
寒冷地の高速鉄道では、車両の窓が割れる事故が相次ぎ、それを防ぐことが、乗客の命と安全運行を守るためにも急務だった。
このニーズを満たす「鉄道車両用安全ガラス」を開発したのが鎌鹿智教さんだ。理系大学出身者が多くを占める技術の世界で、文系卒として自ら信じた道を一意専心に進む。その発想を探った。

技術開発の世界では、“理系”出身者であることが重視される。少なくとも、鎌鹿智教さんが新卒で入社したメーカーでは、理系大学卒と文系大学卒の扱いには、はっきりとした隔たりがあったという。
「私は子どものころから物づくりが好きで、小学生時代は、夏休みの自由研究でラジオを手づくりして賞を取るほど。将来は技術開発の仕事をしたいという夢を持っていたので、就職活動で、とある大手プラスチックメーカーに入社が決まったときは、これで夢に一歩近づけた、と思いました」
ところが、そんな鎌鹿さんの願いは、すぐには叶わなかった。文系主体の専修大学出身ということで、開発業務には、なかなか登用されなかったのだ。そんな逆境をあきらめず、約20年後、鎌鹿さんが世界から求められる特許製品の開発を手がけるとは、まだ本人も思ってはいなかった。

入社後、最初に配属されたのは製造ラインを管理する部署だった。「そこで、ラインを担当しながら、通信教育で化学の勉強を始めました。理系出身でないことは確かですし、もっと業務知識を高めたいと思ったのです。この期間に生産技術や製品知識を習得でき、数年後には、念願の技術開発の部署へ異動となったのです」
だが、その配属先では工事現場の技術管理やクレーム処理といった、開発と無関係の仕事ばかりが回ってきた。
「例えば、とある駅舎の改修工事で自社製品を取り付ける夜間作業があり、その技術管理をせよ、というように。実態は雑用係のような立場で、施工写真を撮る、クレーム対応を行う、といったものでした。職人と一緒の作業服で徹夜作業し、汗と埃にまみれたまま報告のため朝に帰社すると、同僚が涼しい顔で出社してくる。会社は自分を辞めさせようとしているのではないか、と疑心暗鬼になりましたね」

当時、同社には東大、京大、国立一期・二期校、慶應、同志社などといった学閥と序列があり、しかも開発部門は理系学部出身者で占められていた。
「そんな状況に、当初こそ壁を感じましたが、まずは数年やってみようと。現場の職人や業者をはじめ、お客様にも、わからないことは何度も質問をしました。そのとき会社で扱っていた製品が、のちに私の得意分野となるポリカーボネートという素材です」
ポリカーボネートとは、特殊な樹脂からできた金属とプラスチックの中間のような素材で、耐衝撃性や耐久性、透明度に優れる特徴を持つ。
ほとんどの顧客は、どんな製品が欲しいかよりも、どこにどう取り付けるか、というトータルな構想(グランドデザイン)を求めていた。この要望について上司に報告すると、現場の声として吸い上げてもらえず、「原材料メーカーなのだから余計なことはするな」とシャットアウトされてしまう。だが、そこで鎌鹿さんがくじけることはなかった。
「お客様のニーズを製品の技術開発につなげようと、会社には断りを入れず夜間学校で建築を勉強しました。そこで学んだことから、例えば、階段のパーテーション材料として、ポリカーボネートをどのように取り付けるか、などをお客様に提案するスキルを勉強したり。仕事と通学の両立はきつい面もありましたが、勉強し知識を得るにつれ、職人やお客様から信頼されることを実感できました」
当時36歳。実地で経験を積み、現場との連携も取れ、技術開発へ活かせる知識も得た。まさにこれからという時期だったが、社内では同じ専大出身者が営業、総務、経理に配属されており、自分もいつ異動になるかと不安な日々を過ごしてもいた。
そんなとき、ある人物との出会いが鎌鹿さんの人生を変えることになる。「新たにプラスチックの分野へ進出したいと考える、企業のオーナーから声がかかったたのです。古くは官営工場でドラム缶を手掛けていたような鉄鋼二次製品メーカーで、それが、東邦シートフレーム社でした」

鎌鹿さんが仕事で扱っていたポリカーボネートは、そのころはまだ新しい素材で、プラスチック業界でも一般的ではなかった。理系出身者には、知らない材質は担当したくないという傾向があるが、鎌鹿さんはすでに現場で同素材に接しており、知識も豊富だった。そして当のオーナーから「ポリカーボネートを使った新製品開発を、お前の好きなようにやらせてやる」と、声をかけられたのだ。
業界では可能性が語られていたポリカーボネート。鎌鹿さんは“良いな”と直感した。なにより技術開発の仕事であり、誘いを断る理由はなかった。
こうして同社に転職。新製品を技術開発する傍ら、これまでの学びを生かし、建築分野で設計なども担当した。数年後、40歳を目前にしたある日、鎌鹿さんはJR北海道の建築設計部から、鉄道車両の設計担当と会ってほしいという打診を受ける。
「鉄道車両設計は非常に高度な分野で、『なにごとだろう?』と。それは、ポリカーボネートで割れを防止する鉄道車両用の窓を開発したい、という依頼だったのです」
寒冷地である北海道では、鉄道車両が高速で走行すると、線路に上昇気流が発生し、小石などが巻き上げられて窓ガラスを割るといった現象が多発し、問題となっていたのだ。だが、聞けば国内大手のガラスメーカーや、ポリカーボネートの最先端技術者らが、すで にプレゼンを終えているという。

「ところが、“車両にどう取り付けるか”については、誰も答えられなかったそうです。私はその場で、簡単な設計図をフリーハンドで描きました。前職の現場でのクレーム対応や、職人との日常的なやりとりで、図にして説明する習慣が身についたのです」
これが決め手となり、鎌鹿さんの設計図をもとに製品実用化への開発が進むこととなった。だが開発過程では何度も壁にぶつかる。なぜ実現できないのか、原因を探る検証を毎日繰り返しながら2003年、ついにポリカーボネート板とガラスの複合窓ユニット「鉄道車両用安全ガラス(I.G.P=Insulation Glass & Polycarbonate)」が誕生。乗客の安全を守る社会貢献型製品として高く評価された。現在、JRを初め国内のみならず、EUほか世界各国の 高速鉄道にも広く採用されている。
「開発中、JR北海道のトップエンジニアの言葉が心に残っています。彼は雪国を高速走行する200系新幹線の設計に携わった方ですが、『開発というのは、理系大学出身者の特権ではない。変に専門知識や固定観念があると、それに固執して開発ができない人が多い』、そして『むしろ、これからは文系で全体像をデザインできる(ゴールヘのストーリーを描ける)、創造力をもっている人のほうが、開発に向いている可能性がある』。この2つのアドバイスにはしびれました」
技術開発とは技術的知識ではなく、“問題意識と創造力”。そう教えられて、鎌鹿さんは、さらに前へと進む。

そんな鎌鹿さんは、どのような環境で育ったのか。父親である
おかげで、小学校低学年にして専大応援歌と校歌を歌えるようになった鎌鹿少年は、いずれ専大に進むものと自然に思うようになっていく。
やがて家族で北海道に転居。前述のように、将来は技術開発者を志していた鎌鹿さんは、高校生となり、高校入学時の進学志望校に「専修大学」と書くのだが……。
「先生に呼び出されました。入学当初の進学希望者は、東京であれば国立大学か早稲田、慶応などの6大学とするのがごく当たり前で、専大としたことが不可解に受け取られたようです」
それは、鎌鹿さんが高校で理系クラスに所属していたことも原因のひとつであったろう。実は、専大に当時は理系学部が存在しなかった事実を、鎌鹿さんはこのとき初めて知るのだが、だからといって技術者への道はあきらめきれない。そこでまずは理系の大学に絞り、願書を取り寄せることにした。 「なぜ専修大学を受けないんだ!?」願書を見た父親の言葉だった。自分は技術者を目指すために、理系大学に進みたい。だが、専修大学に進んでほしいという父の気持ちもよくわかる。
「そこで専大の、数学で受験できる学部を受けたのです。理系大もいくつか受験し、いずれも合格しました。そして入学手続きの締切が迫り、自分はやはり理系に進もうと、希望校の手続き書類をつくったのです」
印鑑を押してもらうため、夜、父に書類を渡した。翌朝、居間のテーブルにあったのは、父の字で書かれた専大の入学手続き書類だった。「希望校の書類には、印鑑が押されていない状態でした」
父の強い意志を前に、鎌鹿さんは大いに悩む。夢もあるが、親孝行も大切だ。そして、自身も幼少期からあこがれていた専大への入学を決める。

こうして専大生となった鎌鹿さんだが、ずっと理系の道を歩んできたため、文系の勉強が将来どのような仕事に役立つのか、明確なイメージを描けないまま日々を過ごしていた。一時は部活動や同好会にも入部したが、ケガなどがもとで辞めてしまう。無気力な学生生活に陥りそうだが……。
「生田で寮生活をしていましたが、そこで出会った仲間たちのおかげで、充実した学生時代を送ることができました。岡山、新潟、九州、同じ北海道などから出てきた寮生の実家まで、各駅停車や夜行列車で旅行したことが一番の思い出です。鈍行列車で旅をすると、地域ごとに乗客の方言が少しずつ変化していくのが醍醐味でしたね」
仲間と過ごし、カレッジスポーツを応援して勝利をみんなで分かち合い、ともに校歌を歌うことで専大愛が強くなっていく。さらに学生生活の傍ら、喫茶店でのアルバイトでお金を貯めた。学生ながら店長となり、バイトの採用や入出金業務も任され、強い責任感が芽生えたという。
「専大で商業や経済を中心に、社会にかかわる全般的な知識や思考体系を学んだことが、私の自己形成に大きくかかわっています。あまり良い成績ではありませんでしたが。また、先生方は自主性を重んじてくれました。もし理系大に進んでいたら、専門分野を深掘りしながら実験とレポート漬けの生活で4年間を過ごし、現在のような全体を見渡す発想や考え方には至っていないでしょう。近年、日髙理事長と佐々木学長が良くおっしゃっている建学の精神『社会知性の開発』(21世紀ビジョン)が、専大で身に付いたと思います。学生時代は、それとわかってはいませんでしたが(笑)」
偏ることのない学びが、独創的なビジネス発想の源泉になっているという鎌鹿さん。加えて、専大を愛する父親への理解も深まった。
「父の年齢に近づき、『自分の子どもも専大に入学させて、喜びを共有したい』という気持ちがよくわかります。社会人になってからも母校の試合会場へ通い、同僚らからは『専大はスポーツが強くていいなぁ』と羨ましがられて。有志で結成した応援団体『専修大学スポーツ・サポーターズクラブ(SSC)』の活動を通じ、いまも声援を送り続けています」 鎌鹿さんは自身の経験を振り返る。
「大学、就職は単なる出発点だと思います。文系、理系、学部などで自ら枠をつくることなく、日々ゴールへのストーリーを描いていきましょう」
母校が育んだ知と愛が、こうして社会に新たな歴史を刻んでいく。
専修大学校友会誌 Adonis(アドニス)No.97より転載
かまか・とものり●1963年生まれ、千葉県市川市出身。専修大学商学部商業学科卒。幼少期から技術開発者を志し、理系大学への進学を目指すが、父親たっての希望で専修大学へ。新卒で入社したプラスチックメーカーを経て、36歳で技術者として東邦シートフレームへ転職。大手メーカーがつくれなかった「鉄道車両用安全ガラス(I.G.P)」開発に成功する。同製品は世界鉄道研究会議(WCRR)、グッドデザイン賞、発明賞などで受賞、日本を含む世界7カ国で特許を取得している