齋藤薫の美しい歳の重ね方
あっさりした自分と、面倒くさい自分、大人は両方、用意しておくべきである。
「サバサバした、竹を割ったような人ね」それは、一般的には褒(ほ)め言葉。いちいち面倒くさいことを言わない、あっさりしたイメージはある意味好ましい。だいたいが、日本人はいつも態度が曖昧(あいまい)、もっとイエスノーをはっきり言わなければ、と散々言われてきた。でも現実には、何でもサバサバ処理することはできないし、竹を割ったような言い方が人を傷つけることだってあるはずで。そもそも今の時代、極めて日本的な“過剰包装”にも匹敵する丁寧さは、いろいろ言われながらも、やはり日本の美徳。なくしてはいけないと言う声も聞かれるようになってきた。むしろ今の若い層はサバサバは生きられなくなっているとも言われる。さて……。
以前こんなことがあった。エレベーターを降りる時、どうぞお先にと促してくれた人に、逆にこちらも先を譲ったら、思わぬところから、譲り合ってないで早くしてという声がして、反省しきりということが。また、あるバーベキューに参加することになった時、勧められるたびにいただきますを言っていたら、いただきますは一度でいいと言われ、ごもっともと思ったことも。先頃も、新幹線の中で座席を倒す時に、後ろの人に声をかけるべきかどうか?これが“かけられた人の激怒”により議論になった。いや、こればかりは、声がけするのが常識と言う見方もあって、極めて難しい問題。相手のニーズを読む以外方法がない。どちらにせよ、丁寧さがうっとうしく思われる場面も少なくないのだ。一体どの基準に合わせるべきか。1つ言えば“自分のことにはサバサバと、他人には丁寧に”という使い分けが正しい気もするが、そんな画一的な分類ではもう済まされない。価値観も多様化し、みんながワガママな世の中、さらにもっと、時と場合をとっさに読まなければいけない時代なのだと思う。とすれば、あっさりサバサバ処理する自分と、まったり丁寧な面倒くさい自分を、極端に使い分けられる大人になるべきなのだろう。難しいけれど。

さいとう・かおる
女性誌編集者を経て美容ジャーナリスト/エッセイスト。多数の連載エッセーを持つ他、美容記事の企画、化粧品開発・アドバイザーなど幅広く活躍中。『“一生美人”力』ほか著書多数。Yahoo!ニュース「個人」でコラム執筆中。
