エッセイスト・料理家の寿木けいさんに聞きました
豊かに暮らすことって?
暦のうえでは春が始まる「立春」を前に、自分にとっての豊かさとは何か、を見つめてみませんか?

「豊かに暮らすことってどういうこと?」「何を持って豊かに暮らすというの?」。年初の編集部はそんな話題で始まりました……。そのヒントを探るために、編集部が日頃からそのライフスタイルに注目している寿木けいさんが、日々の暮らしのなかで"大切に育てている知恵"をおたずねしました。
(撮影:寿木けい/構成:ボンマルシェ編集部)
寿木けいさんってこんな人……

2001年 出版社に入社
2014年 36歳で長女出産
2015年 長男出産
2017年 初の著書出版
2019年 出版社を退社
2020年 転職(現在も勤務中)
2022年 山梨県に移住
すずき・けい 大学卒業後、出版社で編集者として働きながら執筆をはじめる。著書に、『愛しい小酌』(大和書房)、『わたしのごちそう365 レシピとよぶほどのものでもない』(河出書房新社)、『土を編む日々』(集英社)、『泣いてちゃごはんに遅れるよ』(幻冬舎)など。富山県砺波市出身。25年間の東京生活を経て、昨年山梨に移住。目下、古民家をリノベーション中で、1日1組の宿をはじめるのが夢だそう。
東京から山梨へ 寿木さんの暮らしの「今」
夫の提案で決まった山梨への移住だが、「目の前に現れたものを歓迎して取り組む、抗(あらが)わないたちだから」と自己分析する寿木さんには、最初から迷いはなかった。決断したら即行動。毎週現地に通い、住居や必要と思われる施設を探しながら、やりたいこと、やれることを探った。自然にも強くひかれた。2020年に、自ら門をたたいて入った大好きな会社は週3日のリモートワークと週1か2週に1回の出社スタイルで今も勤務している。「執筆は残りの時間で。座して執筆だけは性に合わないし」と笑う。暮らしの変化を前向きに捉え、譲れないこだわりはどうやって守るか知恵をしぼる。
豊かに暮らすことって? 寿木さんの知恵
「心は後からついてくる。まずは、身体(からだ)をめいっぱい使うこと」
「心は実態がないもの、常に移ろうもの。身体という"入れ物"がまずあって、心は後からついてくるものだから、私は、まず身体をめいっぱい使います」
これは、編集部の「豊かに暮らすことって?」の問いに、最初に答えてくださった意外な言葉。「でも、エクササイズ的なものとは限らず、身体全部をめいっぱい使って一瞬で心をつかまれる体験を重ねることです」。たとえばと言って話してくださったのは、山梨に移住してすぐ、望んでいた師とのご縁に恵まれて始めたお茶の稽古の体験。「茶碗は自作、茶花は庭から、ご自分の畑の野菜で懐石を作り、庭の苔(こけ)は山から採って少しずつ増やし……身体をめいっぱい使う先生で、一瞬にして心をつかまれることの連続です」
一瞬にして心を動かされることを重ねる
早朝の自分時間は、お茶の稽古

また、身近なところで心を揺さぶられたのが、「購入した農地に植わっていた柚子の木」。これまでは実にしか関心がいかなかったけれど、「汗だくで伐採した大量の葉からものすごくいい香りがすることに気がついた」。ショップでアロマエッセンスを買うのとでは、「心のつかまれ方が違う」と。知人から、"大気中に漂う香気成分もすべてひっくるめて郷土料理のレシピ"というヒントももらって、新レシピを研究中。「一つの気づきが多方向に広がっていくのはすごく豊かで楽しい」。さらに、話は水泳に。「水泳は前へ前へ進むしかない。それを細胞が覚えて心に伝達してくれることを体感しているので、たとえ20分でもマメに通っています」
最初は面倒だなイヤだなと思っても、身体を使ううちに心が前を向くという視点は、私たちの日常にも活かせそう!
身体を使ってめいっぱい自然に触れる
庭=天然の貯蔵庫から柚子をもぐ


豊かに暮らすことって? 寿木さんの知恵
「納得できないもの、不足しているものは"手当"する」
自分の心が喜ぶ選択をするのも寿木さんの知恵の一つ。台所の水切りかご一つにしても、心がちょっとざわつくものは"手当"をする。「仮住まいの台所の作業台はとても狭くて、洗ったものの置き場に困るんです。でも、人工的なプロダクトはなるべく置きたくない」。そこで取り入れたのが職人さんの手仕事が美しい竹のかご。「文句を言ってるだけでは、横着」という言葉とともに、「誰かのお墨付きに頼らないで物を選ぶということは、未来の自分に期待するということ」という、寿木さんの著書『愛しい小酌』の一節が心に響いた。
心が喜ぶものを身近に置く
家事を楽しくしてくれた、竹の水切りかご

豊かに暮らすことって? 寿木さんの知恵
「一人時間は一人ぼっちじゃない。もう一人の"私"と共にいる感覚」
山梨に住んで運転する機会が増えたという寿木さん。「気になる場所へは即、一人でどこへでも」。結果、予期せぬ感動と出会えることも。「暗い夜道を走っていてフロントガラスにさした小さな光をたどってみたら、たくさんの星。しばし車を止めて眺めていたらイラ立ちがスーっと消えました」。また、一人ドライブで山梨のワイナリーを見つけてショップに立ち寄ったり、朝思い立って、夕方の子どものお迎えに間にあうように他県のギャラリーへ行ったり。そんな一人時間は「もう一人の"私"と会話しながら行動している感覚があるから、ちっとも寂しくないんです」。
日々の暮らしのなかで寿木さんが譲れないものは「自分時間」。もう一人の"私"と"対話"する一人時間を持つことは、イイも悪いも自分で決断を重ねる訓練となり、自分らしい豊かな暮らしに必要なものが見えてくる。
一人時間で、新鮮な驚きを得る
毎日の食卓に、山梨のワインを

豊かに暮らすことって? 寿木さんの知恵
「長い距離を歩くにはたくさんの知恵が必要。それは、人間を木にたとえると枝になる実。善く生きることでしか実らない」
これは、寿木さんの著書『愛しい小酌』のあとがきの一節。その言葉は、寿木さんが"体験貯金"と呼ぶ、日々の暮らしのなかで心が一瞬にして動かされる体験を重ねることと通じるものがある。今日を肯定し、明日は善くなる、未来はきっと善くなっていくと信じて体験貯金を日々重ねたい!