02遠山郷・下栗の里 長野県

保井 崇志

  • 南アルプスの尾に広がる秘境の地「下栗の里」=2019年12月5日、保井崇志撮影
  • 下栗の里から眺める林業の跡地=2019年12月5日、保井崇志撮影
  • 急斜面に立ち並ぶ下栗地区の家々=2019年12月5日、保井崇志撮影
  • 山道から見上げた木々。空に向かって一直線に伸びている=2019年12月5日、保井崇志撮影
  • 標高900メートル以上の高地にある畑=2019年12月6日、保井崇志撮影
  • 旧木沢小学校の番人、通称「猫校長」=2019年12月6日、保井崇志撮影
  • 山々の間を切り開くように流れる「遠山川」=2019年12月6日、保井崇志撮影
  • 雪化粧をした「聖岳」。下栗の里を見守り続けている=2019年12月6日、保井崇志撮影
  • 大きな音を立てながら流れる「池口沢」=2019年12月6日、保井崇志撮影

山の生活が育んだ「日本のチロル」

絶景が一望できる「秘密基地」

針葉樹に囲まれた12月の遊歩道は、落ち葉が敷き詰められ、一歩進むごとにカサカサと小気味よい音を立てる。遊歩道の入り口から、なだらかな細い道を800メートルほど歩くと、鉄の板とパイプで足場を組んだ「天空の里ビューポイント(展望台)」にたどり着く。畳3枚ほどの小さな展望台は、まるで冒険の本に出てくる秘密基地のようだ。

目の前に紅葉が残った南アルプスの山々が連なり、眼下に、切りひらかれた尾根の斜面に沿って、赤い屋根の民家や、耕された畑がジオラマのごとく点在しているのが一望できる。

標高800~1000メートルのこの里こそ、今回の旅の舞台である長野県飯田市上村の「下栗(しもぐり)の里」だ。別名「日本のチロル」。かつてこの地を訪れた長野県出身の地理学者、市川健夫氏が、オーストリアのチロル地方に似ていることから名付けたという。

テレビCMのロケ地になり、絶景を求めて年間約5万人もの観光客が足を運ぶようになった急斜面の里。この環境や生活はどうやって育まれてきたのだろう。今回も、日本各地の農村文化や民俗、環境保全の研究を続けている、上智大学大学院のあん・まくどなるど教授と一緒にこの地を訪ねた。

急斜面の畑。土の流失を防ぐ木材の「よせ」

下栗の里の象徴的風景のひとつは、急斜面の畑に木材で土留めをつくる「よせ」だ。長さ2~4メートルほどの木材を横にし、最大傾斜38度の畑に列を成して並べる。土の流失を食い止めるほか、畑作業をするときの足場にもなるという。

あん教授も、地元で農業を営む野牧要平さん(70)の手ほどきで「よせ」の設置を体験した。木材が転がり落ちないよう、「掛矢(かけや)」と呼ばれる木づちを使い、木材の両端に木の杭を打ち込む作業だ。

コン、コン、コン、コン。斜面の下から30センチほどの木杭が半分以上土に埋まるまで、掛矢を頭上まで振り上げては下ろす。

「いいね。上手だ。やったことないのに、これだけできるってのは」

要平さんが感心すると、あん教授の表情がぱっと明るくなった。

「でも、これ結構……いい労働ですねぇ」

時折、ハァハァと息を弾ませながら、あん教授は4本の木杭を打ち込んだ。

「どうして段々畑にしないで斜面で?」

あん教授は疑問に思っていたことを尋ねた。段々畑は、斜面に沿って階段状に畑をつくる。急斜面のままより、平らな段の上を耕した方が楽なのではないかと考えたからだ。

その理由は、農業を営む野牧知利さん(72)が解説してくれた。

「この一帯は昔、大麦を作って主食にしていたの。大麦っていうのは冬の作物で、畑を平らにすると、冬は日光が斜めに当たるでしょ。地面が温まらないんですよ。それを防ぐために斜面に麦を植えるっていうのをやったんだ」

要平さんや知利さんによると、かつては一帯に100世帯300人くらいが住み、全員分をまかなえるほどの作物を育てていたという。だが、こうした「よせ」の畑も、景観保全の一環として一部を残すのみだ。今は伝統野菜「下栗いも」やソバが栽培されているという。

要平さんが、少し伏し目がちになって言った。

「自分とこの小さな畑を守るのが精いっぱい。ここで、農業で生きるっていうのは難しくなってきとるもんで。年老いて特産のものを楽しみながら農業をやる形になっちゃったね」

高齢化なんの、楽しむのがモットーの「生涯現役」集落

よせの作業を体験した後、あん教授は、昼食に下栗里の会代表・野牧武さん(74)が民家をリフォームして造ったゲストハウスを訪ねた。長方形の囲炉裏では、地元特産の「二度いも」を皮ごと串刺しにした田楽が焼かれていた。砂糖の入ったエゴマみそを塗って食べる。昔はどこの家にも囲炉裏があり、いつでも田楽を食べることができたという。

囲炉裏を囲みながら、あん教授は集落の将来への懸念を口にした。集落の人口は約90人。高校生以下が8人で、60歳以上が72人と大多数を占めている。

「将来はわかりません」

自治会長の熊谷久一さん(67)はさっぱりとした表情で言い切った。「でも、悲観はしていないんです。集落の先輩が、まわりに見える山の範囲は、自分の庭だから、とにかく楽しいことをやれといろいろけしかけてくれるんです」

その「先輩」の武さんも続けた。

「よそから来た人から、将来はどうなると聞かれるけど、今をどうやって楽しんだらいいのか。今なにか仕掛けておけば、若い人も携われるんじゃないかなって」

そんな思いから、集落の外にも声をかけて秋に収穫祭を開いたり、下栗の里が「にほんの里100選」に選ばれたことをきっかけに展望台を地元住民の手で設置したりしてきた。農家の人を中心に、昔の農業景観を取り戻す事業にも取り組んでいる。

「暮らしていることが、たぶん国土保全になっているんだろうな」

熊谷さんはしみじみと思いを語った。絶景と称賛される里の環境は、手つかずの自然から生まれるものではない。「人がいなくなれば草はボウボウになって、動物がいっぱい来て、山も崩れたりするから。耕すのが一番だな。畑をね」

畑を耕し、下栗の里の景観を維持する。それは、国土保全はもちろん、次世代にこの里が育んできた文化を継承する意味もある。

「頼れる人がいて、楽しく会話を交わせる人たちがいる。集落が何人だろうが、そういうコミュニティーを保っていることが、一番大事なことかもしれませんね」

話を聞いていたあん教授は少し声を弾ませた。

「この辺りの人たちには限界集落という言葉は禁句なんです。現役集落と呼んでいます」

武さんはそう言うと、あん教授と顔を見合わせて声をあげて笑った。

受け継がれる伝統、新しい形を生み出す若い力

「楽しむことが大事、と集落の先輩たちから教わっているので」

飯田市役所で働く野牧和将さん(42)も、年長者と同じ言葉を口にした。

和将さんや、同じく飯田市役所で働く野牧民浩さん(46)は10年ほど前、集落の若手で立ち上げた「下栗拾五楽坊(しもぐりじゅうごがくぼう)」のメンバーだ。集落の文化の中心にあるのは、国の重要無形民俗文化財の「霜月祭り」。祭りを次世代につなごうと、毎年12月の祭りに向けて舞や笛の練習を始めたのがきっかけだったという。

和将さんたちは昨年、この地域の新しい名物をつくろうと、最近ではほとんど作られなくなっていた郷土食材「弘法稗(コウボウビエ)」という雑穀を使ったクッキーの商品化にも挑戦した。商品パッケージをデザインしたのは、集落出身の20代の女性だ。里の情報をブログで発信し、集落の外から農作業やイベントに協力してくれる仲間を集める活動もしている。

互いに支え合い、盛り上げようとする集落の精神が、若手の郷土愛も育んでいる。あん教授は、その取り組みを笑顔でうなずきながら聞いた。「生物多様性と文化保全を一緒に考えないといけないと私は思うのですね。昔の風習を大事にして、それを新たなものにクリエーティブに作り上げていく活動は素晴らしいです」

和将さんと民浩さんには、それぞれ1~3歳の子どもがいる。

「子どもは楽しそう。将来、ここの人が減っちゃうのはしょうがないこと。今いる人間ができることは限られているので、やるべきことをやっていくしかないな、と思います」

民浩さんは自分に言い聞かせるように話した。

地道な農作業が描き出す、下栗の景色

「下栗の里のみなさんには、おわびしなければなりません」

里を離れる前、あん教授はこう切り出した。

最初は、課題の多い限界集落だと思い、気分が重かったが、「明るく、前向きな住民の方と会ったら違う印象になりました」と振り返った。

「ここは美しく、素晴らしい。それは、自然の中で、人間が地道な農作業をするからこそ。よせの作業を体験させてもらったことで、景観を維持管理することがいかに大変かを体で感じました。10年後、20年後の下栗の里を考えると重い課題はあると思う。でも、例えば全国の若い人たちが体験学習として景観づくりに参加すれば、この里には新しい転換期が訪れるかもしれない」

あん教授は、希望に満ちた言葉に力を込め、思いをかみしめるように、再び南アルプスの山々を見つめた。

■本取材は2019年12月7日に実施されました。

■取材にご協力頂いた遠山郷・下栗の里の方のご同意を頂いた上で公開をしております。

あん・まくどなるどあんまくどなるど

カナダ生まれ。高校生だった1982年から1年間日本に滞在。1988年、熊本大学留学。全国環境保全型農業推進会議推進委員を務めたほか、気候変動に関する政府間パネルの評価報告書作成に携わる。「にほんの里100選」の選考委員。 2009年上智大学地球環境学研究科非常勤講師、2011年同大同科教授。

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