われら専修人 vol.18 東京オリンピックを成功させる! 家族を愛し、防災、救護体制づくりに心血を注ぐ

高校卒業後に東京消防庁に入庁し、消防官としてキャリアを重ねている伊藤さん。
一方で専大の法学部に通い、仲間と助け合いながら学びの道も歩んできた。現在では来たる東京五輪の準備室長を務め、五輪成功の重責を担う。
伊藤さんの歩みと、東京五輪にかける想いについて語っていただいた。

消防学校卒業後、下町の消防署へ 仲間と共に専大二部を受験し合格


東京消防庁オリンピック・パラリンピック準備室の校友 左から、滝川貴樹総務係長(平4・経済)、伊藤さん、鈴木ちはる総務係主任(平18・商業)。

高校卒業まで生まれ育った旭川で過ごしました。もともと小学校から高校生までトランペットをやっていて、音楽隊に入りたくて、東京消防庁を志望しました。

高校を出た年の9月に東京消防庁に採用され、消防学校に入校しました。これは、毎年4月、9月、11月、2月と分かれている採用区分によるものです。学校では教官に「音楽隊に入るとずっと音楽隊になるよ。君は身体がしっかりしているから火災現場で勉強しなさい」と言われて、現場の道を選びました。「せっかく消防に入ったのだから、人の役に立ちたい」という思いもありました。消防学校を卒業して配属されたのが葛飾区の金町消防署でした。「寅さん」や「こち亀」の舞台にもなった下町にある消防署です。

当時は「消防庁に勤めれば、夜間大学に行ける」という風潮がありました。実際、金町消防署で夜間大学に通っている先輩達も多く、特に専修大学の門戸は広く、金町消防署の寮生でも5人ぐらい専修大学に通っている人がいました。

金町消防署に配属された同期生と「一緒に専大受けようか?」という話をして、無事に専修大学の二部に受からせてもらいました。入学は平成元年4月で、働きながら学びましたから卒業までが長いのは気にしないでください(笑)。

大学では、現理事長の日髙先生が教授だった頃に刑法総論の授業を受けたことが印象深く残っています。刑法という法律に触れるのは初めてでしたが、日髙先生が非常に紳士的なふるまいでいらしたので、その印象もあって初めての授業をよく覚えていますね。当時、非番日といいますが、泊まりがけ勤務の翌日に学校が重なるとやっぱり眠いんですよね。しかし、日髙先生の授業はとにかくわかりやすく、スマートでした。法律を学ぶこと自体、高校ではなかったことですし、まして刑法は消防に多少なりとも関わる分野です。そういう部分でも分かりやすく、刑法をかみ砕いて、理解しやすくしてくれるという印象でした。

確か日髙先生の妹さんが東京消防庁の女性消防官なんですよ。自分の妻も元女性消防官ということもあり、不思議なご縁を感じ、親しみがありました。

専大2年次に女性消防官と結婚 大学卒業までサポートも

実は、自分は大学2年の時に女性消防官だった女房と結婚したのです。最初の出会いは消防学校でした。彼女は4月に入校で僕は9月入校となります。彼女は8月卒業でしたが、学校で出初式に出ており、そこで見かけて一目ぼれでした。名札を見たら、金町消防署と書いてあり、自分も同じ金町に配属されたのはとても幸運でした(笑)。


専大卒業の記念に。学生結婚した奥様と銀座松屋の写真館で撮影し、非常に思い出に残っている一枚。

消防官、学生、一家の家長として生活するなかで、やっぱり24時間勤務明けはどうしても眠いんですよね。授業も全部受けたいけど受けられなかったという苦労もありました。ただ警視庁の方とか、消防の仲間も大勢いましたし、会社勤めの学生、一般学生とも多く交流して、ノートを貸し借りして助け合いで学生生活を送っていました。

勉強だけでなく、日曜体育では生田校舎にバレーボールをしに行きました。結構いい雰囲気で楽しくやってましたね。終わった後にはお酒を飲みに行くなどして、とても充実していました。

学生時代、卒業まで時間がかかったこともあり、一時は退学も考えました。ただ女房に「せっかく入った学校だから卒業までがんばって」と励ましてもらい、卒業を目指しました。卒業式後に銀座松屋の写真館に行って、卒業証書を持って女房と2人で撮影したんです。とてもいい記念でいまも大切にしています。

新潟中越地震の救助活動では 全国警察、消防、自衛隊がひとつに

消防官としてこれまで仕事に携わってきたなかで、非常に思い出深く残っているのが平成16年10月に発生した新潟県中越地震です。大規模な土砂崩れを起こし、車ごと土砂に巻き込まれて母子2人が死亡、当時2歳だった皆川優太ちゃんが92時間後、4日ぶりで奇跡的に救出され、大きく報道されました。

私もその現場にヘリコプターで派遣され、救出活動をしていました。報道では東京消防庁のハイパーレスキューが救助活動にあたったとされていましたが、実際には全国から自衛官、消防官、警察官が派遣され、みなが協力して救出にあたりました。

阪神・淡路大震災(平成7年)をきっかけに、全国の消防が連携を取って救助にあたる仕組みができました。緊急消防援助隊という制度で、昨今の熊本地震、広島の豪雨災害などあらゆる現場で活動しています。実は消防は県警と違って、市町村が管轄なんです。母体が小さい分、素早く地域の緊急事態に対応できるというメリットがあります。しかし大きな連携を取る時には緊急消防援助隊という仕組みが必要になるわけです。その大枠での現場への派遣でした。

土砂からのかすかな泣き声に 東京消防庁所属の隊員が気づく

私は救助課というセクションの司令補という階級で、ハイパーレスキューを所管する部署だったので現場に行ったわけです。現場で特殊な器具を使い、生存者を探したところ、隊員が子どもの声をわずかにとらえた。民間報道のヘリコプターを現場から引いてもらって、改めて調査すると、確かに泣き声が聞こえ、生存を確認しました。この時、生存者を発見したのが東京消防庁だったのです。重機を使うと現場の土砂がさらに崩れる可能性があったので、手作業で土砂をかきわけて交代で現場を掘り起こしました。最後に優太ちゃん救出に結びついたことは本当にうれしかったですね。当時優太ちゃんは2歳で、うちの娘は3歳でしたから、歳が近いこともあり、命の重たさ、子どもに対しての気持ちなどさまざまなものが去来したものです。


中越地震の救出活動に向かうハイパーレスキューのヘリコプター内で。

救出された場面は、ヘリコプターからも中継されており、東京消防庁のセンターでも画面に映し出され、大変な歓喜と涙に包まれたそうです。小さな命を無事に救出でき、消防に入って良かったな、と思いました。

東京五輪に向けて建物、施設の 消防体制、救急体制づくりを推進

平成27年に、オリンピック・パラリンピック準備室が新しく設置されました。現在、大会の施設が続々と建造されており、その建物の検査を行っています。実際の大会中に火災があったらどうするのか、消防の警戒体制を作るとともに、救急体制をどう整備するのかということも重要です。競技会場に救急車を配置してくれという要望があり、それも選手用と観客用、もうひとつ予備の3台を入れるということがオリンピック開催の要綱にも盛り込まれており、こういった部分の調整を進めています。ほかに会場整備局、防火調整課、メディカル、全体的なリスクマネジメントをする部署など、全体の統括を担っています。

東京消防庁としては安心、安全な大会環境を作っていくことが大前提です。開催成功に向かって、総力を挙げて警戒していきたいと思っています。そのためにヘリコプターのエアハイパーレスキュー、海上のタグボート付きの船など、東京消防庁のすべてを駆使して大会に寄与していきたい。海の競技、山間部の競技などもありますので、それらに対応できるよう対策づくりを進めているところです。

また夏に開催される大会ということで、熱中症対策が重要です。まずは広報ですよね。水をマメにとりましょう、熱中症対策をしましょう、というアナウンスを徹底していきます。個人の方、外国人の方への暑さ対策をしっかり伝えていくことが大切だと思っています。

2020年に行われる2大イベントに OBとして大きな期待を寄せる

東京五輪ではフェンシングの菊池(小巻さん・商4)選手をはじめ、専大の在校生、卒業生ともに出場選手に名を連ねる人が出てきています。ますますの活躍を期待しています。OBとして微力ながら協力したいと考えています。

現在、東京消防庁では1万9千人の職員がいます。そのうちの600人が東京消防庁おおとり会です。職域支部としては最も大きいのではないでしょうか? 2020年には神田キャンパスに新たな校舎が建つというビッグプロジェクトも耳にしています。OBとして嬉しいし、私も非常に期待し、注目しています。オリンピックの年に行われる専大の挑戦を応援していきたいですね。

東京都、日本を挙げてのプロジェクトを成功させるために、個人的にはやはり家族の力が大切だと感じています。仕事でつまずいた時にしっかりサポートしてくれる妻と娘を、これからも大切にしていきたいと思います。(談:2018年10月)

いとう ゆきなが●1967(昭和42)年生まれ。北海道旭川市出身。専修大学法学部法律学科卒。1986年に高校を卒業後、同年9月1日付で東京消防庁消防学校入学。1989年、専修大学に入学。2017年4月から企画調整部オリンピック・パラリンピック準備室長を務める。

東京消防庁・検索