなんてことは全部あとまわしでいい。その時間、その場所にしかないものを全身で感じ、受け取ってきてほしい。それさえできれば100点ですよ。(談)