戦後を撮り続ける その向こうも

写真家・石内都
記憶と時間に向きあい続ける写真表現の達成
受賞者の業績
基地の街である成育の地、神奈川県横須賀市を粒子の粗い白黒写真で捉えてデビューし、今は広島の被爆者の遺品をカラーで撮っている。
「私の個人史が戦後史と重なったんです。広島の問題、福島の原発事故、そしてウクライナの戦争も含め、戦後は終わっていないと感じます」
自身の少女時代を見すえる初期3部作の後、同世代の女性の手足や、体に残る傷痕を撮ってきた。さらに21世紀に入り、亡き母の遺品やヒロシマの遺品と向き合ってきた。
「写真にしかできないことがある。記憶や時間という目に見えないものも撮れる」
被爆者の遺品といえば、傷んだ服や着物の白黒写真のイメージだが、素敵な花柄のワンピースなどと出あい、「私が着ていたかも」と、柔らかく捉え続ける。戦争の存在が若い世代にもリアルに伝わった。「私が撮るのは街や人、モノの表面ですが、その奥や向こう側も意識されます」
今年も展覧会の予定が続く。5年前からは故郷・群馬県桐生市を拠点に、若者たちと着物をジャンパーに仕立て直す活動などを続ける。「賞をいただき、私のことを新たに知る人もいると思う。広島の写真をちゃんと見て下さいね」
経歴
1947年群馬県生まれ。多摩美術大学で学んだ後、独学で写真を習得。欧米や国内の美術館で多数の個展を手掛ける。79年に女性初の木村伊兵衛写真賞を受けたほか、毎日芸術賞やハッセルブラッド国際写真賞など受賞多数。
「交換様式」 資本も国家も超えて

哲学者、批評家・柄谷行人
鋭敏な文芸批評と独自の思想体系の国際的広がり
受賞者の業績
世界を動かす根本原理とは何か。「世界史の構造」(2010年)で、経済的な土台をなす「交換様式」を本格的に論じ、探究を続けてきた。
昨秋刊行した「力と交換様式」では、交換様式がもたらす「霊的な力」に着目。世界から争いや災厄が絶えない中、資本や国家を乗り越える未来の道について一つの結論に到達した。「徹底的に考え直した。前の本を完全に乗り越えたと思っています」
夏目漱石論で文芸批評家として出発したのは1969年。「風景」や「内面」といった日本近代文学の装置そのものを問い直す鋭い論考は、国内外で高く評価された。
ソ連が崩壊し、自由・民主主義の勝利がうたわれた90年代、マルクスの「資本論」から交換様式を着想した。資本や国家への対抗をめざす社会運動も実践してきた。
哲学者に転じたと言われるが、自身の仕事を著書「マルクスその可能性の中心」になぞらえ、「文芸批評の可能性の中心ですよ」と振り返る。テキストの従来の読み方にとらわれず、その根底に迫る姿勢は一貫している。「『力と交換様式』は文芸批評。古今東西、いろんなものを読んで考えた。全ては文学といえば文学ですから」
経歴
1941年兵庫県生まれ。東京大学経済学部卒業、同大学大学院人文科学研究科英文学修士課程修了。文芸批評から出発し、法政大学教授、イエール大学客員教授などを歴任。2022年のバーグルエン哲学・文化賞を受賞。
「自己組織化」一筋 化学を広げる

東京大学卓越教授・藤田誠
自己組織化によるナノ空間物質の創出とその応用
受賞者の業績
材料を混ぜるだけで、ナノサイズの空間を持つ物質が自発的にできる――。そんな「自己組織化」現象に着目し、新たな「ものづくり」の化学を切り開いた。
1990年、炭素の骨格でできた有機分子と金属イオンを使って、ナノサイズの「正方形」をつくった。
従来の化学合成では、分子を一つずつ、強固な結合でつなげる。一方、「正方形」は、材料どうしが弱く結びつき、くっついたり離れたりするうち、収まりのいい形に落ちついた結果だった。「従来の化学にない発想だ。これは面白い」
正八面体や格子状の構造体など、中空のナノ材料を次々と報告。内部の「空間」は、うまくデザインすると、別の分子を閉じ込めるなど、様々な機能を発揮できる。これを応用し、2013年、化合物の構造決定に使える「結晶スポンジ法」を開発。製薬業界などで活用されはじめている。
「正方形」から30年超。そのときの感動に突き動かされ、一貫して「自己組織化」の化学を広げてきた。「『ヒット曲』のような研究だけではなく、後世に残る『名曲』のような研究をめざしてほしい」。若い研究者たちへエールを送る。
経歴
1957年東京都生まれ。82年千葉大学大学院工学研究科修了。87年東京工業大学工学博士。2002年東京大学教授。19年から同大学卓越教授。18年からは分子科学研究所卓越教授も兼任。18年にウルフ賞、20年にクラリベイト引用栄誉賞。
「患者を救う」 肺がん原因遺伝子発見

国立がん研究センター研究所長・間野博行
肺がんの融合遺伝子の発見とがんゲノム医療の先導
受賞者の業績
それぞれ別の遺伝子の一部が入れ替わって融合し、がんの原因になる。白血病など血液がんでは知られていた現象だったが、肺がんの原因となる融合遺伝子「EML4―ALK」を発見し、固形がんでも同じ現象が起きると証明。2007年に論文発表した。
米国の製薬会社がこの遺伝子を標的とした新薬の治験をしていた08年、治験を実施中だった韓国の病院へ、20代の男性患者を送り出した。食事をとれないほど病状は悪かったが、治験後、自由に歩き回れるまでに回復した。
薬は米国で11年、12年には日本でも承認された。耐性ができることが分かり、それに対応した第2、第3世代の薬も出ている。
融合遺伝子の発見と薬の実用化が契機となり、欧米で勢いづいていた、がんを遺伝子ごとに分類する考え方を日本で提唱。原因遺伝子を調べ治療につなげる「がんゲノム医療」の制度設計に関わり、19年に公的医療保険の対象となった。
遺伝子を調べる検査はすでに4万人以上が利用し、治療につながったケースも報告されている。「患者を救いたい。医師になったときから変わらぬ思いです」
経歴
1959年岡山県生まれ。84年、東京大学医学部医学科卒業。自治医科大学教授、東京大学教授を経て、2016年から現職。18年からは国立がん研究センターがんゲノム情報管理センター長も務める。12年に紫綬褒章など。