齋藤薫の美しい歳の重ね方
いよいよ本気で問われるはずの「お茶汲(く)みの是非」によせて、今改めて思うこと
コロナ禍は、時計を10年単位で早めてしまったと言われる。例えば、ハンコ押印廃止の是非も、いつかは議論されたのだろうが、それが劇的に早まったのは行政改革大臣以前に、やはりコロナ禍で“事務手続きの煩雑さ”がクローズアップされたためだろう。リモートワークそのものの定着は、実際10年早まったとみてもいい。これに伴い“働き方改革”が性急に進んで、自分のデスクのないフリーアドレス化もきっとさらに早まるのだろう。オフィスは一気に様変わりするわけだが、そんな中でいよいよ是非が問われる仕事の一つが「お茶汲み」。来客は別として、職場内でのお茶汲みはもともと無くなる傾向にあったはずだ。ただ無くなるとなれば懐かしく思われるのが世の常で、職場における女性差別の象徴とさえ言われたお茶汲みも、一方で、ふとした時に同僚にお茶を入れる女性はよく気がつく人の象徴でもあったなと……。今飲みたいと思っていたんだと喜ばれれば誇らしい。義務化されれば辛(つら)いが、時に女性を輝かせる。いや例え義務化されていても、良いタイミングで上手にお茶を入れる女性は、密(ひそ)かに崇(あが)められてきたはず。
時々思い出す光景がある。先輩の女性社員が目配せで私を呼び、人数分のお茶が載ったお盆をそっと手渡した。お茶は新人が入れるものだったから、その人は私に恥をかかせないように、良い頃合いでお茶を入れ、自らはすっとどこかに消えてしまった。その絶妙なタイミングと、濃いめのお茶の美味(おい)しさが心地よい空気を作っていくのを肌で感じ、その人の二重の気配りに、ちょっと心が震えたもの。
たかがお茶、されどお茶の大切さや、憂鬱(ゆううつ)だったお茶汲みの喜びにも気づかせてくれたその人を、今も一抹の後ろめたさとともに、尊敬の念をもって思い出すのだ。
そういうことも含めて、これまでの常識が無くなっていく時代を多少とも虚(むな)しく思うとともに、仕事ともされたお茶汲みが仮にこの先完全に廃止されても、気配りの心はどこかに移植して残していかなければと感じたもの。今のこの目まぐるしい世の中の変化を、胸がすくような思いで体感しながらも、ハンコがなくなるかもしれない少しの残念さも併せて、ちょっとだけ懐かしむ気持ちもまた、大事にしたいのだ。
齋藤 薫 さん

さいとう・かおる 女性誌編集者を経て美容ジャーナリスト/エッセイスト。多数の連載エッセーを持つ他、美容記事の企画、化粧品開発・アドバイザーなど幅広く活躍中。『“一生美人”力』ほか著書多数。Yahoo!ニュース「個人」でコラム執筆中。
