
現在、新潟の銘酒『八海山』の商品開発・営業企画担当として活躍されている中俣善也さん。しかし、社会人のスタートは、東京にある百貨店でした。なぜ、そこに就職したのか、その後、どうして八海山へ移ったのか。中俣さんの仕事との出会いからうかがいました。

私に仕事の面白さを教えてくれたのは、大学時代のアルバイトでした。
情けない話ですが、専修大学へ入学した当初、いわゆる「燃え尽き症候群」のような状態になってしまいました。大学へ入ることを目的に勉強していたため、入学した時点で目標を見失い、何をしたらいいのか分からなくなってしまったのです。学生の本分は学業ですから、迷わず勉学に勤しめばよかったのですが(笑)。
ところが、当時の私が手にしたのはアルバイト情報誌で、以後、バイトにのめり込んでいくことになります。入学後1カ月も経たないうちに、東京ドームでビール販売を始め、夏場はビアガーデンで働いていました。
そして、夏が終わってから始めたのが、百貨店の売場担当です。当初は、のし紙などに文字を入れる筆耕担当に応募したのですが、配属はおもちゃ売場に。元気な若手には、非常に忙しいところで頑張ってほしいという考えだったのでしょう。今思い返してみても、本当に忙しい売場だったと思います。開店から閉店までレジ前からお客さまの列がなくなることはありませんでした。食事休憩も、並んでいるお客さまに気づかれないよう、こっそりと売場から出ていったものです。
でも、そんな大変さより、働くことの面白さを、より強く感じさせてくれたのが、このバイトでした。まず、モノを売る楽しさを知りました。モノを売ってお客さまから「ありがとう」と言っていただける喜びも味わえました。お子さん夫婦が、私の実家近くに住んでいたことがきっかけで話すようになったおばあさんは、お孫さんにプレゼントするおもちゃを買いに来るたび、私に声をかけてくれました。そんなとき、自分の存在価値が、売場にあると思えたものです。
商売への誇りのようなものも、このバイトで知りました。例えば、お客さまが求める商品が売場になかったとき、社員たちは、他の百貨店に問い合わせて、当たり前のように他店を紹介します。取り寄せる時間をいただいて販売すれば、店の売上になるのに、です。「商品を早く手にしたい」など、お客さまの想いを一番に考えるからこそ、こういう行動をとれるのだと、バイトながらに感じ、そんな方々と一緒の職場にいることを誇らしくも思いました。

百貨店の仕事があまりにも楽しくて、気がつけば週に4、5日バイトしていました。こんな調子でしたから、卒業後の就職先として百貨店を意識したのは、自然の成り行きだったと思います。さまざまな百貨店が集まっている東京で就職活動をしようと考えたのも、自分としては当たり前のことでした。
しかし、両親は違いました。私は長男なので、大学を出たら地元、新潟へ戻って就職するものだと考えていたのです。だから、東京に残りたいと両親に話したときは反対されましたよ。ようやく認めてもらえたのも、「30歳まで」という条件をつけたからでした。
ところが、世の中、そううまくはいかないものです。そうまでして就職した百貨店──学生時代にバイトをしていた店とは別のところでしたが、そこの仕事のやり方に馴染めなかったのです。婦人雑貨売場担当になったのですが、店舗がターミナル駅に直結していて、何もしなくてもお客さまがたくさん来店してくれるため、「お客さまのために何をすべきか」という意識が、バイトをしていた店よりも低い気がしました。売場一丸となって、仕事に向き合う熱気のようなものも薄い気がしてしまったのです。新入社員ですから裁量も狭く、業務内容にも物足りなさを感じていました。
ようやく仕事が面白いと思えるようになったのは、入社から3年が経った頃でしたね。仕事のことがだいたい理解できるようになり、裁量の幅が広がってきたことで、仕事を自分で動かしているという実感が持てるようになってきたからだと思います。どんどん仕事にのめり込むようになり、あっという間に2年あまりが過ぎていました。そして、5年目にジョブアップ試験を受けたとき、はたと思ったのです。「試験に通れば、さらに業務の幅は広がり面白さは増していくだろう」と。そうなったら、仕事を辞めて新潟へ帰るのが嫌になってしまうかもしれない──。Uターンするなら、この時しかないと思った私は、試験結果が出る前に、退社を決意。新潟へ戻って、父の口ききで八海醸造に入社したのでした。
八海醸造では、営業を担当しました。百貨店の売場担当しか経験がない私には、不慣れな業務です。しかも、お客さまに商品を買っていただくために知恵を絞っていた百貨店時代とは違い、八海醸造では、売りたくても商品が足りない状態でした。
日本各地から取引先の方が、「『八海山』を少しでもいいから卸してもらえないか」と頼みに来られます。自分の親のような年齢の方が私のような若造に頭を下げるのです。しかし、どれほどその思いに応えたいと願っても、肝心の商品が不足しています。冗談混じりに「これだけ頼んでいるのに聞いてもらえないとは、あなた地獄に落ちるよ」と言われたこともありました。あれは、こたえました。そのときの情景は、今でもはっきりと覚えています。
その頃、私が必死に考えていたことは、将来、八海山が良い形で流通するために、今できることは何かということだけでした。「注文を出しても、どうせ買えないから」と諦められて関係が切れてしまわないよう、取引先との良いお付き合いを継続していくことも、その一つです。だから、たとえお叱りを受けようとも、商品を提供できない不甲斐なさを噛み締めながら、全国各地の取引先を足繁くまわりました。
先代の社長も当代も「飲みたい消費者がいる限り、質を落とすことなく量を造るのが、メーカーの責任だ」という考えの持ち主で、徐々にではありましたが、生産量を増やしていたところでしたので、いつの日か取引先の希望に応じられる日が来ると信じられたことも、頑張り続けられた理由でした。だから、工場を増設し、酒造りに携わる人材も確保して、お客さまの注文に応えられる今の状況をとても嬉しく思っています。
ただ、別の課題も持ち上がってきています。それは、ここ数年、若者の日本酒離れが進み、市場自体が縮小していく中で、八海山をどのようにブランディングしていくかということです。営業から商品開発・営業企画室という部署へ異動し、商品パッケージデザインや、アンテナショップ『八海山 千年こうじや』の設立・運営に携わる現在、ブランディングや販促、認知度向上というミッションをいかに達成していくかに頭を悩ませています。容易なことではないと分かってはいますし、忙しい日々が続いていますが、面白さも感じています。バイト時代からそうでしたが、やはり、忙しく働くのが好きなんでしょうね。
(談)

「八海山 千年こうじや」とは
新潟県魚沼地方の食と文化を紹介するという願いが込められたお店。八海山だけでなく、さまざまな発酵食品も扱っている。新潟県南魚沼にある本店の他、東京、神奈川などに5店舗を展開している。東京都日本橋にある「コレド室町2」内にある店舗では、日本酒Barが併設されており、八海山とともに発酵食品などの料理も楽しめる。
八海山 千年こうじや
●住所:東京都中央区日本橋室町2-3-1「コレド室町2」1階
●電話番号:03-6262-3188
●営業時間:月~土 10:00~23:00、日・祝 10:00~22:00
●定休日:無休(不定休日有 ※コレド室町に準ずる)
中俣善也さん
株式会社八海山
執行役員 商品開発・営業企画室 室長
なかまた よしなり●1968(昭和43)年生まれ。新潟県出身。1992(平成4年)商学部卒業。同年、電鉄系百貨店に入社。婦人雑貨売場担当を務める。1997年に退社して新潟へ戻り、八海醸造に入社。営業部に配属される。2001年、営業部門の分社化にともない、株式会社八海山に転籍。大阪営業所、東京営業所、本社営業部を経て、2012年に現職に就く。