Beauty
2020.08.14

齋藤薫の美しい歳の重ね方
マスク時代の新常識、その2。
危ないのは、人に見られている自覚が減ることによる、気の緩み

ほんの数カ月前のこのコラムで、「マスクをしての接客は是か非か?」という原稿を書いていて、自分でも啞然とした。もはや今年の話と思えないくらい、世の中がひっくり返っているからだ。“マスクをして接客することが失礼にあたる”という、感覚そのものをもう思い出せない。人間は環境にすぐに慣れる生き物というけれど、こんなにあっけなく、新しい生活様式に細胞レベルで慣れてしまうのだと、それ自体に驚いているのだ。今やマスクをしていない人が近づくだけで多少とも身構える人は少なくないはずで、いわゆるマスク警察にはならないまでも、そういう目で周囲を見ている人が多数派なのは確か。前回もマスクによる変化に触れ、またその話?と言うかもしれないが、状況は刻々と変わり、常識も日々変わっているから、提言したいのだ。

非常に戸惑ってしまったのは、お互いマスクをしたままの“初対面”。正直、全く初めて会う相手とのマスクでの挨拶は、非常に奇妙なものだった。とりあえず名刺交換だけしたものの、またどこかで会っても、絶対に気づけない。それは会ったことになるのだろうか。とはいえ、顔を見せ合いたいからマスクを外しましょうかなんてとても言えない。マスクはその人である証拠をここまで見事に消してしまうのかと改めて思い知らされたほど。

もともと日本には“何となく存在を隠したくてマスクをする人”が少なくなかったが、そういう意味でマスクを外せなくなった人がいて、こう証言したのだ。「そうなると“だんだん自分に構わなくなり、だから余計にマスクが外せなくなる”という悪循環に陥る」と。なるほどマスクをしていると、人に見られている自覚が減るから、服や髪形、メイクに無頓着になるのはもちろん、立ち居振る舞いもぞんざいになりがちだ。それどころか、思った以上に続きそうなマスク生活で、なんとなく生き方までが雑になってしまうようなことがなければいいのにと思った。

誰も見ていない場所で、所作が乱暴になってしまうことは、人間として仕方のないこと。でもマスクをしていることで同じような気の緩みが習慣化してしまうことは避けたいのだ。もちろんマスクが悪いのじゃない。ただ、コロナによってそんなふうに自分を乱されたくはない。自分自身にいい加減になったり、生き方が乱暴になったら負け。今は意識して、マスクをした時ほど襟を正して、丁寧に振る舞い、きちんと生きることを心がけたいのだ。マスクで顔は隠せても、品性は隠せないのだから。

齋藤 薫 さん

さいとう・かおる 女性誌編集者を経て美容ジャーナリスト/エッセイスト。多数の連載エッセーを持つ他、美容記事の企画、化粧品開発・アドバイザーなど幅広く活躍中。『“一生美人”力』ほか著書多数。Yahoo!ニュース「個人」でコラム執筆中。