
韓国留学を機に、当時珍しかった韓国語をマスターした中島さん。卒業後、NHKの通訳や韓国の日本大使館職員などを経て、現在は外交官夫人として海外で暮らしています。外国人との広いネットワークを持ち、海外経験も豊富な彼女が考える国際人とは?

大学時代に韓国へ留学していなければ、今の私はありません。振り返ってみて、韓国留学は、そのくらい人生の大きな転機だったと感じています。
韓国に興味を持つきっかけとなったのは、松浪健四郎先生(現・日本体育大学理事長)の声掛けで、レスリング世界選手権のスタッフを務めたことです。松浪ゼミ生の私なら、気軽に頼めると思ったのでしょう(笑)。そのとき知り合った方が、韓国選手団の団長をしていた李健煕(イゴニ)さんでした。現在のサムスン電子会長です。李さんは、とても良い方で、品川のお蕎麦屋で食事したとき、スタッフとして動き回っていた私をねぎらうように、優しく話を聞いてくれました。
そのときの良い印象があったから、国際交流事務課から「韓国の檀国大学へ留学してみないか」と打診されたとき、韓国語を話せないにもかかわらず、前向きに考えられたのだと思います。しかし、当然ながら言葉には苦労しました。ホームステイ先のご家族と意思疎通はとれないし、大学では辞書が手放せず、授業についていくのにも必死……。
でも、語学以外については、校友会の韓国支部の方々がいろいろと気にかけて助けてくださったおかげで、実に快適な留学生活を送れましたし、何よりも、当時知り合った人とのつながりが、今も大きな財産になっています。サッカー元韓国代表で代表監督も務めた洪明甫(ホンミョンボ)や「冬のソナタ」のペ・ヨンジュンも当時知り合った仲間たちなんですよ。

大学卒業後、フリーランスの通訳などを経験してから、韓国の日本大使館で4年間働くことになります。そこで主人と出会い、現在は外交官夫人として、メキシコの日本大使館※で各国の外交団を取りまとめる役を務めています。外交官の家族は赴任先で仕事ができない決まりになっているため、メキシコシティのイベロアメリカーナ大学で合唱を指導するなど、ボランティア活動を積極的に行っています。
ところで、皆さんはメキシコと聞いて何をイメージしますか?暑さですか?サボテンでしょうか。実は、メキシコシティは標高2,200メートルの高地にあるため、朝の気温は10度ほどしかありません。酸素が薄く、飛行機を降りたとたんに高山病で動けなくなる外国人がいるため、空港には車椅子が20台ほど用意されているほどです。サボテンは、スーパーの食材売り場でしか目にしません。
そして、これもあまり知られていませんが、メキシコをはじめ中南米では日本人を尊敬している人が、とても多いんです。理由は、中南米で暮らす日系人たちが、誠実で礼節を重んじる、昔ながらの日本人らしさを失っていないからです。だから、現地で「ありがとう」と感謝の意を示すと、「やはり日本人だ!」と喜ばれることがよくあります。
これと似たような体験は、海外へ出れば何度も経験します。そのとき思ったのです。真の国際人とは、自国のルーツを知り、自国人であることに誇りを持って、海外でもそれを体現できる人のことだ、と。語学は、あくまでもコミュニケーションのためのツールでしかありません。そのことを胸に刻んで、若い人たちにはどんどん世界へ飛び出していってほしいと思います。そのときは、世界各国のOB、OGを頼ってください。私たちも先輩方に助けられながら、頑張ってきたのですから、ね。
(談)
※7月取材当時。8月からドイツ・デュッセルドルフ総領事館に駐在中
なかじま わかな●1993(平成5)年、文学部人文学科卒業。神奈川県出身。大学3年次に韓国・壇国大学へ1年間留学。帰国後、独学で韓国語学習を続け、第一回ハングル語検定で1級を取得。