専門家としての覚悟を持って。
第60次夏隊
小池充将
社内第1号の梅沢以来、三機工業から国立極地研究所に派遣され南極観測隊に参加するのは、ずっと環境システム事業部の社員でした。もともと南極の環境保全に貢献する人を育てるというのが当社から人を派遣することになったきっかけですので、当然といえば当然なんですが。私は大学時代から建築が専門で、入社して配属されたのも建築設備事業部でした。だから望み薄であることはわかっていたものの、南極への憧れは当時から人一倍強かったんです。

10年ほどそんな片思い(笑)が続いたころ、昭和基地に基本観測棟という新しい建物をつくることになり、当社でも建築設備事業部の社員を対象にした公募が始まりました。本当に、一瞬も迷わなかったですね。誰かに相談することもなく、その日のうちに手を挙げました。実際に派遣が決まってからは国内での訓練などやるべきことが多く、喜びに浮かれる間もなく出発の日を迎えたという印象です。
ただ、私が参加したのは夏隊だったので、何日も暴風雪に閉ざされ外にも出られない……というような状況は経験していません。それでも、研究者のお手伝いなどをするためヘリで基地から離れた場所に行く時は、テントと予備の食料は必ず携行しました。天候を確認し安全な日を選んで行動していても、いつ状況が変わるかもしれないし、そのための備えを怠ってはならない。やっぱり特殊な環境にいるんだと実感しました。


会社での普段の仕事は設備施工を管理する側ですから、現場で手を動かすことはほとんどありません。重機の扱いなどは日本で多少練習していきましたが、実際に南極でやろうとすると思うようにいかないことも多く苦労しました。建設現場の職人さんはあんなに簡単そうにやってたのにな、と(笑)。でもその分、他の隊員が協力してくれたのがうれしかったですね。みんなプロではないので、こうやろうか、このほうがいいんじゃないか、と四苦八苦していると、配管がつながった時や機械が設置できた時、一つひとつに大きな喜びがあるんです。たぶん南極から帰ってきた人はみんな言うと思いますが、同期の観測隊員は一生の仲間です。
ただ矛盾したことを言うようですが、そうやって誰かが助けてくれるのが当然だと考える人では、観測隊員は務まりません。滞在中に一度、基地の暖房がうまく作動しなくなったことがあります。室内の気温がどんどん下がり、まわりの隊員から何とかしてくれと言われたものの、私もその設備についてはすべてを理解しているわけではありません。しかし少なくともその場で一番の専門家は私ですから、腹を括って一人で修理に向かいました。自分の分野に関してはあくまで自分が当事者であり、自分がすべての責任を負う。その覚悟を持った人たちの集まりだからこそ、分野を超えて協力し合った時にうまく回るんです。もしも普段の仕事からそういう意識で取り組んでいる人がいたら、きっといい観測隊員になれますよ。


わずか半年ですが、南極を経験したことで今では少し気持ちの余裕を持って仕事ができるようになった気がします。もともと物事が一つひとつきちんと進まないと気になるほうなんですが、最近はいい意味で肩の力を抜くこともできるようになりました。少々うまくいかないことがあっても、少なくとも南極よりはいい状況だと思えるんですから(笑)。 (談)


