
益子焼の窯元を営み、全国に多くのファンを持つ陶芸家、藤本左近さん。森や花などをモチーフとする、ぬくもりある持ち味の作品は、神田10号館に併設された“SENDAI-Kaffee”のコーヒーカップとしても採用されている。学生時代は新聞奨学生としてほとんど寝る時間もないほどハードな日々を送っていたという藤本さんに、大学での学び、作陶への思いをうかがった。

僕の焼き物は、泥や釉薬(ゆうやく)で線を盛り上げて描く「いっちん」という装飾技法を取り入れています。「筒描き」とも呼ばれますが、ケーキのデコレーションのようなイメージで、スポイトから泥を絞り出して絵付けします。絵は森、花、植物などをモチーフにデフォルメしてデザインし、最初は筆で描いていましたが、自分に合うな、と思ったのがこの技法でした。
僕の作風としては、「いっちん」で線を描いた後に、線をそのまま残すのではなくて、布を当てて、その線を潰しているんですね。潰した部分が象嵌(ぞうがん)*のような仕上がりになり、独特な風合いが出ます。少し影が生まれ、全体の雰囲気がよくなるので、僕の陶芸づくりには欠かせません。
* 象嵌:模様を彫り、彫った部分に違う色の土を埋め込み、余分な部分を削ると削った部分にだけ模様が入る。


両親はともに陶芸をやっており、実家は栃木県益子町の窯元です。父や母と技法は違いますが、デザインに関しては、自分がこれまで見てきた世界として、父母の作品から自然に学び、身に付いている部分が大きいと思います。
父は九州生まれですが、益子焼に魅せられて移り住みました。母は栃木県出身ですが、やはり益子焼をつくるためにこの町へ移住し、そこで出会い、2人で独立して窯元を営み、40年ほどになります。
僕も子供の頃から「陶芸家になりたい」という気持ちはありました。元々絵を描いたり、創作することが好きだったので、身近で焼き物づくりをする両親を見て、そう思うのは自然だったと思います。ただ、自分が成長するにつれて、違うことをしてみたいな、という気持ちも出てきたのです。
中学、高校時代は部活動で野球に打ち込んで過ごしましたが、大学進学時に先生から「推薦枠で専修大学はどうか」という話をいただき、高校時代はまだ陶芸の道を進むかどうか決めていなかったので、「経営学部でビジネスの勉強をすれば、将来に活かせるかもしれない」という気持ちで受けることに。野球進学というわけではありませんでしたし、新聞奨学生として働く予定もあったので、進学後は野球愛好会に所属し、サークル活動として野球に取り組んでいましたね。


大学時代は経営の勉強や野球をしながらも、創作活動が好きだったので、趣味でスケートボードやサーフボードを自分でデザインしてつくったり。そして大学3年ぐらいになると、「やっぱり自分は、何かをつくる仕事をやりたい」と思うようになったんです。4年のとき父から「社会に出てみるのもいいんじゃないか。それでも陶芸をやりたければその道を進めばいい」とアドバイスをもらい、就職を選びました。
入社したのはテナント工事、ビル工事を請け負う電気工事会社。全然知らない世界に飛び込んでみようと入ってはみたものの、これがとても大変で(笑)、無謀な挑戦でした。文系だったので、まず図面を読む勉強から。それでもどうにか仕事を覚えて3年間勤務したものの、自分が携われる業務は全体のほんの一部だな、ということに気づいて。最初から最後までの工程を自分でやりたい、という気持ちになり、「焼き物ならすべて自分でできる」と、あらためて思ったんです。それで、陶芸の道に進むことを決意しました。陶芸の魅力は、自分で思い描いたものを自分の力で形としてつくり上げられるところですからね。
26歳で益子町にある、陶房はせがわという製陶所へ転職して焼き物の世界へ。毎日17時半ぐらいに仕事が終わってから、自由に粘土を使わせてもらってろくろの練習をし、技術を学ばせてもらいました。
製陶所では基本的に粘土づくり、土づくり、薬づくりを行います。大きな工場のようなところで、粘土をお皿の形にカットする作業を一日中行うのですが、ベテランの職人さんがたくさんいるなかで、僕みたいに将来独立したいという同年代の先輩男女もいたので、その一員として、お互いに研鑽しながら技術を身に付けていくことができたんです。
製陶所に7年ほど籍を置かせてもらいながら、2010年頃からは自分の作品もつくるようになり、最後の1年は週3日の勤務に減らして所属させていただいて。新人作家で自分の作品を販売しながら生活するのは大変なので、製陶所で働きながら少しずつ売らせてもらえたのは幸運でしたね。そして15年、35歳で完全独立しました。



作品づくりは、窯いっぱいに作品を入れるまで、土づくりから素焼き、薬がけまででも約1カ月はかかります。焼く数は100から200、ものによっては300ぐらいになります。そろった作品を窯に入れ、火入れして、焼き上げるまで11時間ぐらい。窯から出てくるときはやはり期待と不安が入り混じりますね。煙突の煙の出方、窯からの炎の出方を見て、ずっと調節しています。
実は僕自身、精神的には打たれ弱く、落ち込むことも多いほうです。展示会前の準備期間は、まず窯から作品が出てくるまで「ちゃんと焼きあがるだろうか、割れてないだろうか」、展示会の直前には「お客さんの評価は大丈夫だろうか」と、心配ばかりしてしまいます。でも、切羽詰まってくると頑張れるタイプで(笑)、目の前に作品が並ぶと、不思議と不安な気持ちはなくなります。
こういった逆境での強さというのは、専大時代のサークル活動や友達との交流のなかで、毎日を精いっぱいやりきって生きた、という自信があるからかも知れません。いまだに困難にぶつかった時は、当時の頑張っていた自分を振り返って、また前に進んでいこう! と思えたりしますね。
野球サークルの仲間とはいまもたまに集まったり、連絡をとったりしています。学生時代は新聞奨学生で朝3時ぐらいに起床して朝刊を配達し、サークルの朝練習に参加して授業を受け、夕方は夕刊を配り、友達と約束をしていれば、その後に集まるという感じで、ほとんど毎日寝ないで生活していましたね(笑)。勉強は普通にやっていましたが、それよりもサークル活動に力を入れていたので、忙しいなかでも、たまに合宿で千葉の海に行ったり、試合でいろんなところに出かけたりということがすごく思い出として残っています。一時期はサーフィンにもはまったりと、いつも時間がないなか、何かしら活動していたものです。
時間をやりくりして、いろんなことをするというのは、いまの創作にも当てはまるものがあります。使える時間がちょっとでもあれば、すぐ作業場に行って、デザインを詰めて、形にしていくという仕事のやり方は、サークルや授業、配達、創作活動を連続でこなしていた大学時代に身に付いたもの。早起きが得意で、まったく苦ではないのも大学で習得した特技です。


今回、神田キャンパス“SENDAI-Kaffee”のオーナーさんからご縁を頂戴し、僕のコーヒーカップをお店で使っていただくこととなりました。専大卒の陶芸家ということをインターネットなどで知っていただき、校友会経由でご連絡をくださったのです。直接作品をご覧になりたいとうことで、展示会をやっている益子のギャラリーで見て、決めていただきました。
カップは「いっちん」の技法を用いたもの、また、細かい点を無数に打ち、刺し子のようなイメージで仕上げたものなど、バリエーションがあります。ぜひいろんなデザインをカフェで楽しんでいただきたいと思います。校友の皆さんに、ギャラリーや陶器市でも作品を味わっていただけたらうれしいですね。
これからの目標は、毎日の積み重ねで、同じように作陶を続けること。それを実現できるのが夢、とまではいわないけれど、幸せなことだと思います。また、嫁さんが、彼女の好きな作家さんの器を集めているんですけど(笑)。それが食卓に自分の器と一緒に並んだりして「あ、これいいな」と、新たな発見もさせてもらっています。自分の考えに凝り固まらず、いつも刺激をもらっていますよ。(談)
写真提供=藤本左近
ふじもと さこん●1979(昭和54)年生まれ。陶芸家。栃木県芳賀郡益子町出身。専修大学経営学部経営学科卒。本名同じ。益子町陶器市やギャラリーにて展示会を行う。2003年より一般企業に就職するが、06年より益子町にて陶芸の道を歩む。10年頃より藤本左近の名前で作品を発表。草や花、森など自然や植物をモチーフに、「いっちん」という装飾技法で、ほっとする味わいのある陶器を多数発表している。15年に陶芸家として独立。座右の銘は「継続は力なり」。