特徴ある教育・就職特集 vol.8 スペイン統治時代の歴史と文化を知る 文学部 井上ゼミ マニラで夏合宿

文学部人文・ジャーナリズム学科の井上幸孝ゼミナールは今夏、初の海外合宿をフィリピンのマニラで行った(9月15日~19日)。

マニラで夏合宿

文学部 井上ゼミ

同ゼミはテーマ「ラテンアメリカの歴史と文化」に沿い、関連する研究に取り組んでいる。

フィリピンは16世紀後半~19世紀末まで、メキシコ市を副王都とするスペイン植民地(ヌエバ・エスパーニャ副王領)の一部を形成していた。アジアの中では特異な歴史的経緯を持ち、スペイン文化やその後のアメリカ支配の影響が強く見られる。今合宿はそういった文化的生成を参加学生5人が肌で感じ取り、関連する史跡などを見学した。

同ゼミのモットーは「文献調査などで事前知識を十分に持ったうえで現地を知る」。観光ガイドをつけず、下調べ(文献調査)をして各自が与えられたテーマ(スペインによる征服・植民地化の歴史的経緯、ガレオン貿易※、ホセ・リサールなど)を現地で発表した。参加した2ゼミ生(川満俊さん・4年次、飯田麻衣さん・3年次)の寄稿を紹介しよう。参加学生はほかに大川健太さん(4年次)、佐藤椋平さん(3年次)、神山麻菜さん(2年次)。

※ガレオン=マニラと現在のメキシコのアカプルコを行き来したスペインの貿易船。

夕暮れの街で複雑な思い

寄稿 川満 俊(文4)

5日間のゼミ合宿の中で、私たちはフィリピンのさまざまな側面を見てきました。

マニラ滞在でまず感じたことは、激しい貧富の格差です。マニラ市内は、東京の街並みと変わらないような高層ビルや大きなショッピングモールが立ち並ぶエリアがある一方、そこからほんの数分も歩けば路上生活者や物乞いの子どもたちがいるような通りがあります。

滞在3日目の夜、夕日がきれいに見えることで有名な海沿いのレストランで食事をした帰り道で、小さな女の子が「お金をちょうだい」と私たちに近づいてきました。一人にお金を渡すと他の子どもたちも同じように集まってきてしまう恐れがあるため、私たちはその子を無視しました。

当たり前のように帰る家があり、毎日おいしい食事をし、海外へ旅行に行ける私たちのことを、彼女たちはどんな気持ちで見ているのだろう。目に見えるところにありながら、決して中に入ることのできないレストランから出てきた私たちにどんな思いを抱いたのだろう・・・・・と、なんとも形容し難い複雑な気持ちになりました。

もうひとつ滞在中に印象に残ったのは、街で見かけるさまざまな場面で日本からの影響を感じるところです。マニラ市内を歩いていると、数え切れないほどの日本企業のコンビニエンスストアを目にします。

道路を走る自動車やバイクも日本製のものが多く、工事用の車両や大型バスなどは日本でかつて使われていたものが現在もそのまま使われています。日本語表示の上からいかにもフィリピンらしい派手なペイントがなされている車体は、とても興味深いものでした。

ショッピングモールにも日本のブランドが数多く並び、どれも人気の様子でした。フィリピンの人々の日本製品に対する信頼を目の当たりにして、日本にいると忘れがちになってしまう日本の素晴らしさに改めて気付かされました。

ここで紹介した以外にも、クラクションが鳴りやまないマニラの交通事情、随所に見える第二次大戦中の傷痕、にぎやかな屋外マーケットやおおらかで親切な人々など、私たちにとって目にするものすべてが刺激的で、忘れることのできない5日間となりました。

歴史的交流刻む城塞都市

寄稿 飯田 麻衣(文3)


パッシグ川を望むサンティアゴ要塞で。左から飯田さん、神山さん、川満さん、大川さん、佐藤さんと井上教授

リサール公園で研究発表

イントラムロス内にあるスペイン風邸宅の中庭

私たちはスペイン植民地内での文化の交流の実態を知るために、マニラ合宿を実施しました。

合宿中、いろいろな場所を訪れましたが、最も印象に残ったものの一つは、イントラムロスでした。これは城内を意味するスペイン語で、スペイン植民地時代に統治の中心となった城塞都市です。1571年にロペス・デ・レガスピがマニラを占領し、以降、外敵からの攻撃を防ぐため、イントラムロスの建設を始めました。

イントラムロス内の史跡で、特に感銘を受けたのは、サン・アグスティン教会とサンティアゴ要塞でした。前者は、1571年に建てられた石造りの教会であり、1993年に世界遺産登録されたバロック様式の国内最古級の教会です。後者は、イントラムロスの北西の端にあり、兵站(へいたん)基地や牢獄を備え、太平洋戦争中には日本軍の憲兵隊本部も置かれた所です。建設にあたっては、多数のフィリピン人や中国人が石切り、レンガの製造、木材の切り出し運搬に強制労働させられたという歴史もあるそうです。

特に印象に残ったもう一つの場所は、リサール公園でした。アメリカ統治期に整備され、広大な敷地内に芝生や噴水、そしてリサール記念像が建てられています。ここでは、19世紀後半スペイン植民地支配下における改良的民族主義者だった英雄ホセ・リサールが、スペイン植民政庁によって処刑されました。

リサールは、著作の中で、植民地政府とカトリック聖職者の不正行為や搾取だけでなくフィリピン有産階級層や農民の腐敗までも著し、スペイン政府に植民地支配の現実を突きつけるとともに、フィリピンの人々に自己改革の余地があることを訴えました。その後、フィリピン社会の変革のためにはスペインから分離独立するしかないと考えたのです。

このような場所を実際に見て、フィリピンには、スペインやメキシコとの歴史的関係や交流の結果が色濃く残ることを肌で感じました。また、貧困層と富裕層の経済格差は想像以上のもので、日本が非常に安全で豊かな国であることも実感しました。そして、事前準備からフィリピン滞在、帰国まで、井上先生をはじめゼミ生が一体となった充実したマニラ合宿であったと思います。心から感謝しています。

(2015年11月掲載)