07八森 秋田県
保井 崇志
海と山が織りなす里
世界遺産・白神山地のふもとにハタハタ漁
日本海の波が打ち寄せる岸のそばに民家があり、そのすぐ後ろには雪を抱いた山々が迫る。世界遺産・白神山地のふもとにある秋田県山本郡八峰町(はっぽうちょう)の「八森(はちもり)」地域。ここは秋田県が郷土の魚に指定するハタハタの漁が盛んだ。毎年12月になると、普段は水深約250mに生息するハタハタが水面近くまで浮かび上がって接岸し、海藻に卵を産みつける。漁師たちは期間限定の漁に精を出し、漁獲されたハタハタはさまざまに調理され、冬の味覚として人々の口へ。
「SATO」プロジェクトのナビゲーターで上智大学大学院のあん・まくどなるど教授は、かつて日本各地の漁村を訪ね歩いた経験をもつ。八森は「乱獲をどう防ぐかについて学ぶべきところがある場所」だと言う。
「今回はこのプロジェクトで初めてとなる海の里が舞台です。海とともに生きる人々に目を向けてみましょう」
八森にはどういう物語があるのだろう。いざなう、あん教授と旅に出た。
不漁で禁漁を決意
「どうやって3年間の禁漁を成し遂げたのか。ぜひ聞かせてください」
早速切り出したあん教授に、秋田県漁業協同組合北部支所・支所長の工藤篤さん(58)はゆっくりと答えた。
「1991年までにハタハタが大幅に減少したんです。八森では12月はハタハタ漁がメインなのでこれはよくない。どうすればいいかを漁師たちが県とともに考え、まずは3年間の禁漁をすることになりました」
「3年間の禁漁」とは92年から95年まで、県内の漁業者がハタハタ漁を自粛したことを指す。県のハタハタの漁獲量は63年から13年間連続して1万トン以上あったものの、91年に過去最低の70トン近くまで落ち込み、あまりの急減ぶりに強い危機感を抱いた漁師たちが資源対策に取り組んだ。八森の漁師にとってハタハタ漁は冬の重要な仕事だ。反対する人もいたが、話し合いを重ねてまとまった。禁漁中、ある漁師は出稼ぎに出て、ある漁師は別の魚をとって生計を立てた。解禁後は漁獲量に上限を設けて計画的な漁業を実施。すると徐々に効果はあらわれ、2008年には2900トンにまで回復した。
工藤さんの話に耳を傾けていた、あん教授はこう続けた。「禁漁期間はもちろん、それから今に至るまで、決めた範囲の漁しかしないみなさんは偉いです。守り続けていられるのはどうしてですか」
工藤さんはこう答えた。「また禁漁にならないように、という気持ちがあります。漁を制限するだけではなく、網の目を大きくして小さい魚は捕獲しないようにしたり、捕獲しても十分に大きくない魚は放流したり、という取り組みも長く続けています」。ハタハタが食卓にある風景は決して当たり前ではない。漁業者や行政が一体となり、自然との調和を実現させてこそ成り立っている。
ハタハタを増やそうとする試みは若い人たちからも自発的に生まれつつある。
小林優大さん(35)は、親から引き継いだ水産物の加工会社を営む。アカモクという海藻を採ったり、ハタハタでおすしを作ったりして販売している。今、仲間である船越宗大さん(36)と考えているのがアカモクの「養殖」だ。アカモクが生えていないところへアカモクの種を運び、ハタハタの卵の産み場を増やそうと計画している。ハタハタがとれなくなった時の話を聞いたり、県が開くアカモクの勉強会に参加したりするうちに意識が変わってきた。「今までは収穫する一方だったのですが、これからはハタハタの保全活動にも力を入れたいです」
小林さんの真剣なまなざしに向き合ったあん教授は「素晴らしいですね。アカモクはハタハタにとって家です。漁獲量を抑えるだけではなく、こうして住む場所を用意してあげることも大切ですね」とうなずいた。
ソウルフードには「しょっつる」
ハタハタは秋田県民のソウルフードだ。焼いて、鍋に入れて、発酵させておすしにして、人々はおなかを満たす。鍋に使われる調味料としては、「しょっつる」と呼ばれるハタハタを使った魚醬(ぎょしょう)がある。県漁業協同組合北部地区女性部の有志から始まった「ひより会」は「しょっつる」を製造販売する目的で02年に結成され、現在は5人が携わる。夫や子どもが漁獲するうち、市場価値の低い魚に付加価値をつけることで収入の安定につなげられないかと話し合う過程で商品化のアイデアが生まれた。「しょっつる」はもともと、八峰町の各家庭で作られていたが、その文化が消えつつあることも理由だった。
「ひより会」の製造所を訪れると、ひとつ20kgの重さがあるという黄色い容器がたくさん並んでいた。中には食塩でつけ込まれたハタハタが入っている。
「1年に1回、12月末につけ込んで、その後は1カ月に1回かき混ぜます。暖かくなると発酵が進んで柔らかくなっていきます。それを2年繰り返すと『しょっつる』のできあがりです」。「ひより会」代表の藤田はるみさん(65)は教えてくれた。
各家庭で作られていた従来の作り方では、食用にするハタハタの身を取り、残った頭部と内臓をつけ込んでいたので生臭さがあったため「しょっつる」によい印象を持っていない人も多いようだという。
菊地啓子さん(66)はハタハタが出回る季節には朝、昼、晩と1日に3食、ハタハタを食べている。「頭部と内臓もつけ込んだ『しょっつる』は鍋にすごく合います。ただ、慣れていない人には生臭いと感じると聞きました」。そこで新たに、頭部と内臓を除いて身だけをつけ込み、クセのない味に仕上げた商品も作り、多くの人に受け入れられるよう工夫している。大きさは120mlと200ml、熟成は2年ものと10年もの、など用途に応じて選んでもらえるような商品展開をして、瓶やラベルのデザインにもこだわっている。
楽しみながら、生活の知恵を絞る「ひより会」の女性たちの姿に、あん教授は感心した。「食文化を保全するには伝統を守る心が必要な一方、ある程度は時代に合わせて変えていかなければいけません。みなさんにはそのバランスがありますね」。真面目な表情でそう話した後、今度は笑顔でこう言った。「日本海地方に行けば曇っている日が多くて暗いという話もありますが、今日はまさにサンシャインのような『ひより会』のみなさんと会えました」。あん教授の言葉に5人の笑顔もはじけた。
ブナの森が海をも育む
ハタハタを守ろうとしているのは海に関わる人たちだけではない。森を守る人たちもまた、ハタハタに思いを寄せる。
「NPO法人白神ネイチャー協会」のメンバーは白神山地のブナの森から海に流れ出る水がハタハタの生育に影響すると考え、森づくりを進めている。
きっかけはハタハタの不漁だった。同協会代表の山崎典康さん(62)は「森の水に何か問題があるのかもしれない」と感じた。実際の関係性はわからない。でも、森からの良質な水がハタハタの産卵場所である藻場、つまり「海の森」を育てることにつながるだろう、と全国からボランティアを募って2000年からブナの植樹を続けている。秋に約千個の実を拾い集めて2年間はプランターで育て、3年目の苗木を山に植える。
海をも育むというブナに会うため、海岸線から約3kmのところに位置する「留山(とめやま)」に向かった。2月の終わり、気温はそこまで低くはないものの大粒の雪が降っていた。緩やかな坂道を歩いて登っていくと葉を落としたブナが広がる標高160~180mの地帯に出た。
「ここは300年余り前の江戸時代から地元の人たちが守り、受け継いできた手つかずの森なのです」。雪降る静かな森の中で山崎さんが口を開いた。言い伝えによると、当時、地元の人たちは森からの水を生活用水としていたが、ある時、水がかれたので原因を調べると森の木が伐採されていることがわかった。そこで人々は藩主に伐採をやめるよう陳情した。「木をこのままにとどめて下さい」。そうお願いしたことから、「留山」と呼ばれているそうだ。
歩みを進めると、樹齢300~350年と推定されるこの森の主ともいえるブナの大木に出会った。ブナの平均寿命である300年を超えている。「ここに来ると本当に気持ちが落ち着きます」。山崎さんは心を込めて言い、あん教授にこう促した。「寝転がると楽しいですよ」。あん教授は早速、雪の上に手足を広げて仰向けになると静かに言った。「最高です。すごくリラックスできます。ここのフォレスト・セラピーは世界一ですね」
人が使命を果たすことで保たれる自然界
「海の里」。あん教授は当初、八森をそう捉えていた。でもそれは今回の旅を通して覆った。海の里だとばかり思っていた八森は、山の里でもあった。
「人々の絆の美しさが、ぎゅっと心に届きました。海に生きる人と山に生きる人がそれぞれに使命をまっとうしているからこそ、素晴らしい自然界が保たれていました。この自然の美しさと、きらきらとする人々の笑顔が絶えないことを祈っています」
- あん・まくどなるど
-
カナダ生まれ。高校生だった1982年から1年間日本に滞在。1988年、熊本大学留学。全国環境保全型農業推進会議推進委員を務めたほか、気候変動に関する政府間パネルの評価報告書作成に携わる。「にほんの里100選」の選考委員。 2009年上智大学地球環境学研究科非常勤講師、2011年同大同科教授。
VIDEO REPORT
海、山、それぞれの使命
あん・まくどなるど秋田県 八森