朝日新聞デジタル
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永さんとの浅からぬ縁を、
残していきたい

堀内 永さんといえば、さださんとは、歌手になる前からのおつきあいだとか。

さだ 父が『まぼろしの邪馬台国』の作家、宮﨑康平さんと親しくて、子どもの頃から宮﨑先生の家に出入りしていたんです。そこで一、二度永さんを見かけて「あ、永六輔だ」と。当時は憧れの存在ですよね。その後、僕が幼少期から励んでいたバイオリニストへの道を諦めたことを知った宮﨑先生が、俺の前で歌ってみろというので歌ったら「面白い」と。そしていろいろな人を紹介してくれた中に永さんもいた。永さんは僕のことをなぜか「落語家になりたい少年」と思い込んで(笑)。

堀内 落語の話ばかりしたんじゃないですか?

さだ 確かにそれもあったかも。永さんも僕をいろいろな人に会わせてくれました。

堀内 淀川長治さんにも気に入られたと聞きました。

さだ それはデビューしてだいぶたった頃ですね。僕と永さん、淀川先生は誕生日が4月10日で同じなんですよ。イラストレーターの和田誠さんも。それで、共通の友人であるおすぎが音頭をとって食事会を開き、永さんと和田さんにそそのかされて面白トークで淀川先生を楽しませたんです。僕が帰ったあと、淀川さんが「あの青年は愉快だねえ、何する人?」と聞いたという(笑)。永さんは喜んですぐハガキをくれました。「まさし、残念ながら君はまだ無名です」

堀内 アッハッハッ。

さだ 永さんのそういう好奇心が僕は好きなんです。面白いと思ったらすぐ会いに行く、そして人と人を結びつける。その行動力がすばらしい。厳しい人で、正義感が強い。僕の歌手活動25周年記念アルバムに入っている「ふ」という歌は、永さんが作詞してくれました。

たくさんの出会いもくれた永さんの好奇心を忘れない

堀内 永さん作詞の歌をさださんが歌った一昨年のアルバム『永縁』にも入っていますよね。えっ、これも永さんの作詞?と驚きながら、いい歌だなあと聞きました。

さだ 今聞いても新しいですよね。歌っていると勉強になるんです。わかりやすい言葉で、印象に残るメロディー。永六輔・中村八大コンビの作品は、僕の原点です。僕はずっとクラシックの勉強をしていたので、永さん制作で1960年代に放送されたテレビ番組『夢であいましょう』のなかの「今月のうた」で初めて歌謡曲に触れたんです。

堀内 永さんには1970年ごろから当社のCMに出ていただいて、雑誌広告なども含め約30年間も浅田飴に携わっていただきました。当社の成り立ちにも興味をもってくれたんですね。社名が徳川幕府の御典医だった浅田宗伯によることや、浅田飴がその宗伯の考案した処方を守っていること、医薬品であることなど、折に触れ著書でも書いていただきました。世間に対して筋を通すかたで、あれほど強烈に当社と結びついていたキャラクターはいないと思っています。

さだ 「せき・こえ・のどに浅田飴」。よくモノマネしたものです。永さんは言葉の達人で、自分の価値観ですてきな人やものを見つけ出し、みんなに伝わる生き方を示してくれました。本来、それはマスコミに携わるものがやるべきことなんですよね。僕も全国を回って歌っているので、そこですてきな人に出会ったらみんなに伝えていきたい、そうしなければと思っています。

堀内 永さんを受け継ぐのはさださんしかいないです。

さだ 僕なんかまだまだ、それほどのものではないですよ。

言葉も音楽も、
未来に伝えたい声の文化

堀内 実はさださんにお願いがあるんです。

さだ 何でしょう。

堀内 50年くらい前の当社のコマーシャルソングの譜面が出てきまして、復活させたいんです。

さだ えっ、それはすばらしい。どんな歌ですか?

堀内 社内で私しか覚えていないんですけど……一部歌いますね。♩(歌う)

さだ いいじゃないですか! そんなしゃれたメロディーと歌詞、誰がつくったんですか? 永さんでしょうか。

堀内 いや、永さんと関わるもっと前なんです。さださんが歌ってくれるとうれしいんですが。

親子が共有する声の文化を伝統として広げていきたい

さだ ぜひ譜面を見せてください。いいものは残していきましょうよ。

堀内 お願いします!(笑)時代は変わっても、残さなければならないものがありますね。当社も、声を守るという企業姿勢を貫いています。親から子へ、孫へ、声を媒介に伝わる伝統や文化ってあるじゃないですか。歌だけでなく、話術とか。

さだ 僕も永さんも、言葉遊びが好きです。歌も言葉遊びの一つでしょう。せっかく歌を聞いてもらうんだから何かその人が元気になるきっかけを残したり、考え方の提案をしたりできればと思って歌っています。

堀内 いいですね。当社はコンサートや演劇、地域寄席への協賛、ラジオ番組への提供を続け、昨年は「こども落語会」を主催して親子を招待しました。親と子が笑いを共有して、そこからまた文化が広がっていくといいなと考えているんです。

さだ 親子で落語もいいですね。

堀内 永さんには本当にたくさんのことを教わりました。これからも大切にしていきたいと思っています。

さだ それは僕も一緒です。

堀内 「せき・こえ・のどに浅田飴」と一緒に、次世代に伝えていきたいと思います。

さだ 「うた・こえ・トークに」も大事です!

浅田飴130周年特別企画の広告特集を再掲載しました!

2017年9月6日の夕刊に掲載された、130周年記念特集の紙面をPDFでダウンロードできます。永六輔さんの次女・永麻理さんとその長男の育之介さんの対談を中心に、浅田飴の歩みが年表でわかる保存版。現会長と社長のコメントも永さんをしのぶ内容です。

画像クリックでPDFが表示されます。

プロフィル

ほりうち・くにひこ/1887(明治20)年、東京都神田に堀内伊三郎が「御薬さらし水飴」(後に浅田飴と改称)を創製発売したことから始まる、株式会社浅田飴の代表取締役社長。同社の6代目として2003年に就任した。

さだ・まさし/長崎市出身。シンガー・ソングライター、小説家。'73年フォークデュオ・グレープとしてデビュー。'76年ソロ・シンガーとして活動を開始。「関白宣言」「北の国から」など数々のヒット曲を生み出す。ソロデビュー以来、通算4400回を超えるコンサートのかたわら、小説家としても「解夏」「風に立つライオン」などを発表。多くの作品が映画化、テレビドラマ化されている。またNHK「今夜も生でさだまさし」のパーソナリティとしても人気を博している。2015年8月、風に立つライオン基金を設立(2017年7月、公益法人として認定)。様々な助成事業や被災地支援事業を行っている。2020年は新型コロナウイルス感染拡大に対し、医療従事者や介護・福祉従事者への支援としてマスクや医療用ガウンなどの物資支援、及び介護・福祉従事者への感染防止対策の人的支援を行う。
2020年5月20日、オリジナルアルバム『存在理由〜Raison d’être』をリリース。

PRESENT

コンサート会場だけの特別品「あ、さだ飴」をプレゼント!
浅田飴薬用のど飴K

さだまさしさんと浅田飴のコラボで実現した限定販売品「あ、さだ飴」を応募された方に抽選でプレゼントします。さださんの音楽活動45周年を記念して、45個をご用意しました。「うた・こえ・トークに」「盛り上がりすぎていためたのどに」という、さださんのしゃれたコピーを配した、おなじみのブリキ缶入り。カリン味の指定医薬部外品です。
※15歳未満は服用できません。

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