04厳美・萩荘 岩手県

保井 崇志

  • 800年間、変わらない農村景観を残す厳美町の本寺地区。西には栗駒山を望む=2020年11月19日、保井崇志撮影
  • 本寺地区の景観の要である特徴的な田んぼ。ひとつひとつが小さく、丸みを帯びた形をしている=2020年11月19日、保井崇志撮影
  • 萩荘地区の久保川流域に広がる「久保川イーハトーブ世界」の里山=2020年11月20日、保井崇志撮影
  • 本寺地区の駒形根神社=2020年11月20日、保井崇志撮影
  • 冬の西風から守るため、家々は「イグネ」と呼ばれる屋敷林に囲まれている=2020年11月19日、保井崇志撮影
  • 大きな杉の「イグネ」とともにある暮らし=2020年11月19日、保井崇志撮影
  • 家の軒先では冬の保存食のひとつである干し柿を作る=2020年11月19日、保井崇志撮影
  • 「久保川イーハトーブ世界」では、600を超えるため池の保全と再生を行う=2020年11月20日、保井崇志撮影
  • ため池の生き物を守るため、外来生物(ウシガエル)は籠を仕掛けて防除を行う=2020年11月20日、保井崇志撮影
  • 「久保川イーハトーブ世界」の里山の頂上=2020年11月20日、保井崇志撮影
  • 里山の頂上からの眺望。眼下には棚田や畑がパッチワークのように見渡せる=2020年11月20日、保井崇志撮影
  • お話を伺った知勝院にある施設。昔ながらの建物は、本寺地区から移築されたものだ=2020年11月20日、保井崇志撮影

栗駒山を拝む2つの里

800年変わらない景観/厳美

四方を低い丘陵に囲まれた細長い平野部に田んぼが広がり、家が点在する。岩手県一関市厳美町の本寺地区。この景観は、800年前から変わらずに続いている。

「素晴らしいです」。中世の農村景観が今も残る地に立った「SATO」プロジェクトのナビゲーターで上智大学大学院のあん・まくどなるど教授は声をあげた。

ここは、2011年に世界遺産の構成資産となった中尊寺のかつての荘園だった。全360ヘクタールのうち、当時と現在とを具体的に対比できる岩屋や神社などの9箇所は「骨寺村(ほねでらむら)荘園遺跡」として国の史跡になっている。

「タイム・トラベルしながら、この素晴らしい景観をともに見てみましょう」

あん教授と旅に出た。

決定づけた2枚の絵図

この地の歴史について学ぶため、「骨寺村荘園交流館」に行くと「陸奥国骨寺村絵図」の大きな複製が2枚並んで立てかけられていた。いずれも西に位置する栗駒山(地域名・須川岳)を正面に捉え、川や岩屋を境として東西南北が明確に区切られている。その中の平野が当時の「骨寺村」、現在の「本寺地区」だ。同じものを描いているものの、ひとつは詳細版、もうひとつは簡略版で、両方とも鎌倉時代後期に描かれたと考えられている。

「時の証人」。絵図に添えられたパネルにある通り、これらの絵図によって現在の本寺地区の景観が800年前と変わらないことがわかった。

「どちらの絵図が好きですか?」

あん教授が同館学芸員の西幸子さん(59)に尋ねると、西さんは詳細版を指した。

「荘園遺跡の中核部分は『重要文化的景観』に選ばれています。私はそのことを誇らしく思っているのですが、重要文化的景観に選ばれたきっかけとなったのがこちらの絵図です」

詳細版の絵図には、屋敷と、小さくて曲線的な田んぼが隣り合わせに描かれている。中世ではこれを「田屋敷」と呼んだ。「今は家から少し離れたところの大きな田んぼで比較的大規模にお米を作っていることが多いですよね。ここには田屋敷が今もあります。それこそが『日本の原風景』といわれるひとつの理由なのです」と西さんは説明してくれた。

平和を願う気持ちが景観を生む

交流館を出て「駒形根神社」に足を運んだ。絵図には「六所宮」として描かれ、ご神体である「栗駒山」を拝む場所だ。戦争に加担するわけにはいかないと地元の人が田んぼに隠して供出を免れた鐘、農業を支えてくれる馬を祭った馬頭観音、村人の安全を願って建てられた石碑。信仰心が感じられる遺物が多くある。

「景観は信仰心や精神と結びついている気がします。安全で健康に暮らせますように、と平和を願う人たちの気持ちが時代を超えて生きているからこそ、この景観もあるのではないでしょうか」と西さんは言った。

あん教授は「景観」の力を感じた。「ここにいると自分の内側の雑念が消えて落ち着いた気分になります。平和な景観がそうさせてくれるようです」

田屋敷とともに特徴的なのが屋敷を囲む「イグネ」と呼ばれる屋敷林だ。冬の西風から守るため、家々は杉の防風林で守られている。神社を後にして歩いていると、イグネを抱く田屋敷に暮らす平山マツ子さん(79)に出会った。干し柿、切り干し大根、黒小豆・・・。家の中や軒先には自ら収穫した農作物が並んでいた。「干せるかどうかは天気次第」と言う。日差しをたっぷりと浴びた食物は、季節を問わず食べられる保存食になる。

「地震がきてもパンデミックになっても生きていけますね」

あん教授は、そのたくましさに感心した。

効率重視か景観保全か―揺れた住民

平和を願う人たちが紡ぐ800年変わらない景観。

しかし、ここに至るには住民たちの葛藤があった。

景観の要である田んぼを効率重視で整備するのか、貴重なものとして残すのか。

基盤整備の機運は1950年代以降、たびたび高まりながらも実施には至らなかった。だが、「陸奥国骨寺村絵図」が95年に国の重要文化財に指定されると議論は次第に熱を帯びるようになった。

本寺地区の田んぼはひとつひとつが小さく、丸みを帯びた形をしている。水路も土を生かした「土水路(どすいろ)」で曲がりくねっている。機械を入れて規則的に作業ができないので効率はなかなか上がらず管理は難しい。整備をした方が生産性は上がる。

一方、この環境が夏にホタルを呼び寄せ、秋には赤とんぼが田を彩る。機械的な手入れが入っていない田んぼは多様な生き物のすみかとなっている。

地域住民、農家、市の担当者を交えた議論は年間200回にも及んだ。2年にわたる話し合いを経て、現在の景観や暮らしを残すことを中心としながら水田を継続できる地域づくりが始まった。

心落ち着く集落の景観

地域づくりのために地域住民でつくる「本寺地区地域づくり推進協議会」は04年に発足した。今年度から同協議会会長を務めている五十嵐正一さん(70)は地元の決断についてこう語った。

「私たちの水田は見えるところだと30ヘクタールほどしかなく、いくら整備してまとめてもそこそこの規模にしかならない。それでは外国やほかの地域の米に太刀打ちできないのではないか。そうであれば、効率性ではなく景観や環境に配慮したお米を作ることで他の地域と勝負できるのではないかとみんなの思いをひとつにしたんです」

以降、昔ながらの農村景観での米作りを県外者などが支援する「骨寺村荘園米オーナー制度」をつくり、レストランや産直コーナーで郷土の農産物を知ってもらう活動を通じて地域づくりに力を注いでいる。

「農作業は率直に言ってつらいです。でも、霊峰・栗駒山と『イグネ』のある集落を見るとほっとするんです。農作業の合間に少し休むたびに、あぁいいなぁ、ふるさとはいいなぁ、と感じます。だからまたがんばろうという気持ちにもなりますし、この水田景観を残していきたいという気持ちになるんです」

五十嵐さんが視線を向ける田のうねりはまるで芸術作品のようだ。あん教授も目の前に広がる自然が作り出すアートを眺めながら言った。「みんなで話し合いができてよかったですね。熱い議論だったでしょう。東北の雪国の人たちが内側にもつパッション(情熱)ですね」

実在する理想郷/萩荘

800年前の景観を残す本寺地区から南東に約5キロ。同じ一関市にある「萩荘(はぎしょう)」地区の久保川流域では、あるべき里山の姿を次世代に引き継ごうとする取り組みが行われている。

「久保川イーハトーブ世界」

「イーハトーブ」は岩手県出身の童話作家・宮沢賢治が名づけた架空の理想郷のこと。「久保川イーハトーブ自然再生協議会」会長で千坂嵃峰(ちさか・げんぽう)さん(75)らが生物多様性に富む自然の保全・再生を目指している。千坂さんは「久保川イーハトーブ世界」の久保川流域にある「知勝院(ちしょういん)」の元住職で、全国で初めての「樹木葬」の提唱、実践者でもある。

今度は、実在する理想的な里山へとあん教授と向かった。

保全活動は歴史の検証、歴史づくり

「イーハトーブの活動は何年くらい前から始めたのですか」

生息するたくさんの生き物たちの資料が展示してある「いきもの浄土館」であん教授は千坂さんに聞いた。

「墓石を使わない樹木葬を私が始めたのは1999年です。地元には素晴らしい自然があるのになかなか生かしきれていないという気持ちがあり、樹木葬をすることで地元のよさをアピールしたいと思いました」

地域の自然を守るために仲間と流域の植生や生態系を調べ、専門家の助言を得て、この地域に多くある約600のため池の保全と再生をしている。担い手がいなくなり、荒れたため池や水田跡を農家から買い取って、あるべき環境によみがえらせる。ため池の生き物を脅かす外来生物のウシガエルは籠を仕掛けて防除もする。

「自然保全活動は歴史の検証であり、歴史をつくること」

千坂さんは自らの活動をそう捉える。今の里山の姿は、地球環境と人間との関わりの歴史の表れだ。人間が地球とどういう関係を築き、ほかの生き物とどう関わってきたのか。自然を守るということは、それらを検証しながら新たな歴史をつくることではないか。住職として菩提寺を守り、歴史と向き合ってきた経験から考える。

「いきもの浄土館」には昆虫の標本が多く保存されていて、来館者は標本を目にすることができる。「久保川イーハトーブ自然再生協議会」研究員の佐藤良平さん(33)に、「キタテハ」というチョウの標本作りを見せてもらった。壊さないように注意しながら台に乗せ、針で羽を広げ、テープで固定する。2週間ほど乾かすと完成するそうだ。

佐藤さんは東京で生まれ育った。山登りが好きな両親の影響で小さいころから昆虫に親しみ、東京農業大学を卒業後、一般企業を経て知人の紹介で約10年前に、ここに移り住んだ。標本作りは高校生のころからしているという。

「標本を作るため、生きた命を奪うことに疑問を感じたこともありました。でも、記録として残すことが保全につながると今は考えています」

亡くなっても地球環境のためにできること

生き物の保全とともに生態系にとって大切なのが景観だ。千坂さんが始めた樹木葬の墓地は、そうした景観の素晴らしさを感じられるところだった。

標高約300mの高台。ランドマークとする栗駒山を西に眺め、眼下には棚田や畑がパッチワークのように見渡せる。元々は放棄された牧草地で笹やぶだった土地を購入して切りひらき、美しい里山へと再生して墓地にした。

遺骨は深さ1メートルのところに納められ、地表には故人の名前(俗名)が書かれた小さな木の札がある。墓石の代わりに植えられた低木は年月の経過とともに自然と一体化していく。

「樹木葬というと石の代わりに木を植えるという考え方で知られていますが、決してそうではありません。自分たちが生まれ、育てられた地球環境を大事にしようということに亡くなった後も寄与する、役に立つ。そういうことです」

丁寧に日々整えられるこの里山で、千坂さんの言葉には説得力があった。

千坂さんたちが20年かけて実践してきたことは着実に実を結び、形となっている。

「これからは何を目指しているのですか」

あん教授が最後に尋ねると、千坂さんはこう答えた。

「荒れたままになっている3万平米以上の田んぼの跡地があります。今までのノウハウを生かして、そこを従来の自然な里山に戻そうというのが私の最後の仕事です」

佐藤さんは「今の自然観察会は都市の大人向けなので、子どもたちも対象にしていきたいです。里山は田んぼを耕して畑作業をして維持されるものなので、絶えないようにするためには引き継ぐ人が必要です。都会と行き来しながらでもこうした自然に慣れ親しんでくれる人が増えるといいとも思っています」と話した。

大きな自然をつくる小さな世界

800年の景観を受け継ぐ里と、理想郷が現実のものとして存在する里と。

2つの里であん教授が知ったのは、大きな自然をつくる小さな世界だった。

「最初にここに来た時、東北の、岩手の大きな美しい景観が目に入りました。でも細かく見ると、この大きな美しい里は一匹一匹の生き物や動植物を大事にし、人間が自然界に対して目、耳、心を優しく向け、対話することでできていました。そのことが今回の発見でした」

あん・まくどなるどあんまくどなるど

カナダ生まれ。高校生だった1982年から1年間日本に滞在。1988年、熊本大学留学。全国環境保全型農業推進会議推進委員を務めたほか、気候変動に関する政府間パネルの評価報告書作成に携わる。「にほんの里100選」の選考委員。 2009年上智大学地球環境学研究科非常勤講師、2011年同大同科教授。

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