よりよい世界のために――
ロレックスが、よりよい世界に貢献する人々を支援するために取り組んでいる「パーペチュアル プラネット イニシアチヴ」。シルビア・アールによる海洋保護プログラム「ミッション・ブルー」や、1945年よりパートナーシップを結ぶ、ナショナル ジオグラフィック協会との関係を強化する取り組みとして、科学を通じて気候変動を理解する活動などがあり、「ロレックス賞」もそのひとつ。
40年以上にわたりパイオニアたちを支援
40年以上にわたり、ロレックスは独創的なプロジェクトに取り組むパイオニアたちをロレックス賞を通じて支援している。1976年に初の防水腕時計「ロレックス オイスター」の誕生50周年を記念し、コーポレート フィランソロピーとして創設されたロレックス賞は、世界の知識を深め、環境を保護し、生物の種の保存を助け、人類の福利の向上をめざし、進取の気象をもち、革新的なプロジェクトを推進する優れた個人を支援している。今までに、191カ国の24歳から74歳までの37,000人から応募があり、160人もが受賞し、それぞれの分野において革新的な取り組みを進めてきた。
これまでに「ロレックス賞」を受賞した日本人は3人。その三者三様の活動とは。
「雨水」の活用を日本各地、世界へと広めた
村瀬誠さん
©Rolex / Heine Pedersen
村瀬さんが雨水と関わるようになったのは1981年。墨田区では集中豪雨のたびに下水道から排泄物が混ざった汚水が逆流し、住民から悲鳴が上がった。そこで当時、区の保健所職員だった村瀬さんは担当部局をまたいだ自主研究グループを組織し洪水の原因究明に乗り出した。
下水の逆流が起きたのは街を覆い尽くすコンクリートやアスファルトが原因で、地面にしみ込めなくなった大量の雨水が通勤ラッシュのように一挙に下水道へ押し寄せたからだった。
東京には年間に使われる20億トンもの水道水の量を上回る25億トンもの雨が降っていたこともわかった。東京は、水が足りないからといっては他県を流れる上流に巨大なダムの建設を求めてきた。でも、足元では膨大な量の雨水を捨ててきたのではないか。
「まちの中に小さなダムを無数に作り、雨をためて水源の自立を目指そう」
村瀬さんは思い至った。
雨水をためれば洪水対策になる。ためた雨水は、日常的には樹木や草花の水やり、トイレの流し水などに使える。災害時には防災用水としても活用できる。
この発想を両国駅前に建設予定の新国技館に取り入れたらという村瀬さんたちの提案を受け止めた墨田区長は日本相撲協会を説得し、日本屈指の雨水利用施設が誕生した。これが突破口となり、区内の公共施設や集合住宅、東京スカイツリーなどのビルにも雨水利用が導入されていった。その取り組みは、日本、世界へと広がりを見せている。
海外展開としては1999年から水汲み、下痢、ヒ素中毒、塩害など深刻な飲み水の問題を抱えるバングラデシュで、雨を活かして飲み水の危機を救うソーシャルプロジェクトに取り組んできた。
「事業を持続可能な形にして経済的に自立できるようにしたい」と雨水タンクの製造や管理は現地の人に任せられるよう人材育成にも着手。現地の雇用を生み、産業にする礎を築いた。
「世界の空はつながっている。雨に感謝し、雨を分かち合い、平和でハッピーな世界を実現したい。No More Tanks for War, Tanks for Peace!」
村瀬さんは2022年、ロヒンギャ難民キャンプを抱えるコックスバザールの高校で100t規模の雨水タンクをJICAと協働で完成させた。
©Rolex / Heine Pedersen
内戦で途絶えたカンボジアの伝統的な絹織物を復興
森本喜久男さん
©Rolex Awards/Xavier Lecoultre
故森本喜久男さんは、内戦で途絶えかけていたカンボジア伝統の絹織物の復興と伝統的な養蚕の再開に取り組み、この絹織物を農村活性化のモデルとする「伝統の森計画」と名づけたプロジェクトを進めた。
京都に生まれ、友禅職人として仕事をしていた森本さんは、30代前半に偶然訪れたタイの博物館で一枚の印象的な絹織物を目にし、深い感銘を受けた。
その後、難民ボランティアとしてタイに渡り、やがてタイ東北部の農村の女性たちと草木染の手織物に取り組むようになる。そして、いくつかの出会いがあり、カンボジアユネスコのコンサルタントとしてカンボジアの絹織物の現状調査を担当する。その調査の過程で、かつてタイで目にした絹織物のルーツがカンボジアにあったことを知る。
しかし、当時のカンボジアは、長引く内戦の結果、さまざまなものが断ち切られていた。染め織りの技術のみならず、生糸をつくるための養蚕も途絶え、蚕の餌となる桑の畑もわずか、人びとの暮らしを支える知恵までもが失われようとしていた。
この状況を目の当たりにした森本さんは、とある村で養蚕を再開させる。調査の際に出会った染織技術を持った女性たちには「もう一度、織ってもらえないだろうか」と声を掛けた。現地NGOを設立し、年配の女性たちの技術を、経験のない若い女性へと受け継がせる試みを始めた。
さらには、5ヘクタールの土地を取得し、工房をつくり、スタッフが共同生活を送りながら植林や織物の生産を行ない、最終的には自給自足できる「村」の実現を目標とした。ここで働くカンボジア人の多くは、収入を得る手立てのなかった若い女性たち。労働の創出にも寄与した。
「私たちのプロジェクトが成功できたのは、私の努力よりも貧困という現実に負うところが大きい」
森本さんの言葉は重い。
今日食べるもの、今日寝るところを心配するような暮らしをしていては、手間のかかる伝統織物をわざわざ続けようとは思わない。布の作り手が安心して暮らし、誇りをもって染め織りに取り組める環境が必要だと森本さんは考えた。
大切なのは「自然と調和した暮らし」だと言う。
「精神的にも経済的にも、自然と調和することが人間にとって必要なのではないでしょうか」
この言葉は、今の私たちにも通じるかもしれない。
©Rolex Awards/Xavier Lecoultre
テクノロジーで手話をレギュラーに
大木洵人さん
© Rolex/Hideki Shiozawa
大木洵人(じゅんと)さんはオンライン手話辞典「SLinto(スリント)」の拡大によって、ろう者が聴者と対等でいられるような社会の実現に取り組んだ。
オンライン手話辞典は、手話を構成する「手の形」「手の位置」などがキーボードに示され、それらをひとつひとつ選び組み合わせることで単語の候補が表示される仕組み。クラウドに蓄積される単語が増えれば増えるほど辞典としての精度は高まる。
「社会的包摂」とも表現される「ソーシャル・インクルージョン」をIT技術で実現しようとするプロジェクトだ。
大木さんが手話に興味を持ったのは、14歳の時にたまたま見たテレビ番組がきっかけだった。美しい手の動きや、音声言語とはまったく違うコミュニケーションの取り方が印象に残った。
「手話を習いたい」と思ったものの身近に手話を使っている人はおらず、手話を学べるところもないまま時が過ぎた。
思いを形にしたのは慶応義塾大学に在学していた20歳の時。手話はできないまま手話サークルを立ち上げ、ろう者の学生から手話を学んだ。ろう者の友達が増えるにつれ、手話への興味は増していった。
そうした中、「両親がろう者で電話が使えず、深夜に子どもがけいれんを起こしてもすぐに救急車を呼べずに困った」という話を聞いた。
近所の人に助けを求めて事なきを得たというが「こうした現状を変えるために一歩踏み出したい」という気持ちがオンライン手話辞典の開発などを手がける株式会社「シュアール」の設立へとつながった。
既存の単語をデータベース化するだけではない。新しく生み出され、まだ手話がない単語は、手話の利用者のコンペを開いてつくりだすこともしている。
日本のみならずアメリカやインドで使われている手話の登録も充実させることで、異なる手話を使う人たちの壁も取り除く試みをするなど、活動はグローバルだ。
国を超えて大木さんが打破したいと考えているのは「聴者のためだけの社会」
「ろう者を『聴覚障がい者』にしているのは社会です。私はそれを変えたいと思っています」
© Rolex/Hideki Shiozawa
来年も、新たな受賞者が発表されるロレックス賞。人類に恩恵をもたらし、世界を変えるようなプロジェクトに取り組むパイオニアたちに注目したい。
【ロレックス賞について】
https://www.rolex.org/ja/rolex-awards
ロレックスの未来のための取り組み
[パーペチュアル プラネット イニシアチブ]についてhttps://www.rolex.org/ja/environment
ロレックスがサポートする朝日新聞社の自然保護プロジェクト
[SATO 次世代に残したい里]について
https://www.asahi.com/ads/sato-perpetual-planet/