使命感に燃える
柴三郎先生

- 北里
- 私の曽祖父である北里柴三郎は、1853(嘉永6)年、現在の熊本県小国町の庄屋の家に生まれました。私塾からようやく藩校「時習館」に入学できることになり、柴三郎は小国から熊本市までの70キロの道のりを、3日かけて歩いて行ったのです。そのバイタリティの源は、身分制度の葛藤を乗り越えて自分の人生を変えようという強い意志でした。
- 釜萢
- 柴三郎先生は、東京医学校(後の東京大学医学部)時代に「医道論」を執筆されました。「医者の使命は病気を予防することにある」と確信したということですが、100年前の先見の明に驚くばかりです。
- 北里
- 32歳で国費留学生としてドイツに渡り、細菌学の父コッホのもとで研究生活が始まりました。それまで不可能とされていた破傷風菌の純粋培養とその毒素を使った血清療法を発表します。これも、自分を変えたい、一旗揚げたいという強い思いの結果だと思います。
- 司会
- 柴三郎先生の生涯の恩人というと、福澤諭吉先生もおられますね。
- 北里
- 日本に帰って不遇な時を過ごしていた柴三郎に福澤先生が手を差し伸べるかたちで、日本初の伝染病研究所が作られ、北里研究所病院の前身となる土筆ヶ岡(つくしがおか)養生園が作られました。柴三郎の生まれた小国と、福澤先生が幼少期を過ごした大分県中津市は、距離も言葉も非常に近く、おそらく二人は方言で心を許し合っていたのだと思います。
福澤先生亡き後も、慶應義塾大学医学部開設にあたって、柴三郎は初代医学部長・病院長として尽力し、8年間無給で務めました。 - 司会
- 柴三郎先生は、1914年に伝染病研究所が文部省に移管されたことに怒りを覚え、辞職したそうですね。
- 北里
- 伝染病研究所を辞職し、同日、北里研究所を創設しました。その後に大日本医師会の会長となり、医師会令によって1923年に日本医師会の初代会長に就任しました。
志を継ぎ、
命と健康を守る

- 釜萢
- お話をお聞きし、柴三郎先生の医師会設立までのご尽力のおかげで、今日の日本医師会があるのだと改めて実感しました。先生の志は今でも引き継がれており、国民の皆さんの命と健康を守り、医師の日々の医療活動を支えるという二つの柱の下で、医師会は活動を続けています。
- 北里
- 柴三郎は、感染症対策としての法整備などに深く関わりました。香港でペストを発見した後、伝染病予防法の制定に尽力し、検疫や患者の隔離などの対策も行いました。一般の方に感染症の正しい知識を理解してもらい、人々の意識を変えることによって感染の拡大を抑えたのです。
- 釜萢
- 柴三郎先生が打ち出していた感染症予防の基本的な考え方は、今でも変わりません。未知の病原体による病気が起こった場合には、まずは「封じ込め」を行い、広範囲に広げないことが大事です。日本医師会では、より多くの医療機関が対応できるよう、研修の機会を設けるなど、さまざまな取り組みを行っています。
- 北里
- 感染拡大時に柴三郎が行ったように、日本医師会には、お年寄りなどの情報弱者を含め、広く一般の方に正しい知識を伝えることにも注力していただきたいと思います。
- 釜萢
- 日本医師会では公式YouTubeチャンネルやLINE公式アカウントなどを通じ、正確な情報を皆様に極力早くお伝えすることに努めています。ぜひご活用ください。
きたさと・ひでろう/北里柴三郎のひ孫。1981年慶應義塾大学工学部卒業。2004年北里大学医療衛生学部微生物学研究室教授。22年7月より北里柴三郎記念館館長に就任。北里大学名誉教授。
かまやち・さとし/群馬県生まれ。日本医科大学医学部卒業。1988年より小泉小児科医院院長。高崎市医師会の会長等を経て、2011年群馬県医師会参与。14年日本医師会常任理事。24年より副会長。
