【後編】 一度は諦めた、夢のつづき。

三機工業株式会社
空調衛生技術5部
技師
第60次南極地域観測隊
越冬隊
機械設備全般担当

倉島浩章

ふなどファミリー
クリニック
医師
第60次南極地域観測隊
越冬隊
医療担当

廣田大輔

〈前編から続く〉
——第60次隊が任務を終えて帰国したのは2020年の春先でした。新型コロナの影響はありませんでしたか。

倉島 船でオーストラリアまで行き、そこから飛行機で日本に戻るのですが、ちょうどオーストラリアでも急激に感染者が増えている時期だったので、船が寄港できないのではないか、飛行機も飛ばないんじゃないかといった噂は聞こえていました。ほぼ2カ月にわたる船旅の後ですので、通常なら少し休息をとってから帰国の途につくはずですが、私たちは翌日の便ですぐに帰ってきました。その当日の2020年3月20日21時以降、オーストラリアへは、すべての渡航者が入国を禁止され、飛行機も飛ばなくなるギリギリのタイミングでした。

廣田 初めのうちはシドニーではどこを観光しようか、なんて気楽に話していたんです。しかし同行者のなかに通信社の人がいて、彼の持っている端末に断続的に届く情報を見ているうちに、これは大きなことが起こっているのだと理解しました。成田に降り立つまでは不安でしたが、結果的にはスムーズに帰国できたと思います。

——2020年出発する第62次隊は、人員を減らし滞在期間も短縮するなど、厳重な感染対策の下での任務となります。それでも南極観測を続けるべき理由、観測事業の意義とはどんなことでしょうか。

倉島 昭和基地はオングル島という島に位置していますが、私たちの滞在中、島から離れた大陸に数人の研究者が出かけて行きました。2週間あまりをかけ各拠点で観測と機器の保守を行いながら往復800キロの道のりを行く、かなり骨の折れる大陸内陸部への調査行動です。

都市には人の生活がありますから、大気や水などは当然その影響を大きく受けます。だからこそ南極という特殊な環境で自然観測をすることに意義があるわけですが、そこにも昭和基地があり、少ないながらも人の活動があります。そのわずかなノイズさえもできるだけ避けるための内陸での観測です。日本の観測隊は、そんな精密な観測を60年以上も続けてきたのだということでした。

廣田 私は医師として、その内陸での観測に同行しました。観測気球の設置や積雪のサンプリング、磁力計の保守など研究者はそこで様々な任務をこなしていましたが、雪上車が近づくだけでも空気が汚れる、振動が伝わる、というのでかなりの時間をかけて慎重に作業を進めていました。あれほど繊細に気を配る姿を見ていると、南極という唯一無二の環境で観測を続けることがどれほど重要かわかった気がします。

倉島 すぐに何かが見つかることはないのかもしれませんが、日々の観測データを長い期間記録し続けることで、将来の研究者がそこから貴重な情報を得られるかもしれない。そしてそれが、地球環境の過去を知り、未来を予測するために役立つ可能性があります。

個人的には、せっかく大切な仕事をしているのですから、研究者がもっと情報を発信してくれるとなお良いのにと思います。そうすることで他の分野の研究者が、ではこんなことも調べられるんじゃないか、といった新たなアイデアにつながるかもしれないからです。

——ご自分にとって、南極に行って良かったと思うのはどんなことですか。

廣田 病院の診察室にはいろんな方々が来られますが、あくまで医者と患者という立場で会っているので、そんなに打ち解けるというわけにはいきません。しかし南極では普段なかなか出会うことのない人たちと寝食をともにし、互いの仕事を手伝い、本音で話し合うことができる。それが何よりの財産でした。異業種の人たちとこれほど親密な仲間になれるなんて、なかなかないことですから。

医者の立場でいえば、医療がどんどん専門化・細分化する現代で、内科も外科も眼科も歯科も、とにかく自分が責任を持つんだ、という環境に身を置いたことが貴重な経験です。スキルが上がったかはわかりませんが、少なくとも度胸はついたと思います。

倉島 私もそれが大きかったですね。たとえば建物の空調や給排水設備の保守は私の担当ですが、その設備を支える発電機のメーカーから派遣されてきた隊員もいます。水や暖房を絶対に止めてはいけない立場の私と、そこに用いる発電機を止めないという使命感を持つメーカーさんでは、視点や考え方が似ている部分もあれば違う部分もあります。そういうことを知ったのは、これからの仕事にもきっとプラスになると思います。

——これから南極をめざす人たちにメッセージをお願いします。

廣田 私の場合、自分から南極に行きたいと積極的に発信し続けたことで、妻や当時の上司など、たくさんの人たちが背中を押してくれました。言葉に出し、人に伝えることで道が開けることもあるので、強い思いがあるならどんどん発信してほしいと思います。また私は最初の応募では選ばれず、2回目でようやく南極行きが実現しました。やはり諦めないということが大事です。

倉島 私や廣田先生のような仕事は、南極観測事業にとっては脇役です。しかし絶対に必要な脇役だと思いますので、後に続く人たちにもぜひ誇りを持って続けてほしいと思います。

私のように会社からの出向で南極に行くというのは、早く出世したい、偉くなりたいという人から見ればマイナスかもしれません。しかしそれを補って余りあるものを私は持ち帰ったと思っています。どちらが良い・悪いというのではありませんが、こんな生き方もあるんだよということは、後輩たちにも伝えていきたいですね。