メシの食える男にする、その思いだけでした
森 昌子 さん(歌手)
箸を持つ手を叩いたこともあります
昨年の7月、デビュー45周年を迎えた森昌子さん。現在、70カ所にわたる全国ツアーの真っ最中である。「お客様に、ただただ感謝の気持ちでいっぱいです」。そう話す笑顔に、なんともいえぬほっこりした温かさがある。先月には、これまでの子育ての日々を綴(つづ)った著書『母親力~息子を「メシが食える男」に育てる』を発売。悩みながら精一杯、子育てに向き合って来た姿が、若い世代の話題も集めている。
「話題だなんて言われるとお恥ずかしい。我流で、ただ必死でやってきただけです」
幼少のころ「病気がちだった」という母にかわり、祖母に育てられたという森さん。
「昔の人だから躾(しつけ)は厳しくて、私が社会に出て困らなかったのは、そのお陰だと思っています。躾といっても、箸の持ち方とか、靴を揃(そろ)えるとか、ごくあたりまえのことですけど、3歳になるまでには絶対に覚えさせたいと、箸を持つ手をピシャッと叩(たた)いたこともあります」
ごはんは残さず食べる、門限は守る、人に頼らず何事も自分の頭で考える、18歳になったら家から独立させる……等々。森さんなりの信念に基づいた子育てだった。
「3人を一人前にしたい、自分でメシの食える男にする。その思いだけでした。失敗もどんどんさせましたよ。社会に出れば嫌なこともたくさんあるのだから、壁にぶつかったとき、自分で解決していくたくましさを、まずは身につけさせたかったんです」
あの時、命がけで育てるとスイッチが入った
47歳の時、慰謝料なしで離婚。
「小さい頃から何かあると、人に相談せずにとことん考え抜いて、ひとりで結論を出してきました。自分の心には嘘(うそ)がつけないです」
真っすぐな人柄が感じられる。
「お金が全くなくて、これから両親と3人の子を養っていかなければという状態でした。でも、子供たちが『母さんについて行く』と言ってくれて、あの時、何が何でもこの子たちを守ろう、命がけで育てるとスイッチが入ったんです。それまでの一切合切を処分して借りた新居には、最初、電気のカサひとつなかった。ろうそくに火をつけましてね。真夏の夜でしたけど、子供たちが『クリスマスみたいだね!』って言ってくれて。涙が止まりませんでした」
その後も順風で来たわけではなく、子供たちが思春期のころには“掴(つか)み合い”の喧嘩(けんか)をしたことも多々あったという。
「目も合わせず口もきかず、ですよ。どんどん態度がおかしくなって、ここで横道にそれさせてなるものかと、もうとことんやりました」
ひどい更年期の症状も重なった。
「20年ぶりに復帰した芸能界は甘くなくて大変なストレスでしたし、誰にも会いたくなくて、ふっと死にたい気分にすらなったり、全身に湿疹が出たり……。しばらくして子宮頸(けい)がんも見つかったのです。でも支えてくれたのは、やっぱり子供たちでした」
18歳になると、約束どおり子供3人を次々に独立させた。今、長男と三男は、バンドのヴォーカリストとして身を立て、次男は会社員となっている。それにしても満身創痍(そうい)とも思える出来事を、終始、楽しそうに話してくれた森さん。この、のんびりした柔らかさ、溢(あふ)れる愛情こそが、森昌子さんの『母親力』なのかもしれない。
「厳しくしすぎたかなと思ったこともあります。でも時間と愛情はたくさん注いだつもりです」
取材後、コンサート会場での、夜の部の公演時間が迫ってきていた。「一度はやめたのに、この道に戻って……。納得できる声に戻れたのは2年前かな。今では歌うことが私の使命だと思っています。気持ちを込めて歌い続けます」
(撮影:渞忠之/文:水田静子/ヘアメイク:髙島亜矢乃)
森さんへ
- いつもバッグに入っているものは?
- 財布、除菌シート、眼鏡、携帯電話。電話の待ち受け画像は、オランウータンの赤ちゃんなんです。可愛くて癒やされています。
- 好きな花と色は?
- かすみ草。好きな色は白です。服も白色が好き。色彩や柄が多い服は落ち着きませんね。

もり・まさこ
1958年、栃木県出身。72年に「せんせい」で歌手デビュー。85年にはNHK紅白歌合戦で司会とトリを務め、国民的歌手となるが、86年に結婚のため引退。3児の母親となる。離婚後の2006年、芸能界に復帰し、現在は歌手活動だけでなく、ナレーションやバラエティでも活躍。17年1月、デビュー45周年記念曲第二弾「みぞれ酒」をリリース。2月7日に著書『母親力~息子を「メシが食える男」に育てる』(SB新書)を発売した。
