われら専修人 vol.14 より良い渋谷を目指して汗をかく 人とのつながりに感謝しながら 長谷部 健 渋谷区長

大学時代、オーストラリアンフットボールの日本代表として活躍し、卒業後は博報堂に入社した長谷部 健さん。
「博報堂の仕事は楽しかった」と語りながらも、退職、渋谷区議、そして区長という道を選んだのはなぜだったのでしょうか。

オージーボール一色の大学時代


長谷部 健さん

大学時代は、オーストラリアンフットボール(オージーボール)に夢中でした。これはオーストラリアで誕生したラグビーに似たスポーツで、楕円形のクリケット競技場を使い、1チーム18人で行います。

小さい頃からスポーツが大好きで高校まで野球や柔道を続けていたので、専修大学でもスポーツをするつもりでした。まずはアメリカンフットボール部を見学しに行こうとしたのですが、その手前でオージーボールの人につかまり見学にこないか、と。後から知ったのですが、アメフトに興味を持った学生を引き入れるのが毎年の手だったようです。私も、その手にまんまとはまった一人でした(笑)。行ってみるとスパイクとユニホームがそろっていて、少しやってみると「うまい!」と、とにかく褒められるんです。初めて家族で行った海外旅行先がオーストラリアで、ホテルのテレビでオージーボールの試合中継を見ていたことや、中学のときにオーストラリアのプロチームが横浜に来たことを覚えていたことにも何か縁を感じて入部を決めました。当時は、競技人口200人くらいで日本代表になりやすいと言われたのも決め手の一つだったように思います。

実際、日本代表にも選んでもらい、年に1回海外遠征でオーストラリアへ行ったり、シンガポールやネイビーのチームと試合をしたりしました。おかげで学内はもちろん、他大学やオーストラリア大使館の人、海外チームのメンバーなど、本当に人のネットワークが広がった4年間でしたね。オーストラリアへ遠征したとき、試合には負けましたがMVPに選ばれたこともありました。小さい身体でごついオージーに向かっていく姿が評価されたようです。翌日の現地紙の一面に「サムライ、ケン」と掲載されたんですよ。これは、就職活動でも活用させてもらいました。

「政治は、ソーシャルプロデュースだ」

卒業後もオージーボールを続けようと、オーストラリアでチームを探したのですが、興味を持ってくれたのは3部所属のチームだけ。給与は月300オーストラリアドル(1ドル80円代=当時)程度しかなく、とてもスポーツだけで食べていくのは無理でした。それでも、オーストラリアへ行きたいと、在日のオーストラリア企業へ就職希望の手紙を出したところ、ある投資会社の日本支社長が私のことを面白がり、内定らしきものを出してくれたのです。でも、「せっかく新卒なのだから他の企業も受けた方がいい」と背中を押してくれて。それで、興味のあった広告代理店を受けることにしました。大学時代、遠征費を確保するためスポンサーを探して企業を訪問したり、飛行機代を安くするため走り回ったりする中で、広告業界への関心が芽生えていたのかもしれません。結果、博報堂に受かるのですが、件の支社長は「すごい会社に受かったな」と喜んでくれ、快く送り出してくれました。本当にいい方でした。

博報堂で過ごした6年間は、楽しかったですよ。営業として大手コンビニエンスストアや有名テーマパークなど一部上場の大手企業から九州の元気な中小企業まで、さまざまな企業のプロデュースに携わることができましたから。中でも九州支社時代は、サラリーマン人生の絶頂だったかもしれません。中小企業の経営者と対峙しながら仕事をするので、大胆な提案もできましたし、大胆に採用いただくことも少なくなかったからです。だから、生まれ育った原宿の商店会の方々から「区議会議員にならないか」と打診されたときは、一言のもとに断わりました。たしか、27歳くらいのときだったと思います。

気持ちが変わったのは30歳という節目を迎えたときでした。ことあるごとにやってみないかと水を向けられているうち意識するようになっていたし、商店会の方が言った言葉が心に刺さってもいました。「長谷部くんは、プロデュースとよく口にするが、政治もソーシャルのプロデュースだ」と。会社の同期の中には起業して成功している人間もいたので、会社を辞めることに抵抗はありませんでしたし、30歳でゼロになった気がして立候補することを決意しました。

ただ、渋谷区の区議会議員を目指すのに、街のために何かをしたことがなかったので、地元の原宿表参道欅会の清掃活動に参加するようにしたんです。そのとき、もっと人を集められれば、もっときれいになるし、ゴミを捨てない人を増やせれば、そもそも街が汚れないという思いが浮かんできて、グリーンバードというNPO法人を立ち上げました。以来、グリーンバードの思想を理解し、コミュニティリーダーになれる人にだけのれん分けをしていったことで、今ではグリーンバードは国内だけでなく海外にも広がっています。パリでは市長から「素晴らしい活動だ」と手紙をもらったこともあります。

人とのつながりをグッと広げてくれた最初の機会が専大時代


渋谷区議として3期12年の間に表参道イルミネーションの復活やコミュニティスクール、渋谷保育園の園庭の芝生化、渋谷区全体がキャンパスというコンセプトの市民大学「シブヤ大学」の設立など、さまざまなことを議会に提案し実現してきました。

そして4期目も出馬するか迷っていたときに、前区長から後継者候補に指名されたのです。正直なところ、最初はためらいましたよ。忙しさも責任の重さも区議とはまったく違いますから。でも、やり残したことがあるというモヤっとした思いも、どこかにありました。パートナーシップ証明書*を発行する条例も最後までやり遂げたいという気持ちが強かったですし。それに、自分自身がハンドルを握る区長という立場になると考えたとき、やりたいことが次々と浮かんできたのです。

区長となった今は、あのとき浮かんだアイデアや周りの方々からの声を吸収、消化しながら渋谷区をより良い街へしていくために、さまざまな活動を行っています。たとえば、都心という立地だからこそ、コミュニティの結びつきを強くしたいと「渋谷おとなりサンデー」という取り組みをはじめました。普段話す機会の少ない近隣の人ともっと顔見知りになれるよう、6月第一日曜日を地域でさまざまなイベントを行ったり、清掃活動に参加したりする日にしようと呼びかけています。渋谷のさまざまな社会的課題の解決や渋谷の未来像のデザインを考える、産官学民連携の「一般社団法人渋谷未来デザイン」も設立。甲州街道の渋谷区側の活性化策も考えているところです。

区議、区長として活動している自分を支えている根っこは、渋谷生まれ渋谷育ちという地元に対する深い想いです。でも、区議、区長として活動できているのは、多くの人とのつながりだと痛感しています。そんな人とのつながりをグッと広げてくれた最初の機会が専大時代だったと感じています。(談)

*パートナーシップ証明書:一定の条件を満たす同性のパートナー関係を証明する公文書

はせべ けん●1972(昭和47)年生まれ。東京都出身。1996(平成8)年、商学部会計学科卒業。株式会社博報堂に務めた後、2003年に退職。NPO法人green birdを設立してゴミのポイ捨て対策のプロモーション活動を始める。同年に渋谷区議会議員選挙でトップ当選を果たして区議に。以後、3期渋谷区議員として活動し、2015年に渋谷区長に当選した。