日本に根強い偏見をなくし、
糖尿病のある人が自分らしく生きられる社会へ
Profile

公益社団法人 日本糖尿病協会 理事長
関西電力病院 総長 京都大学名誉教授
清野 裕先生
せいの・ゆたか/1967年京都大学医学部卒業。京都大学大学院医学研究科糖尿病・栄養内科学教授、京都大学医学部附属病院副病院長、関西電力病院病院長などを経て現職。インスリン分泌を促進するホルモン「インクレチン」の研究で世界的に高い評価を得ている、糖尿病研究の第一人者。アジア人として初の米国糖尿病学会賞を受賞している。
日本糖尿病協会清野先生インタビュー
日本に根強い偏見をなくし、糖尿病のある人が自分らしく生きられる社会へ
糖尿病は世界的に増えているとはいえ、適切に予防し、継続的に治療すれば、むやみに恐れなくてはならない病気ではありません。ただ日本では糖尿病に対する社会的偏見「スティグマ※」が強く、それが診断や治療継続をさまたげる要因になっていると言われています。この問題について、糖尿病治療の第一人者で、公益社団法人 日本糖尿病協会理事長の清野裕先生に伺いました。
※ある特定の属性により、いわれのない差別や偏見の対象となること。
糖尿病の本質は高血糖状態。むやみに恐れる必要はないが、合併症・併存症のリスクに注意
糖尿病と聞くと、その言葉から「尿に糖が出る病気」ととらえている人は少なくないだろう。確かに現象面だけ見ればそのような側面もあるが、清野先生は糖尿病という言葉は、この病気の本質を正確に表していないと言う。
「実はこの病気を『糖尿』という言葉で表現している国は、日本とアジアの一部だけです。日本はかつてオランダ医学の影響が強かったため、オランダ語から翻訳する際にたまたまこの言葉が使われ、そのまま定着してしまいました。でも、『糖尿病』という言葉をそのまま欧米の言葉に翻訳したら、欧米の人たちは驚いてしまいます。実際、欧米では『尿』という名のついた病名を患者につけることは人権侵害だと考える人もいます。この病気の本来の病態は、持続的に、慢性的に高血糖状態にあることです。尿に糖が出ること自体は、本質的な問題ではないのです。尿に糖が出る病気は糖尿病以外にもありますし、高血糖状態でも尿に糖が出にくい人がいます」
食べ物に含まれるブドウ糖が体内に取り込まれると、膵臓(すいぞう)から分泌されるインスリンによってエネルギーとして吸収される。その際、インスリンの作用が弱いとブドウ糖をうまく吸収できず、血液中に糖があふれ、血糖値が高くなる。このような状態を、糖尿病と言う。そして高血糖状態が続くことで、一番気をつけなくてはならないのが合併症だ。
「血糖値が高い状態が続くと血管に傷がつき、腎障害や網膜症などの合併症、心筋梗塞(こうそく)や脳梗塞などの併存症を引き起こしやすくなります。昔は血糖値の管理など、糖尿病の治療が不十分だったため、これら合併症・併存症がよく起きていました。でも今は治療が進歩したため、医師のもとでしっかり管理をしていれば、合併症・併存症のリスクは大幅に減らすことができます。今や糖尿病を不治の病として、やみくもに恐れる必要はありません。もちろん放置しておけば危険であることは変わらないので、診断された際は適切な治療が必要です」
糖尿病は自覚症状がないことが多いので、定期健診で早めに発見を
糖尿病を防ぐには、バランスのよい食事、適度な運動、良質な睡眠が大事だと言われている。その通りなのだが、清野先生は生活習慣と糖尿病を直接結びつけるような考え方には注意が必要だと言う。
「糖尿病になるかどうかは、体質と生活習慣などの環境のかけあわせの結果です。体質的にインスリンの分泌が少なかったり、分泌のタイミングが遅かったりする人は、血糖値があがりやすく、糖尿病になりやすい。このような人が不摂生な生活をしていると、発症が前倒しになることはあります。ただなかには、どんなに生活習慣が乱れていても、体質的に糖尿病にならない人もいます。よって糖尿病と生活習慣をストレートに結びつけることは、糖尿病のある人への偏見を助長するので注意が必要です」
人の体質は当然、親から子へと遺伝する。よって身内に糖尿病をもつ人がいれば、自分もなる可能性が高い。そのような人は、日頃から運動をしたり、食事に気をつけたりして、なるべく発症しないよう心がけることは大切だ。
「糖尿病は通常、自覚症状がないことが多いです。のどが異常にかわく。体重が減る。尿が大量に出る。疲労感が続く。このような症状が出た時は、糖尿病がかなり進行している可能性が高いので、すぐに診察を受ける必要があります。もちろん本来は、このような状態になる前に、定期健診を受けて糖尿病を発見するべきです。日本は健診の制度が整っており、国民皆保険もあるので、糖尿病がわかれば、誰でも適切な治療を受けることができます。世界でもっとも糖尿病の治療体制が整い、うまく管理できている国です。ぜひこのような恵まれた環境を活用し、定期健診をしっかり受け、適切な治療を受けていただきたいと思っています」
糖尿病に対する誤ったイメージや偏見を減らすため、アドボカシー※活動を推進
ただそんな日本でも、30代から50代の就労者の健診の受診率、治療の継続率が低いことが課題となっている。実は健診で糖尿病が疑われてもその後、病院を受診しない人が少なからずいる。糖尿病と診断されると、社会的に不利益を被ることがあるからだ。
「例えば就職試験や昇進において、糖尿病であることはいまだに不利になる現実があります。生命保険に加入できなかったり、住宅ローンを断られたりすることもあります。これらの制度ができた高度経済成長期は、糖尿病の治療が今のように進んでいなかったため、合併症で亡くなる人が多くいました。そのため糖尿病=不治の病というイメージが定着してしまっていたのです。治療が進歩し、糖尿病が不治の病ではなくなった今、このイメージを変えなくてはなりません」
実は日本は国際的にみて、糖尿病をもつ人に対する社会的偏見「スティグマ」が強い。その最たるものが冒頭で触れた「糖尿病」という名称であり、この病名はそろそろ変えるべきではないかとの議論が専門家の間で行われている。さらに日本糖尿病協会では、糖尿病領域の医療用語を見直し、糖尿病のある人に配慮した言葉の使用を推進するアドボカシー活動に取り組んでいる。
「実は医療者が無自覚に使っている言葉が、糖尿病をもつ人に精神的な圧迫を与えていることが少なくないのです。そこで私どもの協会では『糖尿病患者』は『糖尿病のある人』、『血糖コントロール』は『血糖管理』、『療養指導』は『治療支援』、『指導』は『支援』といったように言い換えることを推奨しています。不治の病を医師が厳しく指導して延命するのではなく、糖尿病のある人が自分で適切に血糖を管理することを医師が支援する。そのようなニュアンスの言葉を使うことで、社会全体のこの病気に対するイメージが変わっていくことを期待しています」
※社会的に弱い立場にある人たちの権利を擁護・代弁すること。
糖尿病のある人が、糖尿病のない人と変わらない生活が送れる社会へ
日本糖尿病協会ではこのほかにも、糖尿病のある人が、糖尿病のない人と変わらぬ生活を送れるよう、様々な取り組みを進めている。糖尿病のある人や医療スタッフへのアンケート調査や治療薬の使用実態研究などから、よりよい医療を提供するための基盤づくりを推進。糖尿病をもつ人にきちんと受診し、自分の状態を知ってもらうためのグッズなども制作・配布している。
このような取り組みや企業の協力もあり、糖尿病に対する社会の正しい認識も、少しずつ広がっている。また日本では今、糖尿病がある人とその予備群は増加の一途をたどっていると言われるが、清野先生はあまり悲観的になる必要はないと言う。
「実は日本では、現役世代の糖尿病予備群は減少に転じています。日本で糖尿病が増えているのは、高齢化が原因です。年齢によって糖尿病が増えるのは、一種の老化現象であり、避けることはできません。80代、90代になれば老化によって体のあちこちに不具合が出るように、インスリンの働きが悪くなって当然です。よって高齢者の糖尿病の治療は医療関係者が強要するようなことはせず、ある程度その人の主体性にゆだねるべきだと私は考えています」
糖尿病のある人も、糖尿病のない人も、人生を豊かに、自分らしく生きたいとの思いは同じである。糖尿病の治療は、あくまでそのための手段に過ぎない、というわけだ。
「血糖値に一喜一憂し、その人が幸せに生きられないのは本末転倒です。糖尿病のある方が治療に振り回されることなく、自分の人生を楽しんでくださることを何より願っています。そのためにも、糖尿病のある人も、そうでない人も、全く対等に扱われ、変わらぬ人生を送れる社会をつくることが、何より大事だと考えています」
そのような社会を築くためにも、さらに社会全体に糖尿病についての正しい認識を広げ、この病気を正しく恐れる必要がある。世界糖尿病デーを、その大きなきっかけとしたい。