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企画・制作 朝日新聞社メディア事業本部

日本医師会シンポジウム採録 社会保障のアップデート 〜豊かな未来をデザインする〜

講演 未来をつくる社会保障

早稲田大学
人間科学学術院教授
松原 由美さん

社会保障制度をめぐる三つの誤解を検証


私は社会保障制度をめぐる議論で、“神話のように語られる誤解”が根強く存在していることに危機感を抱いています。社会保障は国の基盤そのものです。しかし、その基盤についての議論が十分なデータに基づかず、印象論や思い込みが独り歩きすると、制度の持続性を損ない、現場の士気を下げ、社会を分断させる恐れがあります。今日は、その「神話」を三つ取り上げ、私自身の考えをお話ししたいと思います。

第一の神話「肩車社会に未来はない?」


「高齢者1人を支える現役世代の人数が減少し、肩車社会になって日本は立ち行かなくなる」という話をよく耳にします。しかし、1980年代初頭から経済学者の伊東光晴氏や里見賢治氏らが批判し続けている通り、問題は非就業者1人に対する就業者数であり、実はこの比率は長期的にほぼ1対1で安定しています。

さらに、近年は高齢者の就労率が大きく上昇しています。65〜69歳の就業率は、2003年に34.7%だったのに対し、2023年には53.5%に達しました。つまり、この世代の2人に1人が働いている時代です。また、若い世代の共働き世帯は、1980年の614万世帯から2024年には1,300万世帯へと倍増し、社会構造自体も大きく変わりました。こうした変化を踏まえれば、「高齢者が増える=若者の負担が重くなる」という単純な図式では捉えられない現実があります。

年金についても、悲観論ばかりが目立ちますが、経済成長を続けた場合には、若い世代ほど将来受け取る年金の実質額が増える財政検証の結果が公表されました。社会全体の働き方が変化し、生産年齢人口の概念も拡張されつつある中で、肩車の比喩だけで未来を語るのは適切ではありません。

第二の神話「日本の医療福祉分野は生産性が低い?」


次に「医療や福祉の生産性が低い」という批判についてです。メディアの報道では、医療・介護分野の付加価値が他産業より低いというデータが引用されることがあります。しかし、社会保険制度下で提供される医療・福祉は、公定価格で運営される仕組みです。価格を事業者が自由に決められない以上、付加価値で評価すること自体に無理があります。

また、「労働分配率」の議論も誤解が多いテーマです。労働分配率とは、企業や産業が生み出した付加価値のうち、労働者の賃金(人件費)としてどれだけ分配されているかを示す指標になります。財務省の財政制度等審議会の資料では、医療・福祉分野の労働分配率(雇用者報酬÷総付加価値)は、60%台とされていますが、独立行政法人福祉医療機構のデータを見ると、社会福祉法人で約94%、医療法人で約97%と非常に高い水準です。

内部留保についても、「社会福祉法人が過剰に溜め込んでいる」との批判がありますが、厚生労働省の研究事業では過半が必要な内部留保すら持っていませんでした。意図的に人件費を抑えて利益を蓄えているというイメージは、実際のデータとかけ離れています。このようなミスリードは、現場の士気を失わせ、地域社会の基盤を弱める危険性があります。

第三の神話「社会保障は日本の足かせ?」


三つ目の神話は「社会保障は経済の足を引っ張る」というものです。日本の社会保障支出は対GDP比で見ても欧米諸国と比較して、高くはありません。同様に、企業の社会保障負担も決して重すぎる水準にはありません。高福祉国家の北欧が国際競争力ランキングの上位に名を連ねていることを見れば、社会保障が経済成長を妨げるという関係にはないことがわかります。

私は、社会保障を「コスト」ではなく社会を安定させる投資と位置づけることが重要だと考えています。事実、格差が広がると、低所得層への投資が減り、長期的な成長力が損なわれると、OECD(経済協力開発機構)やIMF(国際通貨基金)の研究結果では繰り返し警告を発しています。

福祉は、地域の美しい風景・文化も守っている


私が医療や介護の現場を訪れるたびに実感するのは、福祉が単なるサービス提供ではないということです。例えば、「農福連携」の取り組みでは、高齢者と障害者が互いに支え合い、生きがいを見出しながら地域の文化や風景を守っています。こうした活動は短期的な数値では測れませんが、長期的には地域社会を豊かにし、人を支える基盤を作ります。

未来の社会保障に必要なのは、二項対立ではなく「一円融合(いちえんゆうごう)」の発想です。社会保険の適用拡大やデジタル化の推進、低所得者層への確かな支援、財源問題から逃げない姿勢。そして何より、ケアし合う文化を育む“まちづくり”です。性別、年齢、障害の有無、家庭環境に関わらず、全ての人が能力を発揮できる社会。それこそが、“未来をつくる社会保障”の姿だと考えています。
※世のあらゆるものは円のように働き合っており、一体となることで成果が生まれるという考え

まつばら・ゆみ/早稲田大学人間科学学術院教授。博士(福祉経営)。慶應義塾大学大学院経営管理研究科修士課程修了。明治安田生活福祉研究所研究部長、医療経済研究機構主任研究員、東京大学大学院医学研究科公共健康医学非常勤講師などを経て、現職。

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