われら専修人 vol.24 言葉にして伝える“ありがとう”が心を通わせ、人を動かす

この春より東京消防庁消防総監に就任した清水洋文さんは、入庁後、専修大学法学部二部法律学科に進む。なぜ、入学を考えたのか。自身のキャリアにおいて、専修大学はどのような位置を占めているのか。消防庁職員と一丸となり、都民を守る最前線で指揮を執る清水さんに、組織マネジメント論も交えながら話を聞いた。


清水 洋文さん

日々、都民の生命と財産を災害から守っている東京消防庁では、約1万8600名の職員が働いている。2021年4月に、そのトップである同庁第28代消防総監となった清水洋文さんに、巨大な組織をマネジメントする極意を聞いたところ、「特別なことをしているわけではありませんが」という言葉に続けて、次のように語ってくれた。

「なによりも、職員への感謝の気持ちを忘れないことです。私にできることは大きな方向性を示すことであって、その実現に向けて汗をかいてくれるのは、各現場にいる職員たちであり、達成できるかどうかも、職員たちの頑張りにかかっているからです」

 組織の中で立場が上がれば、自分が偉くなったような錯覚に陥り、周囲に対して傲慢に振る舞うような人もいる。しかし、何のてらいもなく、ごく自然に「職員への感謝」という言葉が出てくる清水さんは、これまでどのようなキャリアを歩み、経験を積んできたのだろうか。

父、叔父からの影響で消防官への道を志す


専修大学では生涯の友人との出会いなど、得るものが多かったが、振り返ってみると「勉学をさらに深掘すればよかった」という

清水さんの父親は、地域の消防団に所属していた。月曜から土曜までは自身の仕事をしていたが、日曜には必ずといっていいほど消防団の活動へ熱心に参加し、火事が発生すれば、真っ先に現場へ飛んでいったという。小さい頃から父親のそんな姿を見て育ったため、「社会貢献」や「やるべきことにしっかり取り組む」姿勢が、清水さんにも当たり前のこととして身についていった。

 もう一人、清水さんが消防官の道へ進むきっかけをつくった人がいる。横田基地(東京都福生市など)所属の消防隊員として働いていた叔父である。ベトナム戦争当時、爆撃機や戦闘機、輸送機の出撃拠点となっていた横田基地内は緊張感に包まれていた。その渦中に身を置いて、火災から基地や地域を守るために消防隊員として働いていた叔父もまた、誰かのために一生懸命になるタイプの人物だったのだ。

 この二人と身近に接してきたからこそ、高校卒業後、清水さんは消防官となることを決心したのだという。

 「消防官は火災現場など、危険な場所で働くことになりますが、この仕事を選ぶにあたり、躊躇はありませんでした。高校時代、空手部に所属していて体力に自信があったこともあるのでしょうけれど、やはり、父や叔父の影響が大きかったのだと思います」

 1981年に入庁した清水さんは、全寮制の消防学校で消防官としての基礎を学んだ後、荻窪消防署(杉並区)からキャリアをスタートすることとなる。

 「荻窪駅周辺は戦後、ヤミ市でにぎわったエリアで、私が配属された当時も、通りから少し中へ入ると昔ながらの木造住宅が建ち並んでいました。火災は多かったと記憶しています」

 新人だった清水さんは、出動要請が入るたび先輩たちと一緒に現場へ急行。自分にできる作業を精一杯やることに集中した。ただ、その一方で、もっと知識を身につけたい、という思いが強くなっていったのだという。

 「仕事をしていく過程で、法律や機械、化学、物理など、消防官の任務に役立つ知識が、たくさんあることを知ったのです。特に関心を持った法律関係の学びについて調べると、幸い、専修大学に社会人優先入学制度があり、キャンパスも神田と通いやすかったので、思い切って、働きながら法学部法律学科へ入学することにしました」

 この決断が、清水さんにとってターニングポイントとなった。

専修大学卒業がキャリアの転機に


専修大学吟詠部所属時代に参加した、第29回関東学生吟詠発表大会。吟詠という言葉からは想像できないような勇ましい学生たちには、迫力すら感じる

 専修大学では、勉学だけではなく、サークル活動などの学生ライフも楽しんだ。通学初日にキャンパスで高校時代の同級生とばったり出会い、彼の誘いで専大吟詠部に入部。ここで出会った仲間たちとは現在も交流が続いており、この4月、消防総監に就任した際も、SNSで祝福が届いたそうだ。

 「東京消防庁に勤めている校友は大勢いて、『東京消防庁おおとり会』として支部活動を行っています。私が入庁した翌年、専修大学卒業生として初めて消防総監になられた花塚(辰夫)先輩(昭30・法律)や、校友会長としても活躍された、第15代消防総監・小宮(多喜次)先輩(昭40・法律)などは、ご存じの方も多いのではないでしょうか。ほかにも、私が総務課で主任を任されていたときや、本庁へ異動してきたときなど、要所要所で校友の先輩方からお世話になってきました。同じ大学を卒業した者同士ということで、世代が違っていても、親身に仕事のアドバイスをしてくださるのです。とてもありがたかったですね」

 また、専修大学で学んだことで専門系消防官への道も開けた。専門系消防官とは、大卒程度の一般教養と法律、化学、建築などに関する専門知識を備えた、高度の消防行政を担う中枢職員である。いわゆる幹部候補としてキャリアを歩むことになる存在だ。

 「人とのつながりにおいても、キャリアという点においても、専修大学で学び、卒業したことによって得たものが大きいと感じています」

人に気持ちよく動いてもらうために


専大校友には、「地道に実践し続ける力に長けた方が多い」と清水さん

 専門系消防官となって以降、清水さんは、本庁人事部職員課や玉川消防署(世田谷区)消防司令、本庁人事企画担当係長、荏原消防署(品川区)予防課長など、順調にキャリアをかさねていく。東京都総務局総合防災部へ出向していた2006年には、大規模テロ災害対策共同訓練の計画策定・実施にも携わることに。

 01年にアメリカで発生した同時多発テロを契機として国民保護法が制定され、東京都は、東京都国民保護計画に基づいてテロ対応訓練を行うことになったのだ。

 「大規模テロを想定した対処訓練というのは、東京都としても初めてのこと。しかも、参加するのは27機関・団体、約480名と多数にのぼります。高性能爆薬や化学剤(サリン)などによる連続テロを想定する場合、図上訓練と実動訓練の内容をどう展開すべきか。訓練の重要性を国内外に実感してもらうためには何が必要か──。手探りの部分が多い中、複数の部署や関係機関といったステークホルダーの意見を調整しながら訓練を具体化するのは、容易なことではありませんでした」

 出向で東京消防庁の外に出てみて、さまざまな立ち位置で物事を考える人たちと協力関係を築き上げた経験は、貴重なものだったに違いない。

 都庁から東京消防庁へ帰任し、本庁で生活安全課長を務めることになったのは、消防法改正によって新築住宅に火災警報器の設置が義務付けられたタイミングだった。清水さんは、各消防署員だけではなく、地域の町会自治会の関係者にも協力をお願いし、設置率8割という成果を上げるのだが、このとき都庁での経験が活きたのは間違いないだろう。


新春恒例「東京消防出初式」における消防部隊の検閲

 「その後、四谷消防署(新宿区)の署長を拝命したのですが、当時、四谷消防署管内では、十数年にわたって火災による死亡者ゼロを継続しており、私の代で途切れさせるわけにはいかないというプレッシャーがありました」

 しかし、署長としてできることは限られていた。火災のこわさや出火防止について啓発する活動や、多くの飲食店に注意喚起して回ること、地域の住民や事業所の方々に防火の意識を高くもってもらい、火災の発生を最小限に抑えることなど、やるべきことははっきりしている。しかしそれは、すべて署員や関係者など“誰かに動いてもらう”必要のあるものばかりだった。

 「誰かに何かを頼むときは、なぜ、それをやらなければならないのか、その背景や効果などをしっかり伝えて、相手が納得して取り組めるように意識しています。そこを怠ると、単なる“作業”になってしまうからです。作業というのは事務的で、心が通いにくく、十分な成果に結びつきにくいものですからね。また、説明するときも、きつい言葉は使いませんし、『ありがとう』の気持ちは、きちんと言葉にして伝えるようにしています。そこまでしたら、後は信頼して、任せるだけですね」

 この方法を貫くことで、四谷消防署在任中、同管内での火災による死亡者ゼロ5000日を達成した。

 清水さんが語る組織マネジメントの秘訣に、意表を突くようなものはない。どれも一見ありふれたものばかりだ。しかし、そのすべてを愚直に実践し続けることは非常に難しい。そして、それができているからこそ、東京消防庁という巨大な組織を統率することができるのだと痛感させられた。

撮影=中村晴彦 写真提供=清水さん

しみず・ひろふみ●1963年、東京都檜原村生まれ。1981年、東京消防庁に入庁し、勤務の傍ら、専修大学法学部二部法律学科を86年に卒業。玉川消防署消防司令、荏原消防署予防課長、四谷消防署長、第10消防方面本部長、企画調整部長、次長などを経て、2021年4月より現職。大学在学中は専大吟詠部に所属。