
学生運動全盛だった昭和44年に卒業し、日清食品に入社した中川晋さん。
大学ではマルクス経済を学ぶが、そこで思考や決断力が鍛錬されたという。
過去の貴重な経験と共に、人材育成や展望についても語っていただいた。


私と日清食品との出会いは昭和33年に発売されたチキンラーメンでした。確か小学校5年生だったと思いますが、衝撃的でしたね。そのころにインスタントという言葉が初めて出てきたのですが、「魔法のラーメン」というぐらい驚きでした。香りがよく、味がよく、当時を思い出すと今でも食べたくなります。そして、あの包材がもうひとつの衝撃でした。当時はスーパーにレジ袋はなく、駄菓子屋でお菓子を買っても紙袋でした。つまり、世の中でPPフィルムの包材を使ったのはチキンラーメンが先駆けなんですよ。僕は子どもでしたけど「すごい世の中ができあがってきたな」と感動しましたね。これが私のいわゆる原体験。感動や驚きがロイヤリティとして染み込んでいて、人が味や栄養を否定しても「そんなことはない!」と言うぐらい愛着を持っています。できれば日清食品に入社したいと思っていましたね。
一旦は高校の教師を目指しましたが採用に至らず、大学4年の秋ごろから就職活動を始め、2~3社を受けました。日清食品から採用通知が来たのはちょうど鳳祭の初日でした。子どものころからの憧れの会社に入社できたのですから、これもご縁だと思います。

入社後は営業を9年間やりましたが、入社直後の昭和46年にカップヌードルが発売されました。ところが最初、カップヌードルは売れなかったんです。なぜかというと、当時袋めんが19円の時代に100円という高価な食品だったため、卸問屋から「こんな高いものは売れない」と突っぱねられたんですね。そこで創業者(故・安藤百福氏)が考えたのが「流通ルートの開発」でした。たとえば野球場でお湯を入れて食べてもらうといった、消費者が食べているシーンと接点を持つということ。そのひとつが銀座の歩行者天国での販売です。当時、銀座三越にあったマクドナルドの一号店の横でお湯を入れて販売しました。しかしお湯を道路で沸かす設備がないので、三越さんにお願いして、地下3階で大きなやかんでお湯を沸かして、階段を駆け上がりましたが地上に出たらもうやかんのお湯が売り切れ(笑)。エレベーターを使わせてくれなかったので、空のやかんを持って、また地下まで走って行く。これを毎週やっていましたね。
新たに流通を開発するという考え方が徐々に効果を表し、売れてくると今度はハンドリングが大変になってきます。創業社長の指示のもと、自動販売機を使った販売ルートの開発を開始しました。たとえば夜食が必要な新聞社に置くことで独自の販路を開発しました。創業者は「お湯を注いで3分間」といった「世界初」を実現させた人物です。食品メーカーが流通にまで進出するのもそういった思想があればこそでした。


専修大学経済学部はマルクス経済学の先生が多く、吉澤芳樹先生から完璧なマルクス哲学を学んだこともあり、就職するとはどういうことか悩みました。「社会人となった時に学生時代に考えたことを心のどこに置いておけば自分らしく生きられるか?」それを学生の時に考えられたのは、マルクス経済学をやっていたからだと思います。
また社会に出てからは、「目の前で起きていることをどう捉えるか?」という社会認識がわりと早い段階で身に付いたと思います。
今でも、何か問題があった時に判断を迫られますが、そのための思考の鍛錬を学生時代に行ってきたのだと感じますね。マルクス経済学を通じて基礎体力が備わったということでしょう。
それらの経験を生かして、これまで働いてきましたが、社会人になり影響を受けたのは中国での工場設立でした。
95年のことですが、中国はまだまだ発展途上で日本の技術・設備で作っても必ず競争力のない商品が出来てしまう状態でした。たとえば日本では食品の質はもちろん、パッケージに少しずれがあってもミスとしてはねます。が、中国はそんなことをしません。それひとつをとっても絶対にコストはあがってしまいます。現地ではオーバースペックですが、日本人の感覚では当たり前です。当然、コストは値段に反映されるため、最初は全然売れなかった。
それ以来、6年間をかけて流通や人との接し方を徹底して学びました。その結果、変な言い方かもしれませんが、中国人が好きになりました。中国人のマナーなどについて批判が聞かれるけど、「日本だって少し前は同じだったでしょう」と言いたくなりますね。かの国で人の接し方、交渉の仕方、物の考え方を教わった気がします。その甲斐あって、現在では毎年平均135%(前年比)の伸びを見せています。
また中国では人を公平に評価することを身につけました。いい加減な発想をしている社員がいれば怒りますが、それで終わりにせず教育する。それはわが社の評価制度にも通じるものがあります。



我が社の社員は52歳で一度「試練」がきます。たとえば課長職であっても先の目標が定められなければ、FA宣言し、他の部署へ異動してもらう。または社内外での目標を見つけるため2年間給与を支払うので自分で何かを会得してもらう。部長になってもこれは同じで56歳で取締役になれなければ、そこでリタイヤしてもらう。もしくは給与をカットして会社に残るかを選ぶわけです。
厳しいと感じるかもしれませんが、逆に係長であっても部長職になりたいという希望者にはその職に就かせます。2年たってダメなら降格となりますが、やりたい人は青天井で上を目指せるという社風です。厳しい反面、上を目指せる人間には正当な評価をしてあげる、それがなければ仕事は楽しくないと思いますね。会社としても伸びる環境を提供するのが大切だと思います。
孟子の言葉に「天のまさに大任をこの人に下さんとするや、必ずまずその心志を苦しめ、その筋骨を労せしむ」とあります。辛い試練は、それを乗り越え目的を達せられるか天が試しているのだと。試練を乗り越える先にあるチャンスが巡るまで、自らを鍛えておく。矜持として大切にし、試練に直面した部下にも送っている言葉です。
(談)

大ヒット「トムヤムクンヌードル」も専修人が担当しています
昨年大ヒットにより品薄状態が続いた「トムヤムクンヌードル」。同商品は中川副社長の後輩にあたる藤野誠氏(平4・経営)が担当しています。
「現在、私は日清食品㈱のマーケティング部で第1グループのブランドマネージャーを勤めています。第1グループでは世界初のカップ麺である「カップヌードル」ブランドを担当しており、社内でも非常に重要で責任のある仕事をしています。大変な仕事ですので、常に悩み苦しんでいますが、そんな時に中川副社長が身近な存在でいていただけることは本当に心強い限りです。多くの先輩方が各方面で活躍する専大生でよかったと実感するとともに自分も後輩の力になれたらと思っています」
中川 晋さん
日清食品ホールディングス株式会社
代表取締役副社長 COO(最高執行責任者)
なかがわ すすむ●1969(昭44)年、経済学部経済学科卒業。同年、日清食品株式会社に入社。1946年生まれ。香川県小豆島出身。マーケティング、海外での会社設立等に尽力し2008年10月より現職。「コンシューマーインサイトにより、コモディティをきらきら輝かせる」が理念。