03小野路 東京都

保井 崇志

  • 東京に息づく美しい里「奈良ばい谷戸」の風景=2020年10月15日、保井崇志撮影
  • 刈った稲をワラで束ねてかける竹製のはさがけ=2020年10月15日、保井崇志撮影
  • 手入れがされた竹林の道=2020年10月15日、保井崇志撮影
  • NPO法人「まちだ結の里」の鈴木武さん。里の営みには日々の手入れが欠かせない=2020年10月15日、保井崇志撮影
  • 「まちだ結の里」の会員が集う事務所=2020年10月15日、保井崇志撮影
  • 豊作の栗。市販で見るものよりも二回りは大きい=2020年10月15日、保井崇志撮影
  • アキアカネ(赤とんぼ)が里に秋の訪れを告げる=2020年10月15日、保井崇志撮影
  • 夏から秋にかけて花が咲くツリフネソウ。東京都の準絶滅危惧種に指定されている=2020年10月15日、保井崇志撮影
  • 環境指標植物になっているタコノアシ=2020年10月15日、保井崇志撮影
  • 竹林を歩く道も。美しい木漏れ日に心癒される=2020年10月15日、保井崇志撮影

東京に息づく美しい里

受け継がれる守り手のバトン

クヌギやコナラが立つ落葉広葉樹林の緩やかな斜面が両側から落ちる谷に、刈られるのを待つばかりの熟した稲が田を埋め尽くす。

東京都町田市北部の丘陵地。住宅開発が進み、ベッドタウンとして急速に都市化した町田市に、人の営みと結びついているからこそ成り立つ美しい里が今も息づく。

「東京にこんなに素晴らしい自然があるなんて」

「SATO」プロジェクトのナビゲーターで上智大学大学院のあん・まくどなるど教授は驚いた。都心からはおよそ30キロ。東京近郊でありながら、こんなにも豊かな自然が維持されているのはどうしてなのだろう。

「東京、奥深いですね」

思わずうなったあん教授と、この地に魅せられ、この地を守る人たちを訪ねる旅に出た。

守るつもりが壊れた環境、立ち上がった地元の農家

「昔から住んでいたところが荒れていくのはすごく忍びなくて」。この地域の環境を40年以上にわたって支えている地元のバラ栽培農家・田極公市さん(82)はそう話しだした。

東京都は1978年、丘陵がまたがる町田市図師町と小野路町の36.6ヘクタールの地域を条例で「図師小野路歴史環境保全地域」とし、歴史的な遺産や貴重な自然の保全を打ち出した。しかし、狙いとは裏腹に従来の環境は壊れてしまった。

「民有地が多いのですが、東京都の土地だと思って色んな人が足を運ぶようになると狭い農道に乗り入れる車や植物を持ち去る人が増えたんです」

植生の管理を請け負っていたのはこの地域を知らない業者だった。生い茂る草をただ刈るだけの手入れに見かねて田極さんは東京都に提言した。

「私たちが昔から伝わる農業手法で保全地域を管理しましょう」

地元農家で「町田歴環管理組合」を作り、田極さんはその理事長になった。そして東京都の委託を受けて、96年から自分たちの地域を自分たちの手で整え始めた。

「すごいです」。あん教授は田極さんが見せてくれた冊子に目を丸くした。そこには草刈り、田植え、竹林の整備の時期や方法について詳しく書かれていた。田極さんは少し照れくさそうに、でも自信をもって説明した。「聞き取り調査をして昔のやり方を一冊にまとめ、これを守りながら1年間の保全地域植生管理の予定を立てているんです」

組合仲間15人の地道な取り組みは実を結んだ。田んぼを復元するとホトケドジョウが増え、それを餌とするカワセミも戻ってきたという。美しい姿から「空飛ぶ宝石」と呼ばれるカワセミ。「今はたくさんいますが高度経済成長期から30年ほどは見たことありませんでした」

市民に広がった自然保全の輪

田極さんがまいた種は町田市民にも広がった。保全地域の近くにある「奈良ばい谷戸(やと)」では、開発の計画が頓挫して荒れた里山をよみがえらせるにあたり、管理する町田市が募った市民ボランティアが田極さんの教えのもとで2005年から伝統的な農法を実践。かつての自然を取り戻したのだ。市民ボランティアは09年にNPO法人「まちだ結の里」を立ち上げ、今はおよそ70人が保全活動を続けている。

「谷戸」は主に関東地方で使われている言葉で、丘陵地が雨水などで削られてできた湿地帯の谷のこと。

訪れた日はあいにくの雨。それでも、あん教授は「まちだ結の里」のメンバーとともに「奈良ばい谷戸」に足を運び、田んぼで稲刈りを体験させてもらうことにした。

田んぼの責任者を務める穴水廣義さん(70)が「けがをすると治りにくいので気をつけてください」と声をかけて見守った。あん教授は刃にギザギザがついたノコギリガマを稲の根元にあてて手前に動かし、ひと束、もうひと束と稲を刈っていく。シャッ、シャッ。そのたびに小気味よい音がする。「楽しいですね」。あん教授は顔をほころばせた。

刈った稲はワラで束ねて竹製の稲架(はさ)にかけていく。稲架掛けに使う竹はこの里山の竹林で倒れかかっていたり、密生したりしていたものだ。竹製の稲架を組むのは鉄製のものを使うより手間がかかる。でも、なるべく里山にある資源を活かしながら作業をしていくことで、竹林にも手が入り、里山全体の保全につながってくる。「昔ながらの農作業の方法を継承することで、先人の知恵と工夫を感じながら活動を続けたいと思っています」と穴水さんは言う。

ここでは竹や木材から炭も作っている。今度は永井哲夫さん(75)が炭焼き小屋を案内してくれた。小屋の三角屋根はそばに生えるススキで自らふいたもの。小屋にある窯の中で2日半ほど火にかけたのち、約10日間冷やして炭ができあがる。

「もう10何年もやっていますけどなかなか高級な炭には焼けないんですよね」。永井さんは苦笑いした。炭は近くの小学校に寄付するなどして活用している。

雨はいつの間にかあがっていた。あん教授が「奈良ばい谷戸」を後にしようとすると「ちょうどきれいに色づいているので見てください」と岡山寿子さん(73)が小さな池のほとりへ歩を進めた。そこで褐色とも言える濃い赤に色づいていたのは「タコノアシ」。秋になると枝、茎、実のすべてが赤くなり、タコが足を広げているように見えることからその名がついた。環境省が準絶滅危惧種に指定している。

「環境指標植物です。これが生えているということは、生物多様性があるということ」

岡山さんは月2回、「奈良ばい谷戸」を歩いてその時に花をつけている植物を記録し、花暦として冊子にまとめている。花が咲く植物は400種ほどあるそうだ。

「これは専門性がないとできないのではないですか」。種類ごとに花の時期が整然と並ぶ花暦に感心して、あん教授は尋ねた。岡山さんは植物の専門家ではないものの、化学会社で研究職にあったという。そして「仕事を辞めようかなという時にその後の自分の居場所探しをして、ここにたどり着きました」と言って笑みを見せた。

「第二の人生」を自然に注ぐ

「第二の人生」として「まちだ結の里」に活動の場を求め、これまでに身につけた知識や経験を生かしている人がいる。そう知ったあん教授は、今度は会員に関心を抱き、こう聞いた。

「みなさんはどうしてこの活動に加わっているのですか」

岡山さんとともに植物を調べている小竹れい子さん(70)は「植物調査や田植えの時に出会いがいっぱいあるんですよね。花、カエル、ヤゴ、トンボ。そうした生き物すべての姿に感激してここに関わっています」

田嶋啓志さん(69)は、東京都が企業や町田歴環管理組合と連携する自然環境保全活動「東京グリーンシップ・アクション」に、前に勤めていた会社が参加したことから同組合を知り、「奈良ばい谷戸」の活動に関わる中で「まちだ結の里」の立ち上げに加わった。子どもの頃から写真を撮るのが好きで、自分にできることを考えると、「記録すること」を思いついた。「アナグマがいる」という話を確かめるためにセンサーカメラを設置。3年がかりでとらえた。「それからアナグマの生態を調べ始めました。こういうところが『好き』につながっています」

大学生の心もつかむ里の静けさ、緑のやさしさ

「まちだ結の里」の「結」は農作業などで人が助け合うこと、またその仲間を意味する。

田極さんから「まちだ結の里」へ。広がった結の輪はさらなる広がりをみせ、大学生の心をもつかむ。

すっかり日が落ちた後、あん教授が最後に向かったのは町田市にある桜美林大学2年生の伊藤美穂さん(20)のもとだ。「奈良ばい谷戸」で稲刈りなどをしている、「まちだ結の里」事務局長の福原斉さん(61)、高見勝巳さん(72)を交えて話を聞いた。

「第二の人生に入った人たちと若者が一緒に活動しているのはなぜですか」。あん教授が素直に疑問をぶつけると3人からは笑い声があがり、少ししてから伊藤さんが言った。

「東日本大震災を機に設立された大学のボランティア団体に所属しています。毎年、文化祭でサトイモが入った東北の郷土料理・芋煮を作って販売しているんですけど、サトイモってものすごく高いんです。結果的に芋煮の値段も高くなってしまうので、いろいろな人に知ってもらうチャンスが減ってしまうことが課題でした。その解決案として、ボランティアを支えてくれる先生がサトイモを提供してくださるところを探してくれたことが知り合うきっかけになりました」

福原さんはうれしそうに応じた。「あげてもいいと思いました。でも作る過程を知ってほしかったので、一緒に作業をしませんかとお誘いしたんです」

伊藤さんは長野県出身。母親の実家が米農家で手伝いをしていた。東京に憧れて上京したものの、山や川や稲がある風景が恋しくなるという。「奈良ばい谷戸」で緑に触れると心がとても落ち着いた。でも、ふるさとの里山と、今接している里山は印象が少し違うと話す。

「『まちだ結の里』さんの方がみんなでやっている感じです。私の田舎はそれぞれが土地を持ち、それぞれがやっていくという雰囲気なので。こちらの方が人と話す機会も多く、人と人が支え合っていると感じます」

畑作りを担う高見さんは孫世代との交流に話が及ぶとほおが緩む。「サトイモの顔を見せるだけでワーッと喜んでくれて。一緒に作って、泥んこの中で洗って、持って帰って、文化祭で使ってもらって。すごくうれしいです」

若い人に里山のファンになってほしいという気持ちから、「まちだ結の里」では高校生や留学生の体験も受けて入れている。通常は1日で終わるところ、去年はドイツとアメリカからの大学生がもっとしたいと追加で田植えなどをして喜んで帰ったそうだ。日本の美しい里がつかむ若者の心は国内にとどまらない。

「人に里山を紹介するとしたら、どんなふうに話しますか」

あん教授の問いかけに、伊藤さんは天井を見上げて一瞬考えてからこう答えた。

「魅力はうるさくないこと。聞こえてくるのは虫の声、人の声。車の音は聞こえないので耳にやさしいし、緑がたくさんあるので目にもやさしい。落ち着ける場所ですね。そしてきれいです」

伊藤さんの言葉にしんみりしたように、4人に静寂が流れた。

コンクリートジャングルではない東京

「東京のイメージが今日、完全に変わりました」

あん教授は今回の旅をこう締めくくった。

「コンクリートジャングルから電車で40分のところで、こんなに静かで人間味にあふれた世界に出会えるとは思いませんでした。東京都に町田市のようなところがあることは貴重だと感じています。私は、魅力的なところはへんぴなところだと思い、よく遠くへ行こうとします。でも身近にあるものをもっと探検しないといけない。身近なものを探検することで色んな発見があります」

そしてこう呼びかけた。

「Come to Machida!(町田においでよ!)」

あん・まくどなるどあんまくどなるど

カナダ生まれ。高校生だった1982年から1年間日本に滞在。1988年、熊本大学留学。全国環境保全型農業推進会議推進委員を務めたほか、気候変動に関する政府間パネルの評価報告書作成に携わる。「にほんの里100選」の選考委員。 2009年上智大学地球環境学研究科非常勤講師、2011年同大同科教授。

VIDEO REPORT

LATEST STORIES